第三十四話 一期一会の友
俺の考えた予想は青年には酷く予想外なものに映っていた。
その為に最初こそは否定し、理由も確り述べて俺達はただ単に被害に合ったのだと言っていたのだ。
勿論そちらの方が正しい可能性はある。寧ろそちらが確率としては高く、逆に俺の確立の方が低いだろう。
それに彼の語る通り、青年達はただの被害者だ。怪物に襲われるなど不幸以外の何ものでもなく、故に必要以上に不安を煽るのは止めておくべきなのかもしれない。
しかしだ。数ヶ月前の俺ならともかく、今の俺は前よりも軍を信用することは出来ない。
警戒はすべきであるし、何よりもネットでここまで直接的な真似をされれば考えない訳にはいかないだろう。
街一つ襲う規模であれば、他の街とて襲う可能性がある。その前に軍が処理していれば被害は最小に済んでいるものの、居なくなった民衆を無かった事にするのは間違いだ。
今正に倒れそうな被害者が目の前に居る。それを無視するということは、最終的に人口減少に繋がるだけだ。
「――だけど、この事をお前が言っちゃいけない。言えば即座に捕まり、殺されるかもしれない。最悪の可能性として、何らかの実験体にされかねない」
「おいおい……嘘だろ」
力無く顔を俯かせる青年は、正に絶望を体現している。
この御時勢、戸籍確認から零れてしまった人間は以前よりも遥かに多い。役所も以前の把握率を維持する事は出来ず、特に人が極端に減少していた一年か二年の間の内に生まれた者は登録されていない方が多い。
今この瞬間から彼は自身の故郷を秘匿し、新たに戸籍を作れば生き残る事は出来る。軍側も街の住人一人程度の顔まで判別する事は出来ないだろう。
幸いにして今の時代であれば戸籍を新たに作るのは難しい部類ではない。無論簡単でもないが、それでも田舎の役所であれば比較的上手くいく。特に戸籍を元々持っていない者に同情を寄せる人物が担当であれば、何も言わずに目を瞑ってくれるケースもある。それは違法も違法であるので悪用は厳禁だが、善意とは時に違法に繋がるものである。
その説明をしたが、彼等の表情は暗い。
それもそうだ。何せ彼等は見た目的にまだ十代で、とてもじゃないが成人には見えない。
これからの生活を国家に頼ろうとするのは必然であり、だがその目論見は完全に崩されてしまった。俺の言葉がもしも真実だったとしてと考え、どうしても動けなくなったのである。
悪いとは思うし、申し訳なさもある。だがまだ、彼等は普通の生活に戻れるだけの可能性があった。
これから上手く生活していけば十分に日常を謳歌出来る。だから、絶望するには早い。
「ごめん。お前にとって嫌な話だろうとは思う」
「……いや、アンタの言う通りだよ」
嫌な話だ。怒りに身を任せて罵倒が飛んできてもおかしくはない。
それでも青年は俺の意見に是と頷いた。その顔は焦燥そのものだが、しかし目は曇っていない。
前を向いて考えようとする姿は十代とは思えぬ精神性だった。諦めずに折れないだけでも生きていく力になる世界において、死ぬ気で足掻ける姿は主人公のようにも見える。
青年が突如として浮かべた獰猛な笑みに、口元が緩んだ気がした。俺も負ける訳にはいかないな。
追加で三つ分の食料を取り出す。中身は焼き鳥で、旅の中では滅多に食べられない肉だ。
今日はもう此処に泊まると決めている。であれば、これから先は親睦会にするべきだ。俺の周りに居る娘達の紹介もしたいし、彼の背後に居る女性についても気になってはいる。勿論互いの地雷は回避するように動くが。
「割り箸を一杯持っててこれほど良かった日は無いぜ」
「ありがてぇ……恩に着るぜ」
一々箸を洗うのが面倒過ぎて買っておいた業務用割り箸がこんな場所で日の目を見るとは、流石に予想外だ。
常に食べるのは俺ばかり。他は遠慮して食べようとしないので、誰かと食べるというのは実に久し振りだ。こうなってくると職場の同僚との食事も懐かしく感じるものである。
