第二百九十九話 法則破壊
――内臓カメラに映る目玉は、あまりにも純粋だった。
それこそ、自身が侵略者であるとは欠片も思っていない。否、そもそも生物を殺めている自覚すらも海と呼称された個体は認識してはいなかっただろう。
海はただ、自身を害する対象を遠ざけようとしただけだ。その結果が殺害であり、殲滅であり、虐殺だ。
あらゆる一切が海には通用せず、知能ある生物の思考を嘲笑うが如く潰す。それはさながら人が神に挑むようなもので、絶対的な格の差と呼べるものが双方の間に横たわっていた。
忘れてはならない。そもそもの前提として、海と直接的な戦闘をすべきではないのだ。
まともに戦った彩達が居るからこそ、まだまだ超越者として覚醒したばかりでは勝てないと結論が出ている。
只野信次も彩も確信し、故に直接的な戦闘を避けて最短で事を済ませようと考えていた。状況によってはあらゆる犠牲を払う覚悟をしつつ、なるべく迅速に到着したかったのだ。
だが、蓋を開けた現在では海は覚醒している。
今もワームホールの先では核開発者達が泣いて逃げ出しかねない程の水弾が生まれ、ゆっくりと彩に迫っていた。
それは世界の壁が支え切れるかどうかは解らない。出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。超越者を生み出す力は世界共通であれど、手にした側が時に世界を超える例はあった。
それが海だ。あの海は星を飲み込み、外宇宙からの侵略者が現れれば宇宙をも水で満たす。そうなれば最早世界は元の機能を維持出来ず、子である海に権限の全てを奪われかねない。
そうなる前に超越者としての権限を奪うべきだったが、世界の想像以上に海が抱える防衛本能は強大だった。
本人に自覚は無い。自我と呼ばれるものがあまりにも希薄であるが為に、無差別に攻撃を仕掛けている。
今攻撃をしている理由も嘗て攻撃してきた種族に似ていたからというだけだ。あまりにも理不尽極まりなく、そんな勝手なもので彩達の世界は終わろうとしていた。
「――……彩! 一旦離れよう!!」
ワシズの悲鳴が彩の耳に入る。
あれは無理だ。どう足掻いても今の私達では太刀打ち出来ない。その言葉は声には出なかったものの、一度でも観測すれば誰であれ理解してしまう。
恐ろしい、怖ろしい、ただただ戦いたくない。
人間であれば一度でも目撃した時点で身体を硬直させていたかもしれない。彩の映像越しに只野はそれを見て、声に出せずに絶句していた。
戦いを回避せよ。その言葉の意味を只野はよくよく理解し、最初からそれを前提としたのは正しいのだと猛烈に湧き起こる恐怖を感じながら小さな安堵を抱いていた。
だが、最早目前にまで水弾が迫っている。只野も叫ぶように彩に撤退を求めるも、今更下がった程度で水弾の範囲から抜け出せると思うのは愚かだ。
只野とて解っている。今この瞬間で生き残れるとすれば、法則を歪められる彩だけ。彼女だけが生き残り、周囲のデウスや怪物達は纏めて衝撃で死ぬだろう。
コアすら残らない。完全に全てが崩壊し、最悪沖縄そのものが完全に消える可能性がある。
彩も直ぐにその結論を出した。今は閉鎖に集中するよりも、敵の攻撃を防ぐ方に注力すべきだ。完全に相手が覚醒してしまった以上、最早戦闘は避けられない。
であれば、此処から先はどちらが先に目的を達成するのかだ。
彩という超越者がワームホールを完全に封鎖するか、海という超越者が世界の壁を壊して此方側に流れ込むか。
直ぐに彩は手を離し、宙に浮いている状態で自身の身体を再構築した。歴代の彩達も海に意識を向け、即座に演算を別のものへと変える。
NO.13。呟いた彩の言霊に合わせ、ワームホールの一部を隠すように巨大な円盾を展開する。
それは一見すると鉄製の盾に見えるが、歴代の彩が全身全霊で編み出した渾身の武具だ。
