第二百八十一話 前夜
準備を最後まで続け、やっと終わった次の日。
殆どの者達は休息を取り、取っていない人間は何らかの罰を受けてしまったか率先して再点検を行っている。軍のデウス達も今日この日だけは自由となって休息を取り始め、街に所属しているデウスと会話をしている姿が見えた。
司令部も現在は休息中だ。前線で休むなんて正気の沙汰ではないかもしれないが、明日に控えた決戦を行う為には一度体力を回復しておかねばならない。
働いているとすれば、今も交代交代で攻撃をしている別基地の部隊だ。
彼等は前線基地を作る際に居た部隊であり、元は東京に所属している。一時期は有名になった部隊ということで危険な任務を受け、あの時も必死になって戦っていた。
彼等は決戦と明日には撤退する。
万一の可能性として有力な部隊が一つも残らないという状況を作らない為、彼等は東京で控えることになるのだ。
日本の生存権を賭けた戦いに参加出来ないものの、彼等は俺達より長く生きる事が約束されている。その事実は兵士達にとって羨ましいものかもしれないが、後を託される重さは尋常ではない。
俺達が敗北して時を巻き戻さない限り、最後の戦力となるのは彼等だ。故に、戦力として当てにする行為は論外である。
昼の時間は各々の部屋で休み、夜は搔き集めた種々様々な酒を浴びるように飲んで過ごす。
馬鹿の一つ覚えの如く騒ぐ姿は滑稽で、しかし今の彼等にとって必要なのだろう。デウス達はデウス達でバックアップが取られているので然程騒いではいないが、それでも俄かに漂う雰囲気に当てられて興奮気味の者が居る。
彼等を制御する人間は今は酒の海だ。よってバックアップが取れない街のデウスが宥めることとなり、そのまま事件など起きずに深夜を迎えた。
軍での起床時間は不明だが、俺達の起床時間は午前六時。作戦開始時刻は午前九時であり、その頃までに全ての点検を行って持ち場で待機することとなる。
俺達は街のデウス達に休める時に休んでおけとだけ告げ、四人で自室に入った。
家族だけとなった俺達の周りには豪華な食事も特別なプレゼントも無い。至って普通のままで、そのまま布団を川の字に並べて横になった。
水回りの設備が整っていれば風呂の一つでも入ったものだが、残念ながらこの基地に浴びれる水は無い。
あるのは工業用の水だけ。装備の清掃作業や単純な基地清掃に使う水で身体を洗うのは流石に抵抗があり、上着を脱いで緩い服装のまま布団に横になった。
部屋に人数分の布団は無い。
各々が各々に布団を運び込み、しかして面積的に些か窮屈なものとなってしまった。元は一人用であったことを考えれば十分な広さを持っていたものの、四人も横になろうとすればくっつくしかない。
俺の左右をワシズとシミズが陣取り、更にその横にX195と彩が並ぶ。俺を中心にして全員がくっつくので、中心になればなる程に温度と湿度が高まっていく。
デウスということで肌触りが悪くなるということはないが、窮屈なお蔭でまったく寝付けない。
無論、寝付けないのには別に理由があるのかもしれないが。
全員が無言だった。何も話さず、何かしようともしない。俺が眠れば彼等もスリープモードになり、そのまま早朝を迎えることになるだろう。
その日から別れが加速するかもしれない。続行が続くかもしれない。
あらゆる可能性が集約する場所に向かうのだ。当然、覚悟を決めねばならぬ時はやってくる。
「――――」
彼女は同じ気持ちなのだろうか。
同じ様に不安を覚え、同じ様に覚悟を決めているのだろうか。
一度考えてしまうとそれは中々頭から離れず、目は常に冴えている状態だ。このままでは寝不足になるなと呆けた頭は結論を出すが、解決する術は無い。
勝てば良いのだと楽観視するのは簡単だ。しかし、幾十幾百幾千と繰り返した歴史は軽くない。
人間の歴史の一部に俺達が終止符を打つ。それが本当に可能であればという言葉が付くものの、俺と彩は未来を勝ち取る為に此処に立っているのだ。