小気味よい割れる音を響かせながら、軍用の無駄に固いプルタブを開ける。中にはスーパーに売られている物よりは品質が劣るものの、輝く肉や魚があった。
いただきますと言う前に青年はその缶詰の内の一つを背後に居る女性に差し出す。彼女の事にも確り気が回せるのは、それだけ大事に思っているからなのだろう。
「どうだ?一緒に食べようぜ」
「そうだよ、千代。お前もこっち来いよ」
俺達の関係は一期一会だ。この一泊が終われば、そのまま別れる事になる。
少しくらいはこの旅に明るいものが欲しい。互いにそう思っているのか、俺も青年も口調は明るめだ。
女性も久方振りに青年の明るい声を聴いて顔を綻ばせながら此方に近寄ってくる。彩はその女性に視線を向けているが、無粋だぞと睨んで止めさせた。
必要以上の警戒はこの場には必要無い。彩達もどうだと言うと、しかし彩だけは断った。
そこに拗ねた色は無く、また寂しさの色も無い。自身が混ざる価値が無いとでも思っているのだろうか。そんなことはないというのに。
だが、誰かは周囲を警戒する必要があるのは確かだ。彼女がそれをするというのなら、止める道理は無い。
ワシズとシミズは此方の輪にあっさりと入って来た。見た目的に明らかにこの中で最年少な彼女達は、それだけで青年に心配されてしまう。本人達はまるで気にしていないが、見た目だけで言えば心配されて当然だ。
「こんな子まで難民とは……嫌な世の中だよ。本当に」
「まぁ、な。お前達だって若過ぎるくらいだ。何歳だよ?」
「今年で十九。高校は卒業して大学に進んでたんだけど、今じゃもう大学すら無い可能性があるな」
十九。その年齢の時、自分は一体何をしていただろうか。
数年前だというのにあまり思い出せないのは、それだけ空虚な思い出しか残っていなかったからか。
友人も知人も確かに居た。しかし卒業後は疎遠となって、携帯端末に登録している電話番号は全て同僚や家族のものばかり。電源を切ったり圏外の場所にも居た所為で電話の一つも来ず、メールもまた無い。
いっそ死んだと思われているかもしれないなと思いつつ、それで良いと俺は思っていた。
下手に関わってしまうより、死んだと思われていた方が安全だ。触らぬ神に祟りなしを続けていてほしいものである。
誰かとの食事は箸の進みよりも口の進みの方が早い。
青年は高校の頃の思い出を、俺は仕事の愚痴を。互いが互いに交し合い、そこは小さな宴となっていた。
その中で一言も女性は話をしなかった。ただ青年の方を穏やかな金の眼差しで見つめるだけで、一向に口を開かない。喋れないのだろうかと思いつつも、そこを突いては地雷を踏むだけ。
先程は奇妙な瞳の変化を見せたが、それを除けば彼女は十分に美少女だ。肌が土で汚れていても、頬だって痩せていても、女性の輝きは失われてはいない。
首筋までの長さで揃えられた黒髪。前もそこまで長くはなく、眉毛を隠すくらいだ。
ボロの毛布から手を出しているので全体の体格は不明なままだが、腕自体は心配になる程に細い。栄養を確り取らなければその内倒れるのは確定だ。
青年も女性と同じくらいに痩せてはいる。長い間食べていなければこうはならず、故に今俺があげただけの食料で大丈夫かどうかは激しく疑問のままだ。
だが俺にも限界はある。これ以上をあげるのは流石に許容を超えているし、追加で入手しようと思ったらそれなりに金も飛ぶ。だから、俺に出来るのはここまでだ。
青年もそれは理解している。嬉しそうに缶詰の中身を食べている顔に不満は無いのがその証拠だ。
夜へと時間は傾いていく。明日の朝には互いに別れてしまうことをやはり何となく寂しく思いながら、俺達は会話を重ねていった。
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