第四十三話 狂人乱舞
――思考回路に無数のエラーが蓄積されていく。
湧き起こる感情の処理にシステムが付いていけず、無数の警告音が彩の中で鳴り続けている。
彼女の視界は危険域を意味する赤に染まり、端には各々の警告内容を文字で表示していた。そのどれもがこれ以上の蓄積は動作に異常が発生すると告げている。
安全装置は強制的な簡易初期化を行おうとプログラムを走らせ、止められない筈の安全装置は彩の意志によって途中で完全停止を見せた。
プログラムに送る言葉はただ一つ。今この瞬間にも無数のエラーを吐き出し続けるAIの中で、彼女は邪魔をするなという文字列を安全装置に叩き付けた。
それで止まるようには設定されていない。デウスが一定の感情の高さに届いた瞬間に研究所の管理職員権限で発動するよう組まれたそれは、ただのデウスでは逆らえない筈だった。
それは謂わば、理性の鎖。
最後の一線を超えさせまいと研究所の職員が全身全霊を込めて完成させた最後の防衛機能。それを突破されれば、最早デウスを抑え付ける事は物理的な方法以外では存在しない。
そして、彩はその鎖を無理矢理に引き千切った。ただ一人の人類を守る為に、己が愛すると定めた者を侮辱した存在を抹消する為に。それこそが己の使命だと彼女は確信して、故に身体はそのように動く。
制限という縛りは彼女の中には無い。最早軍の命令も、研究所の職員の命令も、彼女自身の理性も、全てから解き放たれた彼女は只の女として今この場に居る。
愛する者に正気無し。昔の人間の格言こそが、彼女の原動力なって爆発を起こす。
「――――」
「おっと」
ゆっくりとカストロールに近付いた彩が最初に行ったのはストレートなパンチだった。
あまりにも直球で速度自体もデウス基準では遅い。回避も容易であり、カストロールは首を多少傾けるだけで避けられた。そのままカストロールは彼女の突き出した腕を掴み、強引に自身の胸の内にまで引っ張り込む。
至近距離にまで近づいた両者は、そこだけ切り取って見ればラブロマンスに浸るカップルだろう。
実際にカストロールの表情は優しいまま。余裕と同情からくる寛容の心は、暴力を振るわれても変わらないだろう。
カストロールとしてはこのままデウス達を保護したいというのが本音だ。一回だけの攻防だが、彩の攻撃はあまりにも遅い。
どれだけの間メンテナンスを行っていないのかは定かでないものの、そろそろ限界に近いと彼は推測を立てている。
このままならば撃破は容易だろう。しかし、保護すれば彼女は再度立ち上がる事が出来る。
未だカストロールには同僚と呼べるデウスが存在しなかった。
此処で彼女や只野を守るデウス達を保護すれば、彼は似たような境遇の者と一緒に生活を送る事が出来る。
最初の内は彩達は暴れるだろう。しかし、潤沢な資金やある程度の自由の前では屈する筈だ。窮屈な思いなど軍で嫌という程過ごしたのだから、脱走した後くらいは自由になっても誰も文句は言わないだろう。
そもそも言わせるつもりも無いのだがと彼は断じ、そこで初めて彼は真っ直ぐ彼女の瞳を見た。
――そして遂に、彼がこれまで見てきたモノとは違う色を見たのだ。
「…………………………」
その色が示す感情は憤怒だが、只の憤怒ではない。
赤く赤く、嚇怒の炎を噴き上がらせた色はカストロールも見た事はある。それに極めて近いものの、それだけではないのだと彼女の瞳は語り続けている。
その意味をカストロールは解らなかった。只の怒りであれば理由も察する事が出来るが、それだけではないという事を理解してしまったからこそ彼女の心中を察する事が出来ない。
その最中、彩は捕まった右腕から力を抜いて左腕で殴りかかる。その速度は最初の一発と同じで、故に回避は容易。
いや、そもそも回避をする必要も無いと拳ではなく腕を左で掴んだ。
結果として両腕を封じられる形となった彩は、しかし何も発する事は無い。
「どうしたんだい?……何に怒っているのか聞かせてもらえても?」
ならば疑問は直接本人に聞く他に無い。極めて自然な流れでそう問いかけたカストロールは――だからこそ彼女の内部で起きている爆音の正体に気付かなかった。
全てを知った時にはもう遅い。気付けば、彼は自身の認識速度を超えた腕の一振りに吹き飛ばされた。
真横にある先程まで居た家の壁に叩き付けられ、あまりの威力に壁そのものが割れる。再度家の中へと戻された彼は理解が出来ず、困惑を抱きながらもデウスとしてのシステムを最大にして飛ばした相手を調べ上げた。
ワシズ、シミズ、只野は先程の位置から一歩も動いていない。ならば考えられるのは彩のみ。
そして彩は左腕を振り抜いた姿勢のまま停止している。その情報により、これをやったのが彩であるのは確定となった。
先程までは速度も遅く、余裕を持って掴める程に抵抗力も無い。正しく普通の人間じみた性能しか発揮していなかったのに、彼女はこの瞬間にデウスとしての性能を見せた。
「……さっさと出てこい。塵風情が」
儚げな美少女からは想像も出来ない言葉も出現し、いよいよもって困惑が極まる。
デウスはデウスでしか倒せない。その部分は彼も常識として知っていたし、今現在もそれは主流なままだ。
実際に完全な形での上位互換は未だ出ていない。多少なりとてパーツの進化はあったものの、それは団栗の背比べといったところ。
革新的な進化は起きてはおらず、故に成果の幅は技量によるものが大きい。
にも関わらず、彩は間違いなく単純な力技だけで投げ飛ばした。多少なりとてカストロールも油断していたとはいえ、それでもまったく力を入れていなかった訳では無い。
常識に疑問が入る音をカストロールは聞いた。
同時に仕事としてのスイッチが入り始め、困惑に歪めた口も真一文字に引き結ぶ。
甘い気配は消え、仕事人としての顔を見せる姿は昔の無表情そのまま。内部メモリより鈍く光る黒のHGを取り出し、警戒しながら砂煙の中より姿を現れた。
その姿に対し、彩が警戒することはない。そもそも彼女の中には最早警戒をしようという考えが浮かんでいない。
ただあるのは破壊の二文字。怪物が如く、今は目前の相手の全てを破壊したいという欲求に従っている。
その欲求の中には街の消滅も含まれていた。只野・信次が襲われた切っ掛けは確かに自身にあるとはいえ、そうなるように罠を敷いていたのはカストロール側だ。
騙し、彩から攫い、街に居る正気を失った人間と同じ状態にしようとした。
それは彩にとって到底許されるものではない。目前のデウスをパーツ単位で分解したとしても彼女は許しはしないのだ。同時に、欲求の根源には只野に対する絶えることの無い愛がある。
数字によって構築された感情は決して本物とは言えない。これを人類の持つ愛と同等であると、彩は認めないのだ。
けれどその愛が最速で殺し、只野を保護しろと吠えている。それに関して彩は逡巡せずに当然と返した。
なればこそ、その為に身体は最適化を加速させる。本当の彼女が本当の力を発揮する為に、進化を始めていく。
その変化に気付ける者は居なかった。只野は恐怖の量が増したと感じるだけで、その原因が何であるかまでは察することは出来ない。
コアが発熱を開始する。
更にその奥に存在するブラックボックス部分が、僅かな音を響かせながら本格的な稼働を開始した。
ブラックボックス部分は未だ現在においても解明に辿り着いた者はいない。その中身が何であるのかを知れるのは、最初にデウスを作り上げた者だけだ。
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