第二百八十三話 強制継承
意識が引き上げられた。
一気に目が覚め、微睡みも存在せず飛び起きる。悲鳴の一つも上げなかったのは偶然でしかなく、頭に走る頭痛は重度の熱を引き起こした人間特有のものになっていた。
その痛みが引き金となったのか、身体全体にまで痛みが走っている。この痛みが一体何時になれば引くのか定かではないが、とても決戦を迎える前の状態に相応しくない。
外の情報を取り入れることすら苦痛だ。目を閉じ、あの瞬間に流れ込んだ多数の記憶に意識を向ける。
浮かび上がるのは俺の知らない記憶達。研究者としての自分、会社員としての自分、軍人としての自分の記憶がごちゃ混ぜとなった状態で存在し、俺の記憶を吹き飛ばそうとしている。
それを己の意思で封じ込めているが、そう簡単に記憶達は諦めてくれない。必ず自分の身体に戻るのだと暴れ、それが恐らく痛みとして発生しているのだろう。
「信次さんッ、どうしたのですか!」
右から聞こえる彩の声に、今は顔を向けられない。
その声だけで数多くの誰かの記憶が反応する。歓喜と、激怒と、悲痛が胸を占領し、どうしようもなく涙が流れた。
泣いて泣いて、泣き続けて。別の誰かの記憶が感情を刺激するのだ。その全ては俺にとって記録としてでしか映らない筈なのに、本能が誤認でも起こして暴れたい気分になってしまう。
それでも、時間を掛ければ幾分かマシになる。相変わらず頭痛が起きているものの、少なくとも気絶してしまいそうな程に酷くはない。
なるべく何も見ないように声の方向に顔を向ける。俺の異常に全員が起きたのは確かであろうし、全員が囲んでいるのは気配で読み取れた。
「……ちょっと、厄介な事が起きたみたいだ」
「どうしたのですか。 何故目を開かないのですか」
「説明をしたいが、今は考えるのも億劫だ。 悪いんだが、誰か此処に朝食を運んでくれ」
「――だったら私が行くよ。 直ぐに帰ってくるね」
一人分の気配が消えた。
残りの子達には暫く退室を願い、彩だけを残すようにする。言われた側は心配気な視線を向けていたが、俺の言葉を受けて素直に部屋から出て行った。
室内に残るのは俺と彩だけ。静寂に包まれた空間の中で初めて目を開き、彩を視界に映す。
泣きそうな顔が視界の殆どを埋め尽くしている。それだけで俺を出せと記憶達が暴れるが、黙れと一喝する。
この身体の持ち主は俺で、お前達ではない。嘗ての彩達と同様に大人しく引っ込んでいろ。
「……ッぐ、やっぱり開くのはまだ難しいな」
「――その目は」
「目に何か起きているのか?」
「はい。 ……その、蒼い目です」
「蒼い目……。 はっ、そういうことか」
彩が塵から作り出した手鏡を俺に見せる。
そこに映り込む自身の瞳は黒から蒼へと変わり、嫌になる程存在を主張していた。まるで彩から離れることを許さないと言わんばかりだ。
これをしたのがどちらなのかは解らない。しかし、どちらであっても同じ事。
余計な事をと呟き、その声には自身でも信じられない程の怒りが込められていた。攻略の糸口を与えてくれたのは有難いが、それでも事前に説明くらいはするものだろうに。
この状態のままでは無様な姿をデウス達に見せ付けてしまう。それで済めばまだ良いが、軍の高官共がこれ幸いと主導権を奪いに現れかねない。
断じて、それだけは阻止せねば。故にこそ、取り繕ってでも俺は彼等の前で平気な状態にならなければならない。
「彩。 今直ぐにでも向こうの『彩』を呼び出してくれ。 最初の俺が、今の俺に接触してきたとな」
「!? それは、本当ですか!」
彩の驚きの声と共に小型端末が震える。
緩慢とした動作でメールを開くと、そこには短く本当ですかという文面だけがあった。酷く淡泊な文章ではあるものの、それは単に表に出していないだけだろう。きっと姿を現せば詳細を聞きたがる。