その能力は物理、概念、法則の完全反射。受け止めるのではなく、一度吸収してから全てを跳ね返す魔法の盾である。
水弾がワームホールに到達し――――直後、強烈な爆音が轟く。
彩達全員が咄嗟に聴覚を切ったことで指揮所には音が届かなかったが、未だ閃光と衝撃波は現地で巻き起こっている。
攻撃の殆どは世界の壁によって守られた。
爆発の衝撃の九割が海に流れ、しかしその内の一割は確かに彩達の世界に流れ込んだ。
その全てを盾が吸収し、世界の壁に走った罅という隙間から攻撃を返す。なるべく全員は彩の後ろに陣取ったものの、それでも吹き飛ばされそうになっていた。
「……防御完了。 損害報告ッ!」
「――全員無傷。 問題無い」
聴覚を戻した彩は背後に居る面々の無事を確かめ、盾を消す。
円盾はあの爆発で壊れはしなかった。世界の壁という最大の盾があったからこそ、一切の罅すら走らずに受け切った。
それを当然だと彩は思いはしない。もしも二割にまで爆発が届けば、受け止めはしても盾全体に罅が走っただろう。そして、海はそれを何発も発生させることが出来る。
そうなる前に抑え込む必要があった。だが、彩は海側の世界の壁を超えられない。
超えようとするならば先程の大爆発を起こさねばならず、そうなれば彩自身の手によって沖縄は終焉を迎えるだろう。
当然の話だが、この段階で彩が出来ることは攻撃ではなく防御だ。
一度攻撃が止んだことを機に、リソースの一部をワームホールの閉鎖に使用。残りの部分で海を抑え込むことを歴代の彩達に提案し、全員が満場一致で是と示した。
この際、沖縄からどれだけの資源が消えても構わない。
草木も、動物も、建物も、果ては死んで骨となった死体も含めて、彩はそれらを新しく生み出す為の素材とする。
「あれの相手は私が行う! 全員はこれまで通り周囲の敵の撃破をッ。 あの衝撃で幾分か減っただろうが、まだまだ油断は出来ん!!」
No.111。No.223。No.13。
「出ろ!」
彩が選択したのは全てワームホールからやってくる攻撃に備えるものだ。
一つはハニカム状に展開されるバリア。一つはワームホール外に襲い掛かる攻撃を吸収し、そのまま彩達のエネルギーに変えてくれる緑の鏡面盾。最後は先程も使用した物理的な円盾だ。
ハニカムバリアの能力は攻撃を防ぐこと以外に、彩達の負担がとても小さいという特徴を持つ。衝撃などを地面に受け流すことでバリアが崩れることを回避し、それを鏡面盾が回収することでエネルギー回復も可能とする。
超越者であるとはいえ、能力を頻繁に使い続けていれば限界が訪れてしまう。それを回避する為にもエネルギーを別の方法で回復する手が必要で、それがあるからこそ次の手を使うことが出来る。
同時に、これから相手は何度も壁を突破する攻撃を仕掛けてくるということだ。
世界の壁は他者からの侵攻を防ぐ為に迅速に回復を始めるが、それを上回る攻撃をされてしまえば耐え切れるものではない。
水弾を圧縮させた攻撃が有効であると気付いた海は、しかしそれを直ぐには行わずに怪物を送り込む。
これまでと一緒の方法は、しかし数が圧倒的に異なっていた。
「……なんだよ、あの数」
「目測で計算していますが、爆発的な速度で数が増えています。 二千……四千……六千……九千です!」
化け物の猛進。
そうとしか表現出来ない程に種々様々な怪物が海から逃げるようにワームホールに殺到し、自滅を繰り返しながら彩達の世界に流れ込んでくる。
その一部は彩の展開する盾によって阻まれるも、溢れた怪物達が左右に別れて激走する。
目標はデウス――ではない。
そもそもデウスなど一部も視界に入っていないようで、敵は彩達を一切無視して後方を目指す。その先にあるのは指揮所であり、更に背後には人々が生活する土地があった。
「全員追え!! 敵が指揮所に行くぞォ!!」




