第三十九話 女尊男卑
追ってくる対象は全てが男だ。
そのどれもがゾンビの如く直進し、数が数だけに回避は不可能も同然。高く跳ねる事が出来れば回避も出来るだろうが、少なくともジャンプ台が無い状態では成人男性一人を空に浮かせるのは難しいだろう。
故に対策としては正面切っての戦いよりも時間稼ぎ。リュックより閃光を発するスタンと煙を発するスモークを取り出し、そのまま相手に投げ付ける。
理性がまるで感じられないとはいえ、いきなり物を投げ付けられれば流石の彼等も本能的な警戒の一つはするもの。
顔面にそのまま命中した男は足を止めさせ、それを拾う。しかしその手段は悪手としか言いようが無い。
咄嗟に腕で視界を遮り、直後にスタンの小さな爆発音。同時にスモークの流れる音も聞こえ始め、おずおずと目を開いて周囲を確認すれば誰も彼もが呻いている。
流石に全員ではないものの、先頭が足を止めたのは確か。勢いの付いた群衆の先頭を止めれば、いきなり止まれない後方は容易く躓く。
怒声が聞こえながら煙の中で更に後ろに向かって走り、そのまま彩達の居る場所へと戻る。
戦闘は避けるべきだ。根本が不明な上に関わる必要性も無い。此処が最初の時点で誰も住んでいなかったゴーストスポットと解った以上、何かしらの企業の裏が関係しているのは明白だ。
軍である線も無いではないが、それならばもっと警戒は密にしているだろう。俺がこんな手段を使っても今頃はライフルの一発や二発で容易く身体を撃ち抜かれている筈だ。
だからこそ、此処には企業の手しかない。何故ネットに此処のスーパーの情報が載っているのか甚だ不明であるが、企業側が何かしらを画策してそうしたのだろうと思う他にない。
何にせよ、このままなら無事に脱出可能だ。ズボンから携帯端末を開けば、そこにはかなりの数の着信履歴。
俺が銃撃を行う少し前から通信を用いた電話があったようだ。それに対して周辺を気にしつつ、俺はたった今バイブ音を響かせた携帯端末を耳に近付けた。
「すまんッ」
『やっと繋がりましたね!?色々と言いたい事はありますが、先程の銃声は何ですか!!』
「状況説明は出来るが、理由が解らん。端的に言って今現在この街のほぼ全ての男に追われている。スタンとスモークで一先ず難を逃れたが、この辺りには身を隠せる物が少ない。捜索されれば再度見つかるだろうな」
『最速で目指します。それまでは迎撃はせずにお願いします』
「解ってる」
携帯端末の通話を切り、話している間に発見した崩壊気味の建物に駆け込む。
二階部分まである建物はこの近辺では珍しい。殆どが崩れているから余計にその高さが目立つ。
その二階にまで登り、割れた窓を覗き込んで未だ呻き声の聞こえる群衆を眺める。リュックは床に置いておき、中から追加のスタンとスモークを取り出した。
どれもこれも結局は殺傷を優先した物ではない。従って見つからない事が最優先であり、もしも見つかった場合に備えて出口は複数個所用意しておいた方が良い。俺が二階に登ったのは単に様子を確かめるだけであり、もしもこのまま連中が此方に向かってくるのであれば即座に追加をばら撒くだけである。
しかし立ち上がった彼等はまったく進もうとはしない。既にスタンもスモークも効果切れになったというのに、彼等はついに呻き声すら発さずに立ち尽くすのみとなった。
案山子も同然となったその姿は一種の恐怖だろう。何も知らずに見ても異常過ぎて即座に来た道を戻るに決まっている。そんな様子がかなりの後方まで至っているのを眺め、しかし同時に疑問も浮かんだ。
男達が一斉に動き出したのは解っていたが、女達は一切動いていない。遠目で見ているものの、女達は男達の姿を見ているだけだ――――いや、違う。
俺の視力を限界まで酷使して女達の様子を見る。断定は出来ないものの、女達の表情は皆一様に嘲りを含んだ笑みだった。
男達を馬鹿にしているのは一目瞭然。男達もそれは解っている筈なのに、男達はそれに対して何の文句の声も上げない。
