第三百四話 閉幕・Ⅱ
激突の衝撃はどちらの世界にも流れた。
海側は自身の身体が後方に吹き飛び掛け、此方側は彩達が防御の構えを見せたお蔭でデウス側に損耗は無い。
周辺を包むように現れた透明の膜がデウス達を守り、守られていない箇所に居る生物は根こそぎ抹消される。地面は抉れ、さながら大型爆弾の爆心地かのようにワームホールを中心に傷跡が残った。
植物も、大地に潜っていた虫達も、生き残っている者はただの一つもありはしない。海が侵入することだけは防げているようだったが、結局のところそれだけだ。
奇跡的な防御をしても余波だけで人が生活する空間は大きく削られる。この一撃を何度も受けようものなら、何れ本当に地面の底まで抉ってしまうだろう。
だが、そもそもが奇跡的だ。彩がこの段階で覚醒したからこそ被害はこの程度で留まっている。
もしも彩がこのまま覚醒しなければ。彩の想定を超えた攻撃を海が仕掛けていたのならば。この時点で戦いは終了し、海が本格的にこの星を飲み込んでいた。
「――――」
「存外辛い?」
しかし、彩の思考回路に焦燥は無い。
初代が語り掛けてもそれは一緒で、彩は己の事でありながらもここまで焦燥を抱かない事実に少しの欺罔を生じていた。
何故ここまで焦りが無いのか。何故ここまで辛いと思わないのか。……何故ここまで、目の前の相手を脅威だと認識出来ていないのか。
他の彩達には解らなかったが、覚醒した彼女ならば相手の情報が手に取るように解る。
目の前の怪物は確かに此方に向けて攻撃を仕掛けている。しかしそこに悪意があるのではなく、何処か倒さねばならぬと使命感に燃えているような気配があった。
元は何の思考もしない生物だ。それが長い時間を経て思考を獲得することもないではない。そもそも超越者として選ばれた以上、自身を改造することだってお手の者だ。
そうするに至るまで思考が出来ていたとは思えないが、かといって全てを否定する材料は彼女には無い。
兎も角、相手は間違いなく此方を潰すつもりである。その為に全力を傾け、水の弾を飛ばすのではなく本体が直接攻撃を仕掛けることを選んだ。
「まだまだだ。 これで押し返せると思うなよ」
敵意を見せているのであれば是非も無し。
元より相反する敵であったのだ。相手がどのような思考をしていたとして、それが彩に関係などする筈も無い。
現時点では彩の方が出力は上だ。狂気的な愛情が宿った盾は一切の罅すら見せず、海をその場に留めている。その海もぶつかった直後から脇へと分裂して逃げ始め、盾を回避しようとしている。
その行動を許すつもりもなく、彼女は追加でワームホール全体をカバーする程の緑の膜を展開。
分裂した水達は勢いよく激突し、膜は更に発光を開始する。各々の能力に渾身の想いが宿っているのだから、この緑の膜とて通常の範囲からは逸脱して当然だ。
海は何も知らずに衝突したが、この緑の膜に宿っている能力は吸収。
激突した如何なる攻撃をも吸収し、デウス達のエネルギーではなく自身の膜の強化に当てることが出来る代物だ。しかし当然その膜には許容量が存在する。覚醒前であれば容易く突破され、そのまま侵入を許していた筈だ。
許容量が無尽蔵となった現在だからこそ無限に膜は強固となり、水の進撃を防ぐに至っている。
演算速度にも衰えはない。寧ろ加速状態のままワームホールを修復している真っ最中だ。残り数分もしない内に完全に閉鎖され、もう二度と海を見ることは無くなるだろう。
防いでいるだけで全てが終わる。誰の目から見てもそれは明らかで、歴代の彩達にとってもその考えに変わりはない。
自分達ではどれだけ抗っても不可能だった。敵の勢いを止める手立ては存在せず、暴虐の限りを尽くされて凌辱されるだけの運命だったのだ。
