第三百六話 世界平和宣言
――その瞬間を人々は熱望していた。
何かの切っ掛けを得て新たに覚醒を果たした彩。その姿は以前とは変わらず、しかし確かに何かが変化した。
その雰囲気も、その力も、孤独を否定し誰かと共にあることを選んだ。帰ってからその内容については聞かねばならないが、それはきっと良い変化ではあったのではないかと俺は思う。
指揮所内は酷い静寂に包まれていた。前線に居るデウス達に飛ばす怒号めいた命令が続いた空間があっただけに、まるで自分を除いた全ての人間が死んだかのような錯覚に包まれる。
しかしそうなるのも当然。更なる力を手にした彩の力は圧倒的で、一気に海の影響を払い封鎖を成した。
同時に、前線からあらゆる怪物達も消失。敵と呼べる存在は全て消え去り、今も指揮所には無数の通信許可の信号が光輝いている。
だが、それも徐々に徐々にと喜びに支配されていく。
最初は通信兵の誰かが発した終わったのかと言うものだった。それが指揮所内の人間の鼓膜を揺さぶり、互いに顔を見合わせ、次の瞬間には全員の顔に笑みが浮かぶ。
終わった、終わったのだ。倒すべき敵を退け、無事に世界を平和に導いた。
一度それを理解すれば、もう誰にもこの波を止められない。轟音とも呼ぶべき喝采の声に思わず耳を指で塞ぎ、繋がったままの端末に周辺警戒をデウス達に頼む。
怪物達の熱源反応が一つでもあればこの喜びは瞬く間に消える。例え数が少なくとも、間違いなく意表を突かれたと驚きを露にするだろう。
それを察してか直ぐに元帥殿も喜ぶ者達に一喝する。
まだ完全に平和になった訳ではない。調べに調べ、デウス達が無事に帰還するまでが作戦だ。その命令に大慌てで通信兵達は命令を下し、軍側のデウス達もやっと繋がった通信に安堵しながら新しい命令に従った。
端末を彩に繋げる。戦いも終わったその場所で視界共有を行うと、ワームホールがあった場所を中心に地面が大きく抉れている。
その地点を復旧させるには時間が掛かるだろうが、怪物達と比較すれば簡単だ。
「彩。 周辺の状況を教えてくれ」
『……我々の反応を除き、熱源反応はありません。 ワームホールも無事に閉鎖され、空間の歪みも無事に修復されています』
「そうか。 ワシズ達は無事か?」
『私達の方も大丈夫! 自力で帰るのはちょっと難しいけど、頑張って戻るよ!!』
「無理をするな。 無事な者の中から数人のデウスをそちらに派遣する。 デウスが来るまでは警戒するだけに留めておけ」
りょうかーい。
元気な声に安心しつつ、通信兵達の情報に耳を傾ける。ワシズ達が言っていた通り、やはり戦場には怪物の熱源反応が存在しなかった。
それは海中内でも同じ。突然の奇襲に警戒しながらも海を調べ、一匹も居ないことが確認される。
少なくとも戦場と呼ばれていたあの場にはもう怪物は居ない。それが判明すればする程に高官達の喜びも高まり、三時間掛けての調査の結果は完全な消滅を示すものだった。
通信越しの兵達の言葉にも喜びが混じり、中には泣きそうな声もある。死ぬだろうと言われた場所で無事に生還出来たのだから当然だ。
そんな場で突然元帥殿の傍に置かれていた電話が鳴る。これはこの国の総理大臣に直接繋がる電話で、他の大臣に報告が邪魔されることを防ぐ為に用意されたものだ。
総理本人にも許可を貰った上で設置し、しかし本来は向こうが掛けてくる予定は無かった。
「何か起きましたか?」
『郷島元帥ッ、先程米国と中国より緊急の情報が入った。 未だ国内全域を調査中とのことだが、あの怪物達の姿が一斉に消えたそうだ! ――もしや、君達が終わらせてくれたのかね!?』
一瞬、元帥殿は俺に目を向けた。