そして女達は何事かを男達に告げた。内容そのものはまったく解らないものの、その言葉によって直後に男達は動き出す。大部分は崩れ掛けの建物に入っていき、それ以外は先程のように周辺を歩き出した。
一部の男達は女達に跪いている。その頭を踏まれようとも決して拳を振り上げず、ただただ黙って踏まれ続けていた。
その姿はさながら奴隷である。あまりにもの状態に一先ず携帯端末に情報を記録しておく。
何に使えるかは定かではなくとも、街を含めた全体の情報を端末に記録させておけばこの付近に次に近付いた際に回避出来る。流石にこれをずっと覚えていられても、地図上の何処とまでは覚えてはいられない。
音声データまでは用意出来なかったものの、十分と言えば十分だ。俺にとって最悪の街であれば、それだけで近付かない理由になる。
こんな場所は二度と御免だ。さっさと去る事にしようと決めて、しかしはたと考える。
俺は逃げた。そして現状俺の視点で言えば逃げ切ったと見えるだろう。だが相手側がそんな容易く逃がしてくれるか?例え軍のような発信機などが無いにしても、見た限り男達は皆奴隷も同然だ。
周辺を捜索させる程度は当たり前にするのではないだろうか。少なくとも俺だったらそれを選ぶ。であれば、何故あの女達はそれを命じなかったのか。
見逃しても大丈夫だったから?此処には二度と近付かないと考えたから?それとも、他の方法で既に補足している?
薄ら寒い予感を覚えた。喉元にナイフを突きつけられたような感覚を抱いた。
可能性としては十分にある。男達が踏まれていたのは単なる罰なのだろうとも考えらるが、此方に対する挑発ともとれる。お前もこうなるんだぞと告げていると思えば、突然の行動にも意味を感じられてしまった。
つまりもう俺が此処に隠れていると解っているとしたら、今直ぐ動き出す必要があった。例えそれそのものを予測されていたとしても、今ここで動かねば最悪が襲ってくる。
「……とか、考えてたんでしょ?」
「――ッ!?」
だが、その時点で既に遅かった。
耳元で聞こえた声。窓の様子を眺めていた俺には離れられる距離がそもそも無く、故に一度距離を開ける事は出来ない。出来るのは精々ゆっくりと顔を声の方向に動かす事で、その所為で嫌でも至近距離で対面する事になる。
そうして顔を声のする方向へと動かす。呼吸音は聞こえず、そもそも背後に誰かが居るような感覚が無い。まるで最初からそこに居なかったような錯覚を抱かせる相手は、されど一度でも視認すると決して無視出来ない美を持っていた。
性別は――男性。銀の髪で右側だけを隠し、唯一見える左目には銀縁のモノクルが付いている。
薄っすらと浮かぶ笑みには優しさが滲み出ていて、それが表面だけのものであるとも一瞬で気付いた。かなりの至近距離に居る所為で服装などは不明だが、少なくとも顔はかなり女性に受けるだろう。
いや、最早そういった領域ではない。
視認し、顔を確認した直後に即座に理解に及んだ。目の前の男は確実に女の敵となる。
まるでレディースコミックから抜け出てきたような細い顔だけでも受けるだろうし、先程聞こえた声は甘さを多分に含んでいる。それでも十分に効果があるだろう。
だが、だがだ。それでも俺は解ってしまう。この男は酷く表面的な部分しか見せていないのだと。
容姿もそうだが、あまりにもその精神が人間らしくない。その正体が何であるかは、一度でも深く存在を知っていれば解るものだ。
「……アンタ、デウスか」
「へぇ、解るんだ?」
「そりゃ、そんな面してればな」
現在製造された中で野良のデウスは基本的には存在しない。しかし彩のように他にも居る可能性は考えていた。
それがこんな形で出て来た事実に後悔しつつ、次いで聞こえた破壊音に無意識に顔を動かす。壁を無理矢理破壊しての突破が出来る相手は三人しか知らず、そして出て来た人物によって目の前の男型デウスも相手が何かを理解した。
「その人に、何か用か?」
土煙を上げながら出現した彩は、背後に鬼を幻視するような威圧感を纏っていた。
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