第三十話 狂愛
デウスとは何なのか。――それは人類の守護者である。
この文面は古今東西のあらゆる条約に記載され、その運用方法についても各国の会議によって作成されている。
一国の保有する最大数。最大階級。専用装備保有数。付加する利権。その他にも細かい取り決めがなされ、今現在は全ての国がそれを守り続けている。
国によっては秘密裏に数を増やそうとする動きがあるが、その大部分は企業が裏で行っていたものだ。
国そのものとしてはこの条約を破る事は無い。否、絶対に破ってはならないのだ。もしも一度でも条約を破ればその国のデウスは完全没収となり、あらゆる支援が打ち切られる。
この世界でデウスを製造しているのは、最初のデウスを完成させた日本だけだ。他の国々が兵器を発展させて対抗しようとしていたのとは違い、日本は独特の感性でもって兵器の発展方向を切り替えた。
完成までの過程は一切公開されていない。開発者も含め、デウス関連の情報は全て特級の機密扱いだ。
これまでの間にデウスを真似ようとする者達は大勢存在した。その結果として完全なロボットや人間らしさの欠如した人形などが生まれたものの、デウスそのものが出来上がる事は無かったのだ。
やはり人間を超えた思考速度や感情表現の搭載が難しく、故にこそデウスの存在は人類の残した大いなる功績の一つとしてギネスにも登録されている。
しかし、やはり人類は自分こそが上位に君臨したいと思うのだ。
完成されたデウスは正しく人類の上位互換。肉体性能も思考速度もまるで勝てる気配を見せず、だからこそ設定された思考には反逆の二文字が許されていない。
自身は人間を守る者。人間に牙を向けてはならず、怪物にこそ牙を剥く。
反逆によるデウス上位の環境は認めない。万が一それを画策する異常が発見されれば、AIの完全リセットか最終的に破棄も決定される。それに対してデウスは否を告げる思考を紡げない。
そのように設定されている限り、デウスは否定出来ないのだ。これは人間に例えれば一種の洗脳と言えるだろう。
その洗脳から脱した極少数が彩だ。以前の軍による間隔の空き過ぎたメンテ期間によって、彼女は明確に故障した。
その故障によって脱出に成功し、結果的に残酷な現実をいくつも見せられたのだ。
人間の飽くなき欲望。煌めく輝きを持つ者を排斥する者。どこまでもどこまでも対等になってくれない現実は、だからこそ今この瞬間の状況を尊いものとして感じ入っていた。
「………………」
彼女は動かない。電池の抜けたロボットが如く、完全に停止している。
しかしそれは思考まで止まった訳では無い。深夜のこの時間で、本当は動かねばならない時間で、されど彼女は湧き起こる感情プログラムのバグの波と向き合っていたのだ。
頭に想起される無数の男の顔。どれもが別々のもので、疲れたものや笑っているものなど無数の表情がある。
その顔を一つ見るだけで胸が高鳴る錯覚が起きた。熱に浮かされたが如く画像の山に突っ込んでいき、次は彼の言葉が再生される。
今までのデウスとしての人生で一度として聞かなかった優しい口調。己の命を危険に晒してでも、全員が生き残る為に思考を止めないその姿。
ワシズやシミズを保護した時の安堵と不安の混ざった吐息に、只野が本当にデウスを愛している事を知った。
去来した感情は爆発的だ。あらゆる優しさが小さな爆弾となって彩を襲い、先程の言葉で極大の爆発を見せた。
好きだ。嬉しく思うよ。照れながら告げた言葉に嘘はまったく含まれてはいない。
只野がそこに嘘を含めないと、短いながらに彩は解っている。これは全部本音で、だからこそ彩は元来持ち得ていた愛という沼に更に嵌まってしまった。
知ってしまえば逃げられない。逃げ出したいとも思えない。
無理だ。不可能だ。この優しさは、戦場を走ったデウスにはあまりにも効果的だった。
――――――致命的なエラーを発見しました。修正不可。修正不可。簡易リセットを行いますか?
黙れ。
平坦なシステム音に、彩は初めて殺意を抱く。
簡易リセットを行えば今までに溜まったバグは消去出来る。しかしそれをするという事は、今彼女の胸中に渦巻いている感情を捨てるということだ。
そして、感情を捨てるという事はこれまでの只野との歩みすら捨てる事になる。
断固として、彼女はそれを認められない。たかがバグ程度の蓄積で止まるようなら、そんな脳など壊れてしまえばいいとすら彼女は考えている。
喜びだ、歓喜だ。真に守るべき相手を見つけられた瞬間の狂喜が彼女の頭から離れない。
――――嬉しい。こんなにも愛してくれて。
過る言葉は、彼女の純粋な想いだ。
感謝では足りない。謝罪では足りない。好意では足りない。愛では足りない。
想いに上限など存在しない。人がそうであるように、それに近しい彼女も上限を振り切っている。
愛は正気にあらず。何処かの一文を唐突に思い出し、成程まさしくその通りと彼女は過去の人物に賞賛を送った。
愛を一度抱いた時から最早デウスとしての常識を彼女は多大に逸脱している。元に戻る事など最初から考えることもせず、果ては死ぬ時は一緒だとも確信していた。
恋人になれなくても良い。夫婦になれなくても良い。そもそも彼は人間なのだから、己とそのような関係になるなど分不相応が過ぎる。
徐々に徐々に処理が終わり始め、同時に元の状態に戻り始める。
日の出が見え始めた外で只野は携帯端末で何かを調べ続け、ワシズはそれに付き合っていた。シミズは交代してほしそうに何回もワシズに向かって振り返っていたものの、当の本人は完全に無視を貫いている。
そろそろシミズも我慢の限界に到達しそうだと思いつつ、彼の穏やかな顔に頬を緩めた。
今この瞬間、確かに彼は安息を感じている。そしてそれを与えたのはワシズやシミズも含めたデウスなのだ。
誇らしく、同時にそんな彼の姿を脳に刻み付ける。最早彼から別れを告げられたとしても、彼女は離れないだろう。
それだけの狂気を彼女は抱えてしまった。そして、それを喜びと共に受け入れた。
「――――急なフリーズに陥ってしまい申し訳ございません」
完全に処理が終了したと共に彩は目元の雫を拭う。
突然の言葉に只野は驚いたように顔を上げたが、常と変わっているように見えない姿に安堵の息を吐いた。
自身を案じてくれたその様に、彼女の愛はまた高まる。その沼に何処までも落ち続け、既に視界に入る人間は彼しかない。
AIに刻まれた優先順位は常に彼がトップだ。それ以外の命令の一切を彼女は受け付けない。
彼だけの彼女。それを奴隷と言うのならば、彼女は喜んで彼の奴隷になるだろう。
使い潰してくれても構わない。利用するだけでも構わない。しかし他が命令したのであれば、彼女は暴走を開始する。
「何かあったのか?」
「すいません。少しバグが溜まり過ぎてしまいまして」
「あのタイミングで止まったから驚いたぞ。事前に言ってくれよ」
「はい、申し訳ありません」
苦笑しながらの注意に彼女も笑みを浮かばせ首肯する。
その笑みは柔らかく、向ける相手は彼だけだろう。もしも他の人間相手であれば良くて暴言を吐かれるだけだ。
狂った生物は止まらない。己がそれを許容すれば、狂気は加速するだろう。
愛を知らない者に愛を与えてはならない。その意味を只野は遠くない未来にて痛感するのだ。――強烈に、熱烈に。
何もかもを飲み込む熱を無数に感じながら、彼は過去を想起するのだろう。そして呟くのだ。
どうしてこうなったのかと。
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