第三十一話 暗雲杞憂
「あの、本当にすいません」
朝。
雲の少ない青い空が見え始めた時間帯の中で、俺達は後方の敵を警戒しながら進み始める。
本来は十二時の方向に進む筈だった道が三時の方向に進んでしまったので、元の十二時方向になるように修正を効かせていかなければならない。
これまでの道の途中で既に埼玉には突入したも同然となっているので、このまま長野に向かうのが俺達の予定だ。
未だ大いに敵の影が出現する確率が高い。俺達の間に会話らしい会話は存在せず、常にアンテナを立てているような気持ちで警戒を続けている。
そこに緩い雰囲気は無く、至って真剣そのもの。寧ろこの締まった空気こそが正常だ。
「此処はもう殆ど埼玉だが、同時に東京にも極端に近い。防衛戦力が集中している以上、監視の数は多いと見るのが普通だろうな」
「私が戦った先は北海道近辺だったのですが、それでも監視の目の殆どは人間です。熱源を誤魔化せない限り周辺スキャンで発見は可能です」
主戦場と内地ではまた監視の種類も違うと思うのだが、それでも彼女の小声での助言は考える材料になる。
やはりどこまでいっても軍は軍か。彼女達に任せるのは戦いのみで、それ以外に関しては人間を使っているのだろう。もしくはセンサー等の機械類を用いているのだろうし、寧ろそちらの方を重要視しているのかもしれない。
無闇に活用し過ぎないのは良いのかもしれないが、その分デウスには危険を押し付けている。基地内部で彼女達を巡回にも出させていない事を思うに、恐らく本当に道具として見ているのだろう。
それは悪だ。中身が自然界から生まれた者ではないとはいえ、それで道具扱いは無しに決まっている。
だがしかし、それで助かるのもまた事実。
今も昔も最後には人力頼りであるのは変わらず、対処も昔と変わらない。
それにセンサー類も数に限りがある筈だ。俺達が常に量産しているとはいえ、それでも足りない箇所は足りないままだろう。上司の贔屓なんてもので他よりも多く在庫を持っている場合もある。
人間関係は兎に角難しく、また無くてはならないものだ。平和な頃にはそれに嫌気が差して在宅ワークやブログライターに走る者が続出していたし、今もそれは変わらない。
変わったのは、昔よりも人間関係がより必要になったことだ。物々交換も時として必要になるこの現代において、近所との繋がりが必ずしも悪い方向になることはあまりない。
それが命を繋ぐこともままあるのが現状だ。俺は仕事の関係上近所付き合いは皆無であったが、そういった話は周辺を歩いていると耳に入ってくる。
ただし、何処の時代でも元犯罪者に向ける目は冷ややかだ。一度不倫相手を殺害して刑務所に入っていた男が俺の職場に就職したのだが、どこにいっても陰口が聞こえていたものである。
当の本人は仕方ないと頑張って笑みを浮かべていたものの、それでも口元が引き攣っていたのを覚えていた。
会話した回数もそこまで多くはないものの、その男は本当に良い人だった。少なくとも、不倫されるだけの理由があるとはまったく思えなかった。
森の中を進み、時折止まって携帯端末で迷っていないか調べる。
中は薄暗く、陽の光がありながらもまるで道を決め辛い。同じような箇所が多いのがその最たる理由なのだろう。
此方が確認せずとも進める彼女達は羨ましい限りだ。恐らく数秒前の風景と比較しながら進んでいると思うのだが、その機能を是非俺にも付けてほしい。
それに彼女達はまったく息を切らせてはいないが、俺は既に息を切らせ始めている。
休息を挟んだとはいえ、それでもまだ足りなかったのだろうか。個人的には十分に休んだと思うのだが。
だがそれを表に出してはいけない。彩に過剰に心配されないようにと、例え無理矢理にでも平静を装うのだ。――それでも見抜いてくるのが彩なのだが、彼女は決して空気を読めない訳では無い。
何より彩は今申し訳なさを抱えている。もしもの時はそれを利用させてもらうとしよう。
「……抜けましたね」
