第二十九話 夜の会話
目覚めは唐突だった。
寝ていた感覚は無く、瞬きした瞬間に視界は寝る寸前の森を映していた。
違うとすれば空の色だろう。あの時点ではまだ青空が見えていた筈だが、現在の空は闇一色そのもの。
夜を示しているのは瞭然であり、であれば俺の睡眠時間は仮眠程度では済まない。慌てて飛び起きれば、直ぐ横で少女の小さな悲鳴が響いた。
そちらに顔を向ければ、正座をして目を見開いた彩の姿。警戒をしていた筈ではと思ったものの、自身の位置と彼女の態勢で彩が膝枕をしてくれていた事は容易に想像がついた。
普段ならば俺の枕は固い物が大量に入ったリュックだ。寝心地の悪さから三時間程度になる予定で、限界まで体力を削っても一時間か二時間程度しか伸びない。
にも関わらずこうして長時間眠っていたのは、一重に彼女の膝が柔らかかったからだ。飛び起きた所為でその感触は解らないままだが、こうして夜まで寝てしまったあたり随分と良かったのだろう。
「……ごめん。迷惑をかけた」
「い、いえ!お気になさらずぅ……」
最初は大きな声で、しかし徐々に尻すぼみになってしまう声。顔は如何なる活動の結果か真っ赤に染まり、どうにも恥ずかしがっているのが見てとれた。
その表情は――――端的に言って男を魅了するにあまりあるものだ。
思わず顔を他所に向けてしまった俺は悪くない。目を丸くしながら羞恥に染まる顔をした彼女があんまりにも可愛過ぎた。
その顔で近場の男を引っ掻けようとすれば十人中九人くらいは釣れるに違いない。そして彼女自身に他者を手玉に取る性質を持っていれば、正しく魔性の女の完成だ。
彩にはそんな女になってほしくはない。出来るならば、平時の時は深窓の令嬢めいたままで居てほしいものである。
そこまで思って、俺の頭には突如としてあの写真立ての風景が思い浮かばされる。
一家全員の姿。親戚か友人かは不明のその他の姿。そして彩に非常に酷似した女性。
絶妙なまでに年齢もマッチしているのが恐ろしい。あれでは彩そのものと言ってもまるで否定出来ない。
しかし、俺が小学生の姿をしている時点で目の前の彩であるという線は無い。あの当時の身長さから考えると、俺の学年は恐らく小学一年か二年程度。その頃はまだ平和だったし、デウスのような技術は全く無かった。
もし秘密裏に造られていたとしても、それならワームホールから化け物が出てきた時点で彼女達も姿を現していただろう。
秘匿していたら別であるも、それをするメリットは思い付かない。考えれば考える程にデメリットしか浮かばず、故に今回のあの姿は偶然――或いは俺の願望が表に出てきただけと片付ける事も可能だ。
だがもしもそうだとして、俺はどれだけ彩の事を好いていたのか。
好意はある。そうでなければここまで一緒に来てはいないし、寝る直前にあんな言葉を言いはしなかった。
だが恋愛的なモノはどちらにも無い。それは彼女の顔を見ていても解る。彩が恥ずかしがっているのは、ただ単にこういった触れ合いそのものが絶無だったからだ。
何事も経験が無ければ初心者だ。彼女の場合はその点で言えば初心者も同然で、だから初々しい反応を見せられる。
俺はそれを見て理性に大打撃をもらう訳だ。何時か襲わないかと冷や冷やものである。
「膝枕、有難うな。でもそこまでしなくても良いからな」
「御迷惑でしたか?」
「まさか。天国だよ」
生まれてこの方、女性とのあんな接触なんて無かった。
ある意味憧れだ、あれは。今時そのような甘い事をするカップルが居たら周囲からの嫉妬と反感を買うことになるだろうし、何よりも時勢を考えろと怒鳴られる。
だからカップル同士でこういう真似をするのは人目を避けて行うべきで、故に憧れなのだ。
職場での無駄話の中でそれが無かったとは言わない。寧ろ多かったし、特に深い関係になっている者は一種の英雄じみた視線を集めていたものである。
何せそれが出来るということは、女を安心させる力を持っているということなのだから。
