第四十一話 恋
向かい合った両名。装備は片方は銃で、片方は素手。
デウスのみで数えれば三対一と此方の圧倒的有利であるも、相手側が何に特化しているのかが問題だ。
しかしである。相手の特化している部分を調べるのも必要だが、その前に更に重大な問題が残っている。
俺もワシズもシミズも冷静だ。だが唯一彩だけが怒り心頭になっている。表情の一切が削ぎ落され、手に持つ武器は今にも砕けかねない程力強く握られていた。
不快に軋む音は、されども未だ完全にフレームを破壊するまで至っていない。彼女なりに最後の理性で抑えているのかもしれないが、その最後の理性も振り切れれば握っているグリップが壊れるのは確実だ。
そんな相手を前にして、男性型のデウスである男はそれしか出来ないかの如く笑みを形作る。
相手側の状況は決してよろしくはない。客観的情報だけならば勝利を取るのは然程難しくはないだろう。
「一応、逆転だな」
「これは予想外だね。そこの彼女以外にも他に居るとは。中々珍しい人物だよ、君は」
「何?」
「脱走したデウスはある意味自由だ。何を考えようとも、何をしようとも、物理的な手段で停止させられない限りは自由なんだよ。だから態々人間を守る必要も無い。ましてや、誰かの下に付く必要も無い」
男の言いたい事は解る。
彩を見てもそうだったが、今の彼女達には自由意志がある。何かを考え、何かを行う事には制限らしい制限は存在せず、それこそ一般の人間と同様の思考を獲得することも出来るだろう。
それが何に繋がるのかと目線で問いかける。その目を受けた男は、逸らす事無く此方を見返した。
態度は自身に溢れ、危機を危機と感じていない。それはつまり、この状況をどうにかできるという事だ。
それは彼自身の純粋なスペックによるものなのかもしれないし、彼の上位者が備えを用意しているのかもしれない。
警戒を厳にするのは当然として、されど出来るのはそこまでだ。
故に出来るのは言葉による時間稼ぎくらいのものだろう。そして、相手もそれは解っている筈。にも関わらず更に言葉を返そうとする姿には、何処か好奇心も感じられた。
「僕が上位者の下に居るのは、そうした方が都合が良かったからだ。自身の内部情報を提供すればそれだけで相手は簡単に踊ってくれる。潤沢な装備も、メンテナンスパーツも、あっさりと我が上位者は用意してくれた」
「……成程、互いの利益で成り立つ関係を築いたのか」
「ああ。僕が実験の餌集めと護衛を務め、我が上位者はパーツや装備といった僕の生活に必要なモノを用意する。実に双方にとって都合の良い関係だ。人類の守護者という理由より、そちらの方が余程この世界に相応しい理由となるだろう?」
「……それは」
男が語った内容は、決して否と返せるようなものではない。
人は建前を気にするものである。そこに真の目的を混ぜ、さながら自身の会社は綺麗な活動をしているのだと世界に知らしめるのだ。実際にそこに勤務している者はその会社の内部情報に触れて絶望するケースも少なくはない。
だからこそ摘発という言葉がある。自浄作用の存在しない会社など、時間と共に腐るだけだ。
互いにとってメリットのある関係を築き、不要となったら契約を解除する。それは今の社会にとって当然の事で、それこそ学生生活の中でも体験する事が出来るだろう。
だから、この変化は当たり前のものだ。誰かに言われた使命よりも己を中心に動く姿は人間らしく、俺自身彩には自分を中心とした人間性を掴んでほしいと思っている。
人間に近付き、それでもなお誰かを愛せる存在になってほしいのだ。
それはワシズやシミズに対しても同じである。彼女達にも当たり前の幸せを掴む権利はあるのだと、俺に必要以上に構うことは無いのだと常々感じていた。
その完成形が彼であるならば、正しくそれは成功したと言えるだろう。
彼のように感情を秘めた人間も居る。それを個性と肯定せずして、人間性の何を肯定しろというのか。