「地図上でも此処で森は終わりだ。数年前は街があったそうだが、今じゃ完全に瓦礫の山だな」
歩き続けて数時間。
景色の変わらない森を進み続け、漸く出口を抜けた。その瞬間に陽の光の強さが襲ってくるも、今はただ迷わずに抜けられたという安堵の方が強い。服は相変わらず汗で最悪だが、これは次の休憩の時に着替えるとしよう。
俺達の進むべき道は長野だ。当然、人の足では何日も必要となってくる。
埼玉に滞在している間も問題事は多い。千葉でもそうだったが、やはり東京方面と隣り合っているのが恐ろしい。
以前であれば防衛設備の多い東京は羨望の的だった。
生き残った店の数も多く、品揃えも豊富。数少ないコンビニも存在し、治安も他の県よりも遥かに良い。
当然それだけのメリットがあるという事はデメリットもある。俺が浮かぶ中で最大のデメリットは、やはりマンションやアパートの家賃が高いことだろう。
そこに新しく建設された自衛隊の基地は、最初から怪物を対象にされたものである。
それだけに人に対する備えは少ないものの、そもそも怪物を倒す時点で持ち込まれた装備は人間を十数人は纏めて殺せる代物だ。新型も最優先で回され易く、故にそこが他県に向かって移動を部隊を派遣する事態は大事に発展しやすい。
最後に明確な形で動いたのは一年前の東京湾強襲事件だろう。
海中に潜む竜種が出現し、東京を襲った事件だ。あの当時はデウスの大部分が別の場所へと向かっていた為に、残されていたのは東京の防衛戦力と数人程度のデウスだけだった。
今で言えば東京湾強襲事件よりもネッシー事件と言われることの方が多い。あの事件によって海中への備えを更に強める風潮が生まれ、結果的にその当時に生まれた武装が今も多く使われている。
ここで強調すべきは、デウスが少数だったということだ。大物は数が少ないものの、単体の強さが他とは違う。
一度ニュースで流れた限りでは強弱に差があれども大物撃破に必要なデウスの総数は二十か三十は必要らしい。
勿論これが嘘の線も否めないが、それが真実であれば数人規模で撃破出来た事実は朗報だ。東京の部隊も撃破に尽力せねばこの結果は出てこなかっただろう。
だからこそ、そんな部隊が来たら此方が詰む。あそこの部隊に関しては今現在も動かない筈だが、あそこに関係者が居れば最悪動かす可能性も十分に有り得た。
何せ最新の設備も装備も全て最優先で東京の部隊に回されるのだから、一枚噛んでいても不思議はない。
東京を避けるのは最初から確定されていた事だが、再確認してみると余計俺達にとっては地雷だと解る。
どれだけ東京の最新設備が欲しくとも、それは出来ない。そしてデウスの製造場所である研究施設がある場所は――東京だ。
最も彼女達に必要なメンテナンス部品を獲得出来る場所が一番の危険地帯である。故に他に手に入れる手段としては、他のデウスを破壊して奪うしかない。
もしも製造している場所が他にあれば良かったものの、そうでないならもう犯罪行為を重ねるしかないのだ。
既に俺達はお尋ね者。勝手に悪者にされている以上、軍は勝手に処理をしてくる。
「前途は多難だ……」
「……そうですね。ですが、私達が全力でお守り致します」
溜息混じりの言葉が思わず出て、それを彩に拾われてしまった。
彼女は俺の理由を他とは違うものとして受け取ったのだろうが、それを訂正する必要は無い。
そうだなとだけ返す。未だ軍や傭兵が来るような気配は無く、どうやら完全に此方に意識を向ける余裕を失ったのだろう。
追い掛けてくる気配の無い結果に杞憂だったかと一先ずは安心した。同時に、俺は普通の生活は出来ないと改めて感じさせられた。
今後もこんなやり取りは続く。出来れば一ヶ所に定住したいなと思いつつも、それは絶対に出来ない。
味方してくれる誰かはいないのだ。余程何か別の可能性を発見しない限り、俺達に太陽が昇ることはない。
暗雲は未だに続いていた。
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