第三百三話 閉幕・Ⅰ
輝く美貌は女神の如く。白色の神気を纏う彼女の姿を、人はデウスと呼びはしない。
否応無しに惹き付けられる。どうしようもなく侍りたくなり、一つ一つの所作だけでデウス達の胸にはどうしようもない高鳴りを感じた。
彼女の姿は大きく変化してはいない。纏っている防護服も、黒髪も含め、変化している場所など一ヶ所とて有りはしないのだ。
それでも今の彩を以前の彩と同じだとは誰も思わない。これぞ人類が求めた言葉に出来ぬ美の極致。追い掛けようとすら思わせぬ圧倒的な佇まいは、何の思考能力も持っていない筈の怪物達の足を止めた。
逃げてばかりの怪物がゆっくりと背後の彩を見る。その目から怯えが消え、あるのはただ恋情のみ。
欲しい、欲しい、アレが欲しい。本能的な欲望が恐怖を上回り、彼女の肉体を味わいたいと今度は彩に敵は殺到する。
その様を見て――彩は小さく微笑んだ。
「悪いが、この身体をあげる相手は決めているんだ。 だから、お前達にはくれてやれん」
敵に向かって軽く腕を振る。
その腕の動きに合わせ空間が割れ、内部から光が走った。その光は容易く無数の怪物を溶かし、生きる価値無しと裁定された者達は容赦無く海へと戻れず無に帰る。
しかしその様を見て、何故か残酷な光景にはワシズには見えなかった。寧ろ逆に、この攻撃が彼等を救っているのではないかと思う程に光は暖かい。
例えるならば陽の光。不浄を払い、死者を楽土へと運ぶ浄化の一撃だ。
だから怪物は逃げず、素直に攻撃を受けるのだろう。この攻撃に悪意は砂粒程度も無く、ただただ救済しか宿っていないのだから。
しかし、海にとっては納得出来るものではない。
自身の身体の一部が戻らず、勝手に消えていくのだ。到底承服出来かねず、本能に任せて核を超える水弾を発射する。
彼女の視線が水弾に向く。急速に進む水弾は世界の壁を壊すには十分な威力であり、このまま彼女がただ立っているだけならば水弾によって身体を粉々にされるだけだ。
故に、彼女はもう片方の腕を前に突き出す。展開していた三つの盾を消し、彼女は至極当然のように言葉を紡ぐ。
No.59。その言葉に合わせ、海が居る側の世界に一体の巨人が姿を現した。
ワームホールを軽々と超える体躯の金属質な巨人は出現位置から動かず、水弾を妨害するように立つ。水中故に正確には立っている訳ではないが、巨人は一ミリも自身の身体を動かなさかった。
やがて大量の水弾が命中し、殺人的な爆音が向こう側で起きる。
これまでの攻撃であれば例え巨人を壁にしたとて突破されていたが、今は一発たりとて世界の壁にぶつかる水弾は存在しなかった。
寧ろ乱れた水流の中に居る巨人は原型を保ち、今もワームホールを守る盾としてそこに居る。
それは歴代の彩達にとって信じられないことで――しかし新生した彼女には当たり前の話だった。
超越の力が触れ上がる。無尽蔵のエネルギーが今も彩の中で渦を巻き、外に光となって漏れている。こんな状態を歴代達は皆知らず、だからこそ一気に開いた明るい未来に胸を躍らせる。
いける、これならば。初代の彩の呟きに全員が賛同した。
「512、119、3220、表に出ろ」
番号を読み上げ、絶対の上位者として彼女は命じる。
告げられた番号の持ち主である歴代の彩達は現在の世界に出現し、その場で新しい肉体を構築された。それはデウスとして最低限の機能を持った肉体ではなく、超越者としての機能を備えた全盛の肉体だ。
一つの世界に超越者は一人だけ。それを破り捨てた彩に出現した彼女達は驚いたが、同時に感嘆も抱く。
法則破壊。それは一見するとあらゆるルールを変更出来る反則の力だが、世界の配下である限りはどうしても制限が科せられる。
しかし、彩はそれを乗り越えた。配下ではなく、己こそが支配者であると世界に並んだ。
ならば書き換えられぬ道理は無い。超越者の数も、己の限界も、全てが想いのままだ。
