第二百八十二話 俺/私
言葉が出ない。
首に何か異常が起きているのかと触ってみるも、感触は何も伝えてはくれない。
だが、目の前の男はそれが正常だと告げている。そうなるようになっているのか、そうなるようにしか出来なかったのか。
どちらにせよ、此方から何かを発することは出来ない。焦燥に駆られるものの、目を閉じて深呼吸をすることで無理矢理心音を落ち着かせた。
この夢は何時もの夢だ。死なないし、有益な情報を俺にくれる。
少なくとも目の前の男は俺を殺すつもりはない。何せ俺であるのだから、殺そうなどとは考えないだろう。
如何に倫理が外れていようとも、根底にある感性は一緒の筈だ。摩訶不思議な冒険を繰り広げ、俺が変わらなかったのがその証拠である。
やっと落ち着いた俺の様子を見て、同じ顔の男が頷く。
「時間は掛けないつもりだ。 そんなに長い間この状態を維持出来るとも思えないからな。 ……ちなみに原理は不明だから一々疑問に思うなよ」
いきなり意味深な呟きをしているが、考えるなと言うのは些か理不尽ではないんだろうか。
本当はこの空間だって疑問なのだ。どうして俺がこれまでの俺達の過去を体験出来るのか。その深奥を知れれば、これまでの経験全てが手に入るかもしれない。
仮に手に入らなかったとして、それでも敗北した場合の情報を手に出来る。それは何よりも欠かせない財産となるのだ。
「私とて考えはした。 しかし、此処は彩の作った空間と同じく理解不能だ。 別の世界の超越者が嘗て作ったのか、それとも彩が知らぬ内に作ってしまったのか。 ……全ては推測によってでしか出てこない」
そんなことに思考を費やすよりも、今は私の話を聞け。
言外にそう言われてしまえば、最早俺は口を噤むしかない。目の前の男は間違いなく一番初めの俺であり、恐らく最も知能に優れた俺である筈だ。
そんな彼が仮説しか立てられないのであれば、凡人である俺に答えは導き出せない。
致し方無し。本題を言えと目で訴えれば、男はやれやれと一度肩を竦めるような動作をする。煽っているようにも見えるその姿は、しかし彼にとって自然体なのだろう。
「では始めよう。 お前達の状況は全て知り得ている。 彩の空間にアクセスして秘密裏に彼女の視界を借りた。 全てを把握するのにここまで時間が掛かったが、状況について説明を挟むことはしないで良い。 ――その上で、これから起きる戦いの中で軍は全滅する」
軍の全滅。
それは可能性の中で特に大きなものとして挙がっていたものだ。『彩』からの敵超越者の情報により、如何に軍が無謀な戦いをしようとしているかは明白となった。
星対軍団など、比べるのも烏滸がましいまでの差がある。容易く軍団が飲み込まれ、後に残るのは残骸くらいなものだろう。本体が出ればという話だが、彼の言葉から漂う雰囲気から察するに出た過去がある。
ならば、このまま軍による突撃をした程度では足りない。雑魚を幾ら潰したところで単体でも圧倒的なのだ。
「理由については今更聞く必要もあるまい。 このまま軍が突撃すれば、その衝撃によって奴の活動も活発的になるだろう。 未だ奴は休眠状態を維持したままだ。 闇雲な突撃は即ち、死を招く」
休眠状態。
それで、この地球は地獄の惨状となった。世界中の街が滅び、多くの人間が死に絶え、今や世界の王者として君臨しているのは怪物達だ。
彼等をどれだけ潰したとしても、海が勝手に怪物を量産する。最終的に資源不足によって俺達は敗北し、そのままこの地球も丸ごと海に飲み込まれてしまうのだろう。
俺達の動きは地獄へ行く速度を加速させているだけ。そう断言し、阻止する為に此処に俺を呼んだ。
少ない言葉の数々だが、お互いに思考が似ているのは理解している。故に僅かな会話の中で言いたいことを手繰り寄せ、話を手短に出来るのだ。
「出来れば軍への突撃そのものを止めるべきだが、状況的に不可能だ。 目覚めるのは時間の問題であり、ならば彼等よりも早く目標達成を狙う方へシフトすべきだろうな」
