第二十八話 休息
移動による移動によって森に到着した俺達は少しだけ広がった空間で腰を落ち着けた。
丁度いい切り株も草木も無い地面の上に汚れるのを承知の上で座り込み、流れる汗をリュックに仕舞っていたタオルで拭う。そのタオルも高温によって随分温まっていて、何ともいえない気持ち悪さを感じさせる。
涼しい場所で落ち着けたいと本音を呟きそうになって、直ぐに口を噤んだ。それを言ってしまえば間違いなく彩達が何かしらの手段で達成させようとするから、不必要な発言は少々ばかり不味い。
リュックサックの脇に入っていた飲み物は見事に温くなっている。もっと置いておけば更に温まることだろう。
残りも僅かになっているから一気に飲み干すものの、味は決して良いとは言えない。
それでも飲めるだけ有難いと空になったペットボトルを戻し、今だ警戒している彩達の方に顔を向ける。
一先ずとはいえ、街からの脱出は成功した。
かなり無茶苦茶な方法だったが、結果的に誰も追ってこなかったのだから何も文句は無い。それに文句を言うだけの活躍もしていないのだから、これで言ったらただの邪魔者だ。今でさえ邪魔者も同然なのにこれ以上にはなりたくない。
ネガティブな思考を切り捨て、考えるは街の状況だ。
既に大部分が破壊されているのは逃げながら確認した。重要なのは、遠くに見えていた軍の姿だ。
俺の目でも見えていたのだから彼女達ならより正確に見えるだろう。彩は元々所属していたのだから間違えはしないだろうし、ワシズとシミズはそもそも軍によって造られた存在だ。データを把握していないとは考え難く、故に彼女達が一度も目を逸らさずに街を見ている姿は俺にとって真剣にならざるをえない。
「どうだ?」
「街の状態は脱出時よりも被害が増しています。火災をそのまま放置した結果でしょう。軍も一定の距離で静止しました。PMC側の出方を伺っていると見て間違いないかと」
「peace側が消火活動をするとは思えないから被害拡大は当然として、軍も軍で慎重さを優先したってとこかな」
「恐らくは、ですが。それと、此方にまで来ていない様子から軍側は私達の存在を把握していないと思われます。時間経過によってPMC側から情報が流れますが、そうなるまでに多少時間が掛かるでしょう」
「その前に移動だな。なら休息時間を短めにするか」
「それは肯定出来ません」
彩の言葉は確かにその通りだ。俺達の存在を軍側がもしも捕捉していたとしたら、今頃は別の部隊が来ている可能性が高い。そうなれば警戒に全力を傾けている彩達が気付かない筈が無いだろう。
彩達のスキャンを誤魔化す方法があるのならば別だが、どうにも彼女達の姿からはその方法があるようには思えない。専用装備が必要になると解っていて、かつそれが相手側が絶対に積んでいないだろうと予測を立てているだけなのかもしれないが。
ともかく、全面的に肯定は出来なくとも彼女の言葉の方が余程信憑性はある。
それを信じて何も言わず、しかし休憩は短めにしようという意見は一瞬で却下された。まさかの即答に何も言えずにいると、彩は初めて此方を見た。
その目はよく見るもので、また心配させてしまったと確信させられた。
「あの戦いで只野様は疲弊し過ぎました。短めの休息では何時御身体を壊すとも限りません。監視や警戒などは全て我々が行うので、今は休息を取ってください」
「しかし……」
「どのような理由も今は聞きません。責められようとも、私は貴方に休憩してもらいたいのです」
あのような戦いを俺は経験したことはない。一般人にそんな経験がある訳も無いし、彼女もそれは知っている。
だからこそなのだろう。俺があの戦いで目に見えて限界を迎えてしまったから、無理矢理にでも長時間休憩を願った。無論その危険性は全て解っている筈だ。
今この瞬間にも移動した方が遥かに安全だとしても、その間に俺の体調が崩れないとは限らない。
そして一度崩れれば、回復するまでは移動は困難だ。そもそも病院に行かなければならない程であればその時点で俺達の逃走はエンドだろう。
彩達は足掻いてくれるだろうが、移動出来ないと相手が察した時点で敗北は確定となる。
どちらの方がマシかと聞かれれば、今この瞬間の休息だろう。
「……解った。何かあったら教えてくれ」
「はい」
「それと」
ならば休むべきだ。少しでも心配されないように仮眠を取るべきだとリュックを枕にして横になる。
その前に言うべきことがあった事を思い出して、横になりながら言うべきことを言った。正直これを言うのは恥ずかしかったので、言った後に直ぐに意識を落とすつもりだ。
「俺は、皆の事が好きだよ。だから責めもしないし文句も無い。……それだけは覚えていてくれ」
誰かに好意を伝えるのは何時だって恥ずかしいものだ。学生だった頃もそれは変わらず、家族に対してだって特別な日でもなければそれを口にする事は無かった。
彼女は俺の言葉にどう思っただろうか。気持ち悪いと思われたなら、それはそれで当然だな。
一度寝ると決めた瞬間に意識は一気に落下を開始する。彼女の反応が今は怖くて、その落下に身を任せた。
最後に耳は何かを捉えたが、それが何であるかは解らない。ただただ束の間の夢へとボートを漕ぎだした。
『ねー、母さん』
辿り着いた夢。疲れ過ぎた時は夢など見ないと思っていたのだが、何故か俺は自分が今夢を見ていると解る。
白い背景に小学生くらいの頃の俺の姿。そして対面には幼い俺に向かって笑みを向ける母親の顔があって、手は幼い俺の頭を撫でていた。
これは何時くらいの頃だったろうか。小学生時代なんてまったく覚えておらず、精々覚えているとしたら何かの劇をしただとか喧嘩をしただとかその程度だ。
だからこそこの背景は白いのかもしれない。なら母親の事は頭のどこかで確り覚えていたのだろう。
まるでマザコンだなと笑いつつ、状況の変化を待つ。地面と思われる場所に座り込み、二人のやり取りをただただ聞いていた。
『なぁに?』
『今日はお母さんの誕生日だよね!だから、俺誕生日プレゼントを作ったんだ!!』
『へー、どんなものを作ったの?』
『えっとね……肩叩き券!』
我ながら安直なプレゼントだ。そんな物で喜ぶ筈も無いというのに