第二百九十五話 ワームホール
異なる空間同士を繋げる穴。
類似する言葉としてはワープゲート等が該当し、人類が求める最速の移動手段だ。高速移動による風圧や重力を受けることなく好きな場所に向かい、それは物流に対する大きな味方となるだろう。
巨大であればあるだけ大量の物を運び、人の行き交いさえも簡単になる。渋滞とは無縁であり、ワームホールの数が増えれば必然的に道路の必要性が無くなるだろう。
人々にとっては便利なもの。しかして、それは悪用すれば簡単に牙を剥ける。
人ならざる者によって己の軍勢を無限に送り込めるのならば、大部隊を突然首都に出現させることも可能だ。
ワームホールは人類の夢である。そして、それがある無しによって容易に戦力的問題を覆せてしまう。
俺達人類はワームホールの姿を遠目にしか見ることが出来なかった。大型の望遠鏡を駆使して、自滅覚悟でデウスに映像を取らせ、軍は遠くからの姿から分析を重ねていたのだ。
硝子が割れたかの如く、ワームホールは特定の空間を割って出現している。
内部は完全な闇であり、灯一つもありはしない。それが遠目から観測出来るワームホールの全てだったが――――初めて目の前まで彩達は足を踏み込んだ。
最初は廃墟群ばかりだった。人類の文明を色濃く残した風景が続き、奥に進めば進む程に自然の方が色濃くなっていく。
広大な森林地帯。生えている植物は全て地球にあるような物には見えず、例えば毒々しい二mもの巨大な赤花は健康被害を引き起こしかねない粉を振り撒いている。
解り切っていることとはいえ、後方に位置取りしているX195に簡易検査をさせれば空気中に大量の毒素が確認された。
今もその毒素が広がっていないのは、森林地帯が邪魔をしているからか。或いは然程時間を掛けずに死滅する物質なのかもしれない。
兎に角、そこに人間を入れるのは不可能だ。
「空間が割れているだけかと思ったが、近付いてみると僅かに明るいな」
元帥殿の感想通り、割れた空間内は完全な暗闇ではなかった。
大小様々な生物が常時空間内から外に出てきているが、その後ろは仄かに青い。何も知らない状況であれば解析を急がせていたものの、全てを知っているのならばそれが海であると解る。
空間全体に広がる海は未だ外には出ていない。しかし蠢いているのか、時折波紋が空間全体に広がっている様子を伺うことが出来る。
あれが外に出ようとした時が完全覚醒の合図だ。その前に閉じてしまえば俺達の目的は達成である。
「彩以外の面々は彼女を守るように陣取れ。 敵の撃破も彼女に近付く連中だけで良い。 なるべく長期戦に備えてくれ」
『了解。 彩』
『ああ。 ……これより、最終目標を完遂しますッ』
宣言と共に最初に作り出した分を除いた全ての生物系の兵装を回収。
通信兵がその報告を行い、彼女達は真っ直ぐに干渉に向かう。その様を確認しつつ、別の通信兵から送られてくる十席の映像にも意識を配る。
離脱してからの彼等の行動は特異だ。他の部隊と一切合流せず、彼等は彼等で纏まって右側に回るように沖縄を目指している。
一番の戦力は超越者の領域に近付いたV1995だ。体術頼りになってはいるものの、一撃一撃が出せる威力は通常のものより遥かに高い。
空中に浮いている怪物達は液体状になることで物理を防げるというのに、V1995だけはそれを無視して殴り倒している。
他の面々も銃が効かないことを考慮して何処かから爆発物を調達し、それを投げ付けて襲撃者達を撃破して進撃している状態だ。
他のデウス達が苦戦する中でも平時の結果を叩き出す様は正しく精鋭であり、全デウスの頂点に立っているだけはある。
部下のデウス達が周りに居ないのもあるだろう。守る必要も無い者達だけで構成されているからこそ、己のポテンシャルを限界まで引き出して戦い続けることが出来る。
組織としては失格なのかもしれない。出来る限りの消耗を抑えつつ今は前線を維持しなければならないというのに、その最大戦力が軒並み突出しているのだから。
通信兵が必死に呼びかけをしているものの、未だ反応は無しだ。
答えるつもりが一切無い。これがどれだけ重大であるかは言うに及ばず、しかして指揮系統は混乱していない。
現地で臨時の隊長を決め、その通りに機能しているのだろう。つまりは現地のデウス達は彼等が前に行くのを許した形となり、後で厳重な処罰が下されるのは間違いない。
ワームホールに進む彩達を確認しつつ、此方は十席にチャットを送る。
通常の方法で連絡が取れないのならば、今度は此方から連絡を取るのだ。他ならば兎も角、俺が一番情報を持っている以上は彼等も間違いなく接触してくるだろう。
内容は即ち、彩を助けたいのかという一文のみ。
送った直後に十席の動きは目に見えて変化し、PM9の手が緩んだ。
『お前、どういうつもりだ』
『どういう、とは』
『はぐらかしてんじゃねぇ。 よりにもよって何でお前が彩達をあんな場所に送りだした。 予定じゃ私達と一緒に行く筈だっただろうが』
成程、と一人納得した。
彼女達は事前に話し合いをしていたのを俺は知っている。彩達と行動を共にし、十席との共同で事に当たると既に決めていた。
それを此方が無視したからこそ、彼等は激怒しつつも彩が居る場所に向かっているのだ。
目的地は既に解っている。最終的な目標が同じな以上、ワームホールに接近すれば連絡を取り合っていなくとも接触することは可能だ。
だから無茶を承知で前に進んだのだろう。そうせねば納得出来ないと十席が判断し、怒涛の勢いで敵を潰している。
『突然の変更については申し訳御座いません。 此方も指揮所で騒ぎが起きまして、どうしても誰にも露見されずに行動を起こしたかったのです』
『騒ぎ? ……それで割を食うのは現場なんだぞ!!』
『それについては全て私の不手際です。 否定のしようは一切ありません』
彼女の言葉は正しい。
現実的に、大事な場面でいきなり予定を変更されては迷惑を被るのは現場の者達だ。俺も体験しているからこそ、彼女が怒鳴る文面に深い納得を抱いてしまう。
悪いのは此方だ。後で殴られるのは承知の上で、全て此方の都合に合わせた。
G11を含めた街のデウス達も詳しい事情は全て聞いていない。現場に居るであろう面々には恐らく尋ねたのだろうが、良い情報は一切手に入らなかったに違いない。
そう思っていると、今度は別の者がチャットに入ってくる。
『下らぬ論争をするつもりはありません。 それよりも先ずは情報の共有です。 彩は何処に居ますか』
『既にワームホールに。 もうじき封鎖が開始されますが、やはり敵は数多い』
言い合いよりも情報の共有を選んだのはXMBだ。彼女の意見に他が文句を入れていない時点でPM9が文句を言うことは出来なくなり、必然的に建設的な話しか出来なくなる。
恐らくはXMB側がそうなることを予見して文面を書いたのだろうが、非常にイイ性格をしている。
R-1からは笑い声しか文面では送られず、この状況を面白がっているのは歴然だ。故に、足並みを此処で一時的に揃える。
位置情報を送り、現在の軍の状態も漠然としたものではあるが書いた。それを見た面々が何を思うかは兎も角、これで何処に誰が居るのかは明らかとなるだろう。
『では、これから彩の護衛に我々は向かいます。 敵の殲滅を第一とすれば良いのですね?』
『可能な限り彩に傷を与えなければそれで構いません』
チャットは此処まで。突如として速度を増した十席に軍は驚愕を深め、俺は元帥殿に先の話を共有した。