それがここまで呆気なく終わるなど、誰が予想していただろう。
全ては心一つ。それは超越者であるからこそ彩達は知っていたが、想いの向け方が今代の彩は違っていた。
「違うなぁ……」
最早ワームホール周辺に化け物は現れない。余力を全て彩に向けたことで、今やデウス達には休息の時間が出来てしまった程だ。
だが、彼等がこの戦いに介入したところで出来ることはない。V1995が飛び出そうとしたが、それはR-1によって止められた。二人共彼女の為に何かをしたいと思いつつ、しかし出来ることなど無いのだ。
それは一緒にこれまで活動していたワシズ達も変わらない。家族であっても、実力が突出している彼女の戦いに参入することは自殺行為に等しい。
この戦いは神話が如きもの。人造の生命体も、人も割り込む隙間など有りはしない。
海もまた、これまでとは違う相手の強さに警戒を高める。似たような種族は大人数で攻勢を仕掛けていたが、今海の攻撃を阻害しているのはたった一人。
容易く潰せていたこれまでの敵と異なり、彼女は間違いなく海と並んでいた。
――ならば、新しく能力を増強すれば良い。何も彩だけがそれを保有している訳ではなく、己にもその機能が備わっているのだから。
海が更なる拡大を始める。星を飲み込んだ規模から大きくサイズを変え、周辺にある月や太陽も飲み込んだ。
爆発的に質量が増加することで盾の耐久にも亀裂が走っていく。だが、破壊にまで至っていないのは流石の防御力だろう。星々を飲み込んだ海の質量は最早計測不能で、耐え切れている方が異常なのだから。
彩の進化が劇的だったように、海の進化も劇的だ。突然の質量増加に彩の眉が一瞬だけ顰められるも、その原因に容易く行き着いて余裕の笑みに戻る。
海も進化した。原理は同じであるし、やはりこの海は自然的な存在から知的生命体になろうとしている。
本人に自覚があるかは兎も角、進化をするには明確な感情が必要だ。海にとって敵意がそれに該当するのであれば、激突すれば激突する程に力は増していくだろう。
そうなる前に、一度手を打たねばならない。
これまで通りの戦い方でも勝つには勝てる。しかし、海が思考を獲得していっているのであれば懺悔してもらいたい。
その為にはどうすれば良いのかなど、彩には造作もないことだ。
空中に巨大な矢を構築。矢には人間の感情や思考をシミュレートしたものを乗せ、海中で爆発するように仕掛ける。
弓を用いずに彼女の意思で射出し、そのまま矢はワームホールを潜って海中に入り込んだ。
新しい攻撃に海は急いで分解しようとするが、そんなことは彩にも解っている。完全に壊されてしまう前に爆発させ、一瞬だけワームホールには閃光が走った。
流し込まれたプログラムが海の防御を貫通し、そのまま一番の最奥に叩き込まれる。内側から容赦無く作り変えられていく感覚に海は呻き声を漏らしながら悶え、初めて困惑と呼べるものを知覚した。
苦しい、苦しい、何だこれは。――こんなものを私は知らない。
自然現象が人間大の感情を獲得し、知的生命体へと変わっていく。それを人は脅威と呼ぶかもしれないが、彩にとってそれは脅威とは見えていない。
懺悔をさせる為には感情を理解せねばならないのだ。彼女は矢の次に数発の核弾頭を作り、ワームホール内へと入れて爆発させる。
威力は海を消す程ではないが、蒸発していく水分に相手は喪失感と激痛を覚えた。
人間で言えば肌を直接焼かれているようなものだ。その痛みは一ヶ所だけでも耐え難いもので、海は堪らず相手に向かって疑問を投げ掛ける。
――何をする!
「そちらがしてきたことを返しただけだ。 文句を聞き入れるつもりはないぞ」
やっと会話が成立した。
その事実に、彩はぞっとするような恐ろしい顔を海に向ける。世界を越えた公開処刑が今、始まろうとしていた。