それが腕っぷしでも、経済的でも、安心感を与えられるのであれば女性が好く可能性は高い。
「あんな経験は今まで無かったし、貴重な経験をさせてもらった。飛び起きた所為で感触は解らなかったが、それをしてくれていたと思うだけで――うん、嬉しいよ」
「――――」
素直な気持ちだ。これに嘘は無い。
恥ずかしさを誤魔化す為に寝たのに何でまた恥ずかしい事をしているのかと自分にツッコむが、感謝の気持ちを忘れるのだけは駄目だろう。それで今後の生活に不和が生まれるのであれば、素直な気持ちの一つや二つくらい言っても何の痛手にもならない。
そう思っての言葉は、しかし彼女の表情を見て直ぐに引っ込んだ。
彼女は此方を凝視しながら両目から涙を流していた。実際は涙ではないのかもしれないが、人間らしい雫は涙と見分けがつかない。
ただただ無言で、彼女は涙を流していた。それがあまりにも綺麗で、だが理由が解らなかった。
どうしたのかと両肩を掴んで揺さぶる。それで意識が戻れば良いのだが、彼女が戻る気配はない。
「あ、起きた?」
傍で足音が鳴る。そちらに顔を向けると、来たのはワシズだ。
彼女は最初の口調から徐々に変化し、今はかなり崩れた言葉を使い始めている。俺に対して崩した態度を見せてくれるのは非常に嬉しい限りだ。
だが、タイミングとしてはそれほどよろしくはない。
今この状況を見せられれば、いくら常識を植え付けられていないワシズでも引かれる可能性がある。
もしくは単純に騒がれるだけだが、その場合はシミズも来るのは確定だ。地獄絵図の未来を想像して、別の汗が出てきた。
今は夜だが月の光の所為で明りには事欠かない。
暗ければまだ誤魔化せたかもしれないと思いつつ、何も防げる手段を咄嗟には思い付かなかった。
「え、っと……お邪魔?」
「あー、いや。何かいきなりフリーズした」
ワシズは何かを察したらしいが、その考えている内容は完全に誤解だ。
即座に否定を入れて、俺はワシズに揺らしている様を見せた。今もなお元に戻る気配は無く、ワシズはその様子に目を丸めていた。金の瞳が満月の如く輝いていて、その部分に人間らしさはない。
一先ずどれだけ揺すっても無駄だと判断して彩から手を離す。俺が起きたら移動する筈なのに、これでは更に待機しなければなるまい。
ならその間に今後のルートを決めるだけだ。基本的には変化は無いものの、近い位置に軍が居る以上迂回路も考える必要がある。
「そういや、軍や街の状態はどうだ?」
「軍は変化無し。暗視機能全開で見てるけど、少し前進しているだけ。街は二時間前に火災が止まってから変化は無いかな」
「膠着状態?」
「かもね」
腕を組んで深く息を吐く姿は一体誰を真似たのか。あの移動の間にトレースしたにしても、使い方が様になっている。雰囲気だけなら残業に疲れたサラリーマンだ。
シミズが来ないのは監視をする役が他に居なくなってしまったからだろう。振り回す側と振り回される側の役割が徐々に固まり始めてこれからシミズが損な役割を担いそうである。
同情しながらも携帯端末を起動させる。本来のルートからかなり変化した現在地は此処を除けば非常に廃墟が少ない。かといって森のように隠れやすい場所もルートの途中で無くなってしまう。
残るは瓦礫が転がる開けた場所だけだ。道路にまで侵入する瓦礫の山々は、さながら沖縄に原爆が落下した直後の風景と何も変わらない。
ただの地図だけでは解らないが、少し調べれば簡単に画像は出る。だからこそ、一難去ってまた一難と感じ入るばかりだ。
「取り敢えず彩が元に戻るまでは俺達は待機だ。監視はすまないが任せる」
「OK。シミズにも伝えておくよ」
元気っ娘じみた返事におれもおうと返し、彩が起きた後にスムーズにいくように脳の回転を始める。
時刻は午前三時。まだまだ深夜の時間は、どこか穏やかに感じられた。
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