第二百八十七話 激動の始まり
墜落した龍の死体から生命反応が無いことを確認し、指揮所は一時静寂に包まれた。
その間にシミズは街側のデウス達に身体を預けながら後方へと後退。前衛役を担っているデウス達が一斉に島目掛けて進撃を開始し、直ぐに後方部隊も前に追従するように敵を殲滅していく。
怪物達は龍が倒れた際に一瞬だけ停止したが、再度同様の動作で此方に襲い掛かっている。思考は皆無であり、何かを学習している素振りは無い。
数は多いものの、それでも此処での勝利はもう揺るがないだろう。迅速に敵を片付けていき、昼頃には一時的に制空権の確保に成功した。
デウス達は戦い続けることになるが、兵士を送り込む程度の余裕は既にある。元帥殿に視線で尋ねれば、彼は重々しく頷いた上で命令を下した。
「よし、順次兵を島に送れ! 拠点を構築し、状況次第によっては今夜にでも本土を攻めるぞ!!」
『了解!』
兵士達の移動手段は船だ。海にも怪物が居るのでデウスの護衛は必須ではあるが、海中に居る個体は事前に東京部隊がある程度片付けている。
全滅にまでは届かないものの、安全度は空の比ではない。
後方の一部部隊が前方の部隊から離れ、海へと潜り込んで爆雷と近接用の剣で敵を倒していく。兵士達のような不安な感情を持たず、果敢に挑む姿は正に英雄と呼んでも過言ではない。
海を泳ぐのは主に小型の魚類だ。牙を生やして群れで襲い掛かる個体達は人間一人程度ならば一瞬で喰らいつくすが、皮膚装甲を貫通するまでには至らない。
それでも噛み付いた状態で深海の底にまで引き摺られてしまえば、水圧によってデウス達も潰れてしまう。
油断をしていいものではないが、かといって龍のような存在と比較してしまえば遥かに質が劣る。因みにだが、最初期の頃はこの形状を見た一部の人間が食料として使えるのではないかと死ぬ気で捕獲していた。
食べた者からの感想としては、極端に不味いものではないといった程度。旨味が存在せず、まるで水が固まったような瑞々しい魚肉だそうだ。
「警戒は常にしろ。 船内の兵士達も異常を検知次第指揮所に連絡を送れ。 破損が目立つデウスと消耗した武器弾薬の確認も済ませておけよ」
「我々も同じです。 全員の負傷状況を確認し、戦闘続行が不可能であれば即座に後方に移動してください。 ――可能であれば拠点完成の時刻を算出してくださると有難いです」
「了解した。 算出が完了した段階で本隊の出撃時刻も通達する。 それまでは足場を固めることを念頭に置け」
指示を出しつつ、高官達も続々と自身の管轄でデウス達のチェックに走る。
直接的に命令が出来ない関係上、彼等に出来るのはデウス達が異常を起こしていないかの入念なチェックだ。細かい部分を言えば小隊毎の指示出しであるが、大元を変えられない以上は然程逸脱した行為は出来ない。
ある意味、指揮所の方は休憩時間のようなものだ。何か異常が起きた時を考えてその場から離れることは出来ないが、飲み物を飲むくらいは出来る。
兵士が持って来たお茶のペットボトルを彩がチェックし、大丈夫だと判断した後に飲む。
一般的なコンビニで並んでいるような製品故に特別感は無いが、それが逆に何時もの気分に戻してくれる。周りは一気に喧々囂々となるが、俺と元帥殿の周りは随分と静かなものだ。
「幾つか聞きたいのだが、構わないか?」
「ええ。 大丈夫ですよ」
休憩時間故に、元帥殿が話し掛けてくる。
どんな質問が飛び込んでくるのかは既に予測出来ているので問題ない。それに今更人間相手に狼狽えるなど、怪物を直接目にした方がずっと恐ろしい。
「先の一件、君は随分と敵の情報について知っていた。 事前に戦っていたのか?」
「いいえ、そもそも私は今回が初めての認識です」
敵の姿を見たのはこれが二度目だが、一度目について言う必要は無い。