忘れてはならぬ。忘れてはならない。――解っている。その言葉に一切の不純物は混ざっていない。
俺にとって始まりはやはり、あの安アパートでの出会いだ。当時は無邪気にデウスを慕い、軍に希望を感じていた。
無根拠の信頼が如何に脆いのかを知っているのに、知らぬ振りをして日々を惰性のまま生きていたのである。もしも周回時の記憶を保持していれば、間違いなく何かを俺はしていただろう。
それが知識を深めることか、或いは身体を鍛えることか。
どちらにせよ、今よりはマシな状態になっていたのは間違いない。彩だけが記憶を持っていけると解っていても、それでも同様に記憶を持っていたいと考えてしまうのだ。
それは弱さである。そして、偽らざる本音でもある。俺はきっとこの気持ちを何年も失わずに生きていくのだろう。
だが、それで良いのだと思う自分も居る。
そうでなければ自分ではない。辛い現実を前に空想に逃げるのではなく、確りと地に足を付けて歩くのだ。
仲間の為に、デウスの為に、ワシズに、シミズに、X195に、彩の為に。
不安の想いと同様に膨れ上がるのは勇気ではない。これは一種の負けん気のようなもので、怒りじみてもいる。俺が大切だと思った者達がこれまで敗北していたなどと、断じて納得出来るものではない。
「起きてる奴は居るか?」
「はい」
「もち」
「起きてますよ」
「何かある?」
やはりというべきか、俺が声を掛けたら直ぐに返事がやってくる。
その事実につい笑みを浮かべてしまい、遂には小さく声も漏らす。最低限大きくはならなかったものの、笑い声は暫くの間続いてしまった。
彼女達の声には僅かな不安も無い。決戦すら一つの戦いのように感じ、普段通りに戦ってくれるのだろう。
彩は俺と同じ事を考えているのかもしれないと先程は一度考えた。だが、それは俺だけが持っている悩みだったのだ。
家族は前進しか考えていなかった。戦って戦って戦い続け、活路を強引に持ってくる。軍に居るデウス達と同じだ。
負ける可能性は勿論思考しているだろう。それをせずに挑めば、どんな落とし穴に嵌まるかも解らないのだから。考え、しかし勝つと前向きに思考している。
弱者としての思考ではない。彼女達は一重に強者の思考で動き続けている。
であれば、家長である俺が一々不安で思考を占領させてはいけない。彼女達のトップとして、そして街のトップとして勝利することだけを考えるのだ。
最早ここまで来て、逃げるなどという選択は有り得ない。
立ち向かい、星を飲み込む怪物に勝利する。嘗ての俺もしていただろう決意を胸に、家族達に何でもないとだけ告げて瞼を閉じた。
不安が残ってはいても、今は不思議と眠気がある。
沈んでいく感覚を味合いながらも意識は徐々に夢に引き摺られ、その現象にもしやという思いを抱く。
その証拠に横になっていた身体は何時の間にか立ち上がり、景色は覚えの無いものに変貌していた。
綺麗に舗装された道路に、汚れながらも確りと立つ建築群。ビルも一般家屋も無事な状態を維持しているのは東京くらいなものだが、この街は東京ではないと頭が告げている。
では一体。そう思った俺の耳に、誰かが近寄る足音が届いた。
振り返る。夏の陽炎のように揺らめき、とてもではないが足音が聞こえない距離から近付く人間が居る。
「……やっと会えたか」
白衣を身に纏い、碌に纏めてもいない黒髪を持った男。
ポケットに手を差し、腰を若干曲げながら歩く様子に若さは感じられない。しかしその顔は確かに若いもので、そしてよく知っているものだった。
一体何故。そう言おうとしたが、しかし声が出ない。
出し方を忘れてしまったかの如く何を言おうとしても出て来ず、相手に質問することが出来ない。――一体何故。
「声は気にするな。 これは何百何千の試みの中で掴んだ初めてのチャンスだ。 だから、その全てを記憶に刻め」
どうしてお前は俺と同じ姿をしている。