「だからこそ、少々疑問がある。僕はそれが最善だと思っているし、その反応を見る限りでは君も似たような気持ちだろう。――――なら解る筈だ。君では彼女達を支える事は出来ない」
デウスがデウスとして活動する為には、やはり目の前の男のように大きな企業と結びつく必要がある。
膨大な資金に、専用の設備。メンテ一つでも本来ならば専用の手順があって、それを戦場で行うのは難しい筈だ。
俺にそれをするだけの資金も人脈も無い。彼の言った事は一字一句正論であり、俺自身が常日頃から感じていることだ。
それを真正面から告げられると、胸に痛みが走る。
常に表に出さないようにと我慢していた内容は、図星であればある程に苦しみを生んだ。
だが同時に解っていた事でもあるし、納得もしていた筈だ。そう言われるとも既に予測は済んでいる。
この苦しみも所詮は錯覚だ。彼女達の苦しみに比べれば、まったくもって何の問題にも値しない。
「一目見た瞬間に解ったさ。君の身形は悪いし、今彼女達が持っている装備も専用の物ではない。何処かで奪ったという線が濃厚で、反応速度でも君は僕に勝ててはいなかった。センサーからはリュックの中身が缶詰であることも把握済みだよ。その時点で資金面も問題を抱えている。間違っているかい?」
正論、正論。ひたすらに正論ばかり。
並べ立てられる全て、俺が劣っているものだ。よくもまぁこんな能無しが彼女の傍に居られたものだといっそ笑いたくなる程で、けれど一つだけ目の前の男は間違えた。
「だから疑問なんだ。君はどうやって、彼女達を懐柔したんだい?」
ああ、駄目だ。そんな言葉を吐いてはいけない。
自身に対する自虐の心は、瞬く間に同情心へと変わっている。最早これだけの言葉を吐いてしまった男に対して、俺を守ろうと前に立つ彼女達は止まりはしないだろう。
実際、彩の表情に温かみがまるでない。元から感情を削ぎ落していたというのに、今はセンサーで確かめずとも体温が零にまで近づいているだろうと確信を持てる。
踏み出した足。加速の為の第一歩ではなく、ただただゆっくりと進む為の歩行は酷く遅い。
俺でも簡単に距離を開けられそうなそうな速度に、しかし俺はどうしようもなく怖さを感じさせられた。
この恐怖は以前にも体験している。
先のpeaceの社長と話した際にも彼女は似たような気配を漂わせていた。その時は俺が止めたので爆発までには至らなかったが、それは反対に貯め込む結果となっている。
遠慮をさせないようにした為に多少なりとてそれは抜けたと思ったが、実際はまるで違った。
あの時の恐怖よりも、今この瞬間の恐怖の方が何倍も質としては極まっている。貯め込みに貯め込んだ負の感情が、正しくこの時に静かな爆発を見せたのだ。
彼女が見せる本気の怒りがどういうものなのかは解らない。普段は中々に図星となる意見を言うものの、そこに怒りはまったくなかった。
「――――ね」
背筋が寒い。体の芯から震えが止まらない。
極寒の中に居る気分とは、正に今この瞬間だ。そしてそれをワシズとシミズもまったく感じていない。
子供達も子供達でその目からは一切の光を消している。全体に巡っていた力を抜き、今では軋む音の一つも聞こえはしない。
だがそれは違うのだ。怒りが外に放出されているのではなく、中に放出されているに過ぎない。
俺はこの戦いは激戦になると思っていた。脱走兵となったデウスの質は皆極めて高く、であれば向こうのデウスもそうであると信じていた。
だが今の俺はそう感じない。あのデウスの身体があそこまで薄っぺらく感じられるなんて、生きている間の中では絶対に体験出来なかっただろう。本音を言えば体験したくなんてなかった。
「どうしたんだい?」
「――――」
デウスの顔は彩の相貌を見ても変わらない。
それは隠しているというよりも、本当に理解していない笑みだった。――それが最後の地雷を踏み抜くなんて、このデウスはまったく思わなかっただろう。
「死、ネ」
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