真実を口にしても良いのか。その確認をしたいのだろうが、ここで態々隠す必要は無い。迷い無く首肯すると、元帥殿は周りにも聞こえるようにはっきりとした口調で真実を語る。
「総理。 先程ワームホールの閉鎖を済ませ、怪物達の消滅を此方も確認しました。 ――作戦は成功です」
軍のトップの宣言に、誰しもが喜ばずにはいられない。
勝った、勝った、勝ったのだ。人間の身では絶対に勝てず、かといってデウスが戦っても勝利出来る可能性は限りなく低かった。
本来ならば一国だけで立ち向かう敵ではなかったのだ。それが成せたのは紛れもない奇跡が起きたからであり、皆が英雄である彩に関する話をしていた。
スピーカーモードで通話をしていたお蔭で総理の喜びの声も聞こえ、漸く全ての戦いに決着が付いたのだと軍に感謝の言葉を口にしていた。
一応は日本全域を調査しなければならない。しかし、怪物が潜んでいる可能性は低いだろう。例え潜んでいたとしても元は液体だ。まともな思考など出来ず、直ぐに予備兵力のデウス達によって殲滅される。
目下最大の脅威は消えたのだ。浮かれてしまう気持ちを誰が抑えられるだろうか。今だけは元帥殿も心からの笑みを浮かべ、デウス達の撤収準備を進めさせている。
今後、この基地は沖縄再建の際の物資倉庫となる筈だ。基地そのものは破壊されることも視野に入れていたので確定ではなかったが、最終的には何の傷も無く戦いが終わってくれた。
全身に広がるのは安堵だ。
まだ実感は薄いが、きっと数日もすれば飛び上がらんばかりに喜んでいるに違いない。それは街に居る人々も一緒だろうし、世界全体でお祭り騒ぎが起きるのは確実だ。
流石に上層部がその祭りに参加することは出来ないものの、浮かれるのだけは避けられない。
そう思っている俺の真横に光が発生する。突然の不可思議現象に全員が驚きと警戒を込めた眼差しを送る中、出てきた人物達に一斉に息を吐いた。
彩を先頭にシミズの肩を借りて歩くワシズの姿。X195は一歩後ろを進み、更に後ろでは十席も出てきていた。
彼等の姿は傷だらけだ。皮膚装甲が剥がれた個所が多く、ワシズの足首は摩耗によって機能を喪失している。だから引き摺られているしかなく、この中では一番最初に修理を受けてもらわねばならない。
端末越しに見えていた彼女は、実際に見ると神々しさを感じた。人が神を見るというのはこういうことなのかもしれないと思わず拝みそうになり、そうなる前に彩の方が先に動く。
「……っと」
「ん……」
椅子から立ち上がった俺に彩は抱き着き、犬が人に甘えるが如く俺の胸板に顔を擦り付けている。
周囲の視線を感じる中でその行為をするのは流石に勘弁願いたいが、彼女にとってもこの勝利には大きな意味があるのだ。
何千の周回の果てに今回の結果を掴み取った。その意味は大きく、きっと彼女の内に居る歴代の彩達も喜んでくれていることだろう。
少なくとも、これで俺と彩には明日が生まれた。絶望だらけの世界に光が差し込み、足掻くだけの時間が与えられる。
そこから先で何が起きるかは全て解らない。まったくの未知が待ち受ける世界に、しかしどうしようもなく興奮している自分が居た。
俺の人生は今回で初めて進む。老いて死ぬか、病に倒れて死ぬか、それとも何者かに殺されるかは定かではないが、それでもこれまでとはまったく異なる理由で死ぬことだろう。
涙は流れなかった。彼女と顔を見合わせ、ただただ笑みを浮かべ合った。嘗てここまで素晴らしい笑みを見せてもらえただろうかと思う程に、それは会心の出来だ。
誰も口を挟まない。今後敵になるかもしれない軍ですらも、今は静かに俺達を見守ってくれた。
ワームホール閉鎖。怪物の消滅を確認。――――日本最後の県・沖縄、奪還終了。




