第四話 デウス
夜も更け、深夜に突入を開始する。
既に日付も変化し、本日は完全な休日となっていた。相手側がそれを理解していれば此方の個人情報を完全把握しているという恐ろしい状態なのだが、流石にそうではないと思いたい。
布団を敷かず、今俺の目の前には一つの折り畳み机だけがある。上には二つの湯呑が置かれ、中には湯気を上げるお茶が入っていた。
普段入れていないお茶を用意したのは、俺なりに真剣な気持ちを目の前の彼女に察してほしかったからだ。
実際に口にするのは簡単だが、それでもどう最初に聞くべきなのかが今一俺には解らない。そもそも真面目な話が俺は苦手で、出来ることなら何時までも日常的な会話だけをしていたかった。
しかし予断は許されない。明日には何処の誰とも知れない相手が現れ、彼女を保護するつもりだ。
彼女の話を聞く限り、やはり相手は件の迷彩柄だろう。他に予想を立てられる訳でもない以上、必然的にそちらになるのは自明の理だ。
彼女は俺の雰囲気に身体を硬くして正座している。俺が真面目な顔で普段はしない事をしていた為、何かしら良からぬ事が起きると覚悟しているのだろう。
実際にそれは当たっているのだが、彼女にそのような顔をさせたくはなかった。
何時までも笑っていてほしい。そういう願いは決して大きなものでもないだろう。
「……何も言わずに、これを読んでくれ」
差し出したのは白の封筒。中には当然例の紙が入っている。
彼女は恐る恐る封筒の中に入っている手紙を開き、そこに書かれた文面に目を見開く。大して長い文章ではないが、それでも今の彼女にとっては決して小さくない驚きが襲ってくるだろう。
身体を小刻みに震わせ、息も荒くなっていく彼女の様はさながらトラウマを抱えた人だ。
俺はその姿を他に見たことがある。何せ、五年前のあの時のトラウマを引き摺る人間は未だ無数に存在しているのだから。
彼女もそうなのだろうと思いたい。思いたいが、彼女の場合は恐らく事情が異なる。
最初から触れなかった諸々全て。そこに彼女が追われる理由がある事は明白だ。
「……ごめんなさい。今まで黙ってて」
長く重い沈黙の後に彼女が出した言葉はそれだった。
らしいと言えばらしい。彼女とは一週間過ごしたが、一度も悪態を吐いた事が無い。此方が悪いと言っても決して気にせず、御飯一つにも一喜一憂していた。
風呂ですら遠慮されていた事を思うに、彼女は誰かに甘えるのが苦手なのだろう。
そうだからこそいっそ過保護なくらいに気にしてはいたものだが、この状況を思うに別の理由もありそうだ。
ならば彼女自身から話し出すのを待つ他に無い。俺が問い質したとしても即座には言葉に出来ないだろうし、彼女が勇気を持つ時間は必要だ。
それでも、もう彼女は話さない訳にはいかない。逃げる時間は皆無となった。
「……私は、貴方達が言うところのデウスです」
今度の沈黙は長くはなかった。けれど彼女の零した単語は決して無視出来るものではなく、俺は彼女の発言に目を細めて答える。
もしかしたらという可能性が無い訳ではなかった。時折漏れたニュースに関する感想もそうだし、今時他国に住む普通の人間が日本に来るのも考え難い。
他は陸続きの場所が多くあれども、日本は島国。そして海は未だに危険性が高く、迂闊に進出は難しい程だ。
わざわざ此処に外人が来る必要性も薄い。今は観光名所すら半ば以上放棄ぎみなのだから、此処に来る外人の大半は軍人と認識しても間違いではない。
それに、彼女の言葉は少なくとも戦場を知らなければ解らないモノだ。その時点で、彼女の正体もある程度判明してしまうものである。
「やっぱりそうだったか――いえ、そうだったのですね」
背筋を伸ばし、此方も正座の形に移行する。
相手は人類の守護者。人権を超越した権利を保有する、正しく仰ぎ見るべき存在だ。
確証が無かったから今まで砕けた言い方だったが、今回で確定となった。ならば口調も改めるべきかと出来る限りの丁寧語に変えていく。
もしも砕けた言い方について文句を言われれば、言い訳はしない。失礼にも程がある態度だったのだから、相応の罰は受けて然るべきだ。