彩は俺の指示に従って黒い『彩』を作り出し、そこに人格が乗り移った。
普段の余裕ある姿とは異なり、此方に視線だけを向ける姿には焦燥を感じる。それだけ会えないと思っていた人物が接触してきたのだから、彼女の焦りも理解出来るものだ。
とはいえ、個人的な要件があった訳ではない。先ず最初にと告げ、『彩』本人に何か言葉があった訳ではないことを告げた。
それを聞き、彼女は少しだけ暗い表情を浮かべる。
だが、今の俺には恐らく全ての俺の記憶がある。彼の記憶を探るのは酷く簡単で、頭痛を起こしながらでも奥底にある彼女への言葉を探り当てることが出来た。
「これは、彼がまだ生きていた時に思っていた遺言だ。 何も残せないと考えていたからこそ、彼は敢えてお前に何も言葉を残さなかった」
最初の彼の死因は、海による星の捕食行為。
あらゆる生物が食い殺される中で、彼が最後に願ったのは友への謝罪だった。
「済まない、俺の所為でお前には随分と苦労を掛けてしまった。 もしも身体が残っていれば、このまま君に殺されたかった」
最後の遺言を聞き、黒の彩は目を見開く。
そのまま虚空を眺め、顔を大きく歪めた。きっと人であったならば涙を流していたのだろう。
デウスの身体には涙を流す機能が搭載されているが、彼女が作り出した身体にそれは無い。故に、どれだけ悲壮を胸に抱いたとしても顔を歪ませるのが精々だ。
しかし、彼女にとってはそれで十分。遺言を聞ける機会は二度と無いと考えていたからこそ、その言葉は彼女の胸に突き刺さった。
彼の遺言の内容は俺も抱きかねないものだ。何せ、もう彩には随分と迷惑を掛けてしまった。
当初よりも彩に多くの仕事をしてもらい、同時に多く守ってももらい、最早恩を返し切ることは出来ない。
万が一死ぬような事が起きれば、俺の遺言は似たようなものとなる。愛があったからこそと言えども、君には多大な苦労と我慢を強いてしまったと。
嗚咽の声を漏らさなかったのは、彼女の最後の理性が周囲に広まるのを阻止しようとした為。
こんな言葉の後にそんな心配をする必要は無いと思うが、それでも彼女は配慮を忘れることはなかった。
漸く泣き止んだ後の目に宿るのは、純粋な怒り。それを向けるべき相手は、今はワームホールの先に居る。半ば余裕だった表情は消え去り、現在の彩と似たような顔となった。
それを歓迎すべきかどうかは、俺には複雑である。
「御言葉、誠に有難うございました。 その言葉を胸に、この決戦に必ずの勝利を」
「勿論だ。 彼もその為に此方に接触し、これまでの全ての記憶を俺に流し込んだ。 お蔭で人格が変わりそうだし、頭痛も随分酷い。 彩とは大違いだよ」
「どうしますか? 流石にその状態のまま指示を下すことなど出来ません。 ――いえ、私が許しません」
「俺も休んでいたいが、そうも言ってられない。 なるべく強力な痛み止めを貰ってでも、この決戦に挑む」
休むべきという意見には此方も納得している。
しかし、状況がそれを許さない。こうしている間にも静かに準備は進み、街側のデウス達も行動を起こし始めている。
寝ている訳にはいかないのだ。最後の一大決戦を、休んで見ているだけなど納得出来る筈もない。
彩が止めてでも俺は行く。それに、このままでは折角与えられた記憶を有効活用することも出来ない。
時間の限界が来るまでは休み続ける。だがその時が来たら、俺は動く。その意志を目に乗せて送れば、彩は最早溜息を吐くしかない。
彼女が俺の思いを汲まないことはない。だからこそ、この無茶を彼女は通すしかない。
酷い男だ。最低な奴だと自己嫌悪し、けれども訂正はしない。最後の瞬間まで、俺は俺の意思を貫き通したいから。