それはつまり、ワームホールに誰よりも先に到達せねばならないということ。
危険だ。あまりにも無謀が過ぎる。大元の存在を知っていても、道中には様々な個体が居るのだから油断なんて出来ない。
例え大元が出てくるとしても、それでも全員で行動した方が良いに決まっている。
この話は断るべきだ。首を左右に振ると、男は眉を寄せて一歩此方に近付く。
「本体が出てきては全てが取り返しが付かなくなる。 奴の前では数の大小など些細なものでしかないんだ。 そんなことは話を聞いていただけでも理解出来るだろ。 俺ならばッ」
そうだ。理解は出来る。
きっと大元が出てきた瞬間に俺達の敗北は決まる。星という規模と比べれば、俺達はあまりにもちっぽけなのだから。
危険を承知で彩を含めた少数戦力で進んだ方がきっと良いのだろう。俺が選らんだ方法で失敗し、ここまで来たのだと彼の表情が教えてくれている。
だが、俺は彼女をこれ以上危険な目に合わせることは出来ない。
力を持っているのは彼女だけではないのだ。例えそれが小さなものでも、彼女を守る盾になる。
過去の出来事を踏まえ、しかし素直に路線を変えることはしない。自分の中の意見も確り合わせ、納得出来る未来に舵を切る。
それで終わるのだとしても、きっと不満は抱かない。
未来を決める最後の戦いだ。他人の指図に従うようでは今後も勝ちを拾えるだなんて思えない。
男は顔を下に向け、身体を震わせる。それが怒りによる震えであるのは明白であり、最悪殴られる覚悟を決めた。
だが、震わせるだけで何時まで経っても怒鳴る気配すらない。どうしたことかと視線で問いかけ続けると、男は遂に顔を上げた――――その表情は、何故か恐ろしいまでの笑みだ。
「成程、自身で納得せねば舵を切らないか。 やはりお前は俺だよ。 信頼出来る相手としてはこれ以上ないな」
先程の眉を寄せた表情は何だったのか。
小型端末に映る自身の顔と同じ表情を見せた男は、いやになるくらい明るい声で言葉を紡ぐ。表情の急激な変化に流石に飲み込めないでいると、飲み込みは遅いなと男は呟いた。
「単にお前はどんな俺だったのかを調べただけさ。 あの程度の言葉で従うようなら即座に退散するつもりだった。 他者に身を委ねるだけの人間に未来なんて作れないからな」
言われ、今度は内心で此方が成程と呟く。
確かに、ただ唯々諾々と従う俺なんて俺ではないだろう。少なくとも散々に意見を言い放つくらいはする。
此方は何も言っていない。にも関わらず、男は俺の言いたいことを全て理解している。如何なる方法によるかは定かではないものの、一先ずは合格だと思って良い筈だ。
男は手を三度軽く叩き、仕切り直しだと空気を入れ替えた。
微妙な空気感はそれだけで消え、あたりには何処か緊張感の漂うものへと変化していく。これで合格を得た以上、与えられるものは金銀財宝では足りない程貴重な内容である筈だ。
「さて、時間が無いのは嘘ではないからな。 これから先の情報は全て真実だと思ってくれ。 ――私がお前に流す情報は全て、今後の戦いにおいて有益となる」
何、と思う暇も無かった。
男が言い放った直後から頭に強制的に何かを流し込まれ、その影響で尋常ではない激痛が襲い掛かる。
蹲り、声にならない悲鳴を上げても激痛は消えてはくれず、そのまま身体に入る限界まで何かを注ぎ込まれた。男は手を前に突き出すだけ。
間違いなくこの激痛の正体は男であり、きっと何か大切なものを教えようとしてくれているのだろう。
自分が潰されていくような感覚すら起き始め、いよいよ自我にも影響が出た。一人称が俺だったのか私だったのかが解らなくなり、見知らぬ誰かの記憶が入り込む。
あまりの痛みに意識が保てなくなり、最後にはそのまま俺の意識は無数の記憶と共に何処かへと流される。
最後に見えたのは、彩の優し気な表情だった。