だが、彼女はそんな俺の態度に慌てて首を左右に振った。
「止めてください!そんな態度をされるような者ではないんです!!」
「いえ、貴方はデウスです。その時点で、貴方は私共よりも立場は上です」
彼女は本当に、優しい性格なのだろう。いくらでも今の俺を叩ける要素があるというのに、対等を求めている。
しかし彼女はデウスだ。そしてデウスである時点で、彼女達の存在は敬われるものである。こういったプライベートですらそれは勿論適応されるし、何処の店でも専用の入り口を設けているものだ。
彼女が対等を求めても、それは出来ない。だから頭を下げて謝意を示すが、彼女はまったくもって納得しなかった。
「お願いですから何時も通りにしてください。そちらの方が私は好きです」
「ですが……」
「この際命令でも何でも構いません。どうか普段通りでお願いします。それに、続きを話せません」
デウスに対し砕けた言い方をするのは御法度だ。しかし、こうして命令されたのであれば聞かない訳にはいかない。
それにメインはそこではないのだ。話さないと言われてしまえば、俺は渋々でも納得する他に無い。
解ったと返せば、彼女は嬉しそうそうに微笑んだ。アンドロイドという機械の要素が混ざっているにも関わらず、その笑顔は本当に人間と同等に綺麗なものだった。
互いに正座のままに、茶を飲みながら彼女は話を続けていく。そこに一部の嘘も無いと証明する為に、指抜きグローブに隠していた情報チップを取り出した。
俺はそれを見て自身の携帯端末を取り出すものの、彼女はそこに待ったを掛ける。
「民間に販売している端末は私達関係の機密情報を閲覧した場合、軍部に流れます。突破する為のプログラムを流しますので、御貸しいただけますか」
ここにきて否を言うつもりはない。そもそも彼女との接触そのものが連中にとっては良いものではない。
ならば俺が行き付く先も容易に想像出来てしまうものだ。多少秘密を覗いたところで何も変わりはしないだろう。
彼女に端末を渡し、握る。直後に端末にノイズが走り始めるも、数秒後には普段と変わりない状態になった。見た目の変化はまったくないものの、それで突破は完了したのだろう。
改めて一昔前に存在したSDカードと同等のサイズである情報チップを端末に差し込む。
そして表示された画面は、一つの計画名だった。しかし、その計画内容を読めば読む程に嫌悪感に支配された。
「プロジェクト・マキナ?」
簡単に言えば、デウス達は人体と機械が半々に存在する者達だ。
その半々の比率を変え、機械を九割にしようという計画である。必要な箇所は脳味噌のみであり、それ以外のあらゆる全てを機械に置き換える訳だ。
これのメリットは、やはり生体パーツの限界を機械が超えられる事か。しかしその見た目は大分変化するし、完成予定の設計図を見る限り化け物も同然だ。
それに脳味噌が必要ではあるが、デウスを作る過程において新しく培養された人工の脳味噌を使う訳ではない。
使われるのは、今この世界で生きている人間だ。つまりこの計画は、率先して非人道的手段を取ろうとしている。
数年前であればそれもまた致し方無しと認められたかもしれないが、今この時代ではそれは非難されて然るべきだ。
「携わっているのは殆ど軍部の人間です。ですが、一部の政府高官や研究所も一枚噛んでいます」
彼女が苦々しく告げているのは、それをやっているのがデウス達が守るべき人間だからだ。
誰だってこんな真似をする者達を守りたいとは思わないだろう。俺も当然、彼女の気持ちは理解出来る。
これを阻止したいと考えるのも、人類を守るのならば当たり前だ。故に、彼女は逃げ出して来たのかもしれない。
何処かと聞かれれば、恐らくは軍に。そして、その段階で彼女達を追っていた存在に目星がついた。
となれば、当然ながら俺が勝てる相手ではない。警察機構も裏で取引をしていれば助けてはくれないだろうし、彼女も捕獲されればどうなるか定かではない。
タイムリミットは件の相手が来るまで。手紙に指定された時刻は、午後一時を示していた。
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