元帥殿は俺の発言に眉を顰める。当然だ。何せ俺が先程指示した内容は、全て知っていなければ出来ないことなのだから。
沈黙を貫く彩に視線を向ける。本人は目を瞑って静観を決め込み、あまり踏み込むような真似はしない。
少なくとも、現段階において危険は無いと彼女は判断している。実際元帥殿もいきなり腰の拳銃を向けてはこなかったし、存外冷静であるのだろう。
「では何故、あそこまで的確に指示を下せた。 ……いや、あれは最早指示などという行為を超えている」
「教える必要が果たしてあるのですか。 今は先ず、ワームホールの閉鎖のみに注力すべきでしょう?」
「そうだ。 だからこそ、貴殿の知っている内容を全て教えてほしい。 この後の展開について、もうある程度把握はしているのだろう?」
決めつけるかのような発言だが、それは真実だ。
俺は知っている。この後に何が起こるのか、どのような惨状が発生するのか。今この瞬間の休息時間は嵐の前の静けさであり、彼等はある瞬間を境に爆発するように数を増す。
海が徐々に覚醒へと近付き、その分だけこの戦場は相手側に傾いていく。完全に目覚める前に閉鎖を完了せねば、海による侵攻が本格的になってしまう。
記憶達の中には海に飲み込まれた者が多い。それ故に、海という存在に対して過剰なまでの警戒心を抱いている。
出来ることならば軍など無視して活動したいと思ってはいるが、それを選べば更に彼女達を危険に晒すことになるのだ。記憶達もそれは理解していて、だから彩に関する俺の意見に否を突き付けない。
いや、突き付けられないと言った方が正しいか。もしも文句を言えば、己の愛を否定することになる。
そんなことは耐えられない。俺であるからこそ、それはとてもよく解っていた。
「……残念ですが、教えることは出来ません。 それを言えば、貴方達は予定から逸脱した行動を起こすでしょうから」
「逸脱した行動? ――奇妙な言い方だな」
少々深入りしそうな発言だったか。
自身の言葉に叱咤を送り、彩を呼ぶ。彼女は何も言わずに素直に傍に寄るも、何か発言する様子は無い。
元帥殿は突然彼女を呼んだ事に困惑の眼差しを送っている。きっといきなり話題を断ち切られたと感じたのだろう。
それは間違いではあるし、間違いでもない。そもそも話すつもりも無いのだから、異なる話題を振ったとしても然程違和感は無いだろうに。
「もういいよ、彩。 ここから先は自分の方に集中してくれ」
「『かしこまりました』」
言って――――突如として彼女の身体は砂となって崩れた。
突然の事態に俺達の様子を見ていた人間が動揺し、目を見開く。元帥殿も一瞬だけ驚きを見せたが、直ぐにこれは何だと視線を鋭くして問い掛けた。
「事態はどんどん進んでいます。 最早、軍ですらも止められません」
「……一体、何だ。 貴殿は、彼女は、一体何だ」
大事な決戦の最中で関係を乱すような真似はするべきではないかもしれない。
しかし、それでも俺は椅子に座ったまま口角を吊り上げる。無数の警戒を受けながらも心は余裕そのもので、寧ろ彼等の困惑が心地良くも感じてしまう。
人間として些かどうかとも思ってしまうが、感じてしまうものはどうしようもない。
小型端末を起動させ、これまで一回も使ったことのない番号を打ち込む。一応の警戒の為に番号を変えていたのだが、結局それを使うことはまったくと無かった。
彩、と声を出す。暫くの間は何も言葉が返ってこなかったが、やがて小さな溜息と共に小型端末から声が返ってくる。
『気付いてしまいましたか』
「流石にな。 どれだけ俺が気にするなと言っても、きっと君は何らかの方法で護衛を置こうとする。 まさかあっちの方を配置するとは思わなかったけどな」
苦笑の混じった声に、元帥殿の顔はますます困惑に深まった。