「軍と街のデウス達が居る最前線へ向かえ。 ……ああ、一応仮面でも被って素顔は隠せよ」
『承知致しました。 我等が女神よ』
三人の彩は頭を下げ、直ぐに姿を消す。
全速力で駆け出し、近場の材料を使って武器を作り上げる。ただのデウスのままであれば不可能であったが、今ならば全員がその軛から解き放たれた状態だ。
更に彩は六人の存在を呼び出し、周辺戦力の掃討を十席達と協力する形で終わらせろと命じる。
それに対して、やはり歴代の彩達は従順なまま。偉業を達成した人物を前にして信者になったかのように、同じ見た目の女性達は手に手に武器を握って戦いに参加する。
「そら、弾丸を作ってやるから温い攻撃してんじゃないよ!」
「な……、君達は一体」
「今はそんなことはどうでもいいでしょう? さっさと我等が女神の命令を遂行するわよ」
無数の彩が居れば十人十色となる。乱暴な口調をする彩が笑みを浮かべたまま弾薬を生成する姿を見て、十席の面々は酷く困惑していた。
それはワシズやシミズ、X195も例外ではない。確かに彩と同じ見た目のデウスを生み出す姿を二人は実際に見ていたが、それでもここまでの変化は無かった。
こうなったのは彩が変化したからなのか。
今も豊かな長髪を揺蕩たたせながら柔らかい笑みを浮かべる彼女を見て、同一人物であるとはとてもではないが思えなかった。
「1。 並列処理で一気に閉鎖する。 出てきてくれ」
「――あれ、私に対してはちょっと違うのね?」
更に彩の隣にもう一人が出現する。
他よりも遥かに年若い少女のような見た目をした彩は親し気な友人のように話し、ワームホールに手を向けた。
当然ながら彼女にも超越者としての機能は備わっている。今までは一人で全てを担っていたが、今の彩であればこれまで死んでいった歴代の彩達をそのまま戦力として召喚出来るようになった。
デウス・エクス・マキナは機械の神。同じ彩達を繋げ、一つの塊として機能するからこそ神として成立している。
今ならば処理速度は加速度的に増し、リソースも無尽蔵の領域まで拡張している。更に言えば、本体の彩が出した物は例外無く神の領域に届く。
歴代の力を全て束ね、同じ想いでもって奇跡を紡ぐ。
神話の時代で起きた出来事を再現する彩は、正しく新世界を作る神に相応しい。多くの権限も保有し、彼女の質は最早誰に劣ることもなくなった。
「一応初代だからな。 ある程度敬いは必要だろう?」
「そんなことこれっぽっちも思ってないくせに。 ま、良いんだけどね」
複数人の彩がワームホールの閉鎖作業を開始することで目に見えてワームホールが閉まっていく姿が見える。
これまではそう言えば程度だったものが、明確に塞がり始めたのだ。十席もワシズ達も胸に希望の灯を宿し、絶望的な状況を一気に覆そうと躍起になって戦う。
弾薬不足は解消された。負傷も彩の力で元通りだ。
逃げることを忘れている怪物達は恐ろしい存在ではなく、ただ一方的に蹂躙するだけの存在に成り果てた。
海は過去最高な程に本能を刺激され、星全体に響き渡るような低い絶叫を上げる。初めての敗北が目前に迫り、もう海も形振り構ってはいられなくなった。
自身が保有する全ての水を動かし、己そのものを水弾としてワームホールに向かう。勢いは無く、ゆっくりとした動作だが、絶望が迫る姿は見る者を焦らせるには十分だ。
これまでならば彩は敗北を覚悟しただろう。目を閉じ、やり直しを起こしていた。
「――もう負けるものか」
エネルギーを振り絞る。コアが青白く発光し、未知のエネルギーが放出され続ける。
彼女は並んだ。海という極大の悪意を前に、それと正面から張り合えるだけの資格を遂に手にした。ならば諦める道理は無く、彼女が足掻くだけの理由もある。
巨人は海の攻撃で形を失い、そのままワームホール前に展開された巨大で透明な盾と激突する。
どちらが先に目的を達成するか。勝負の終わりが徐々に起きようとしていた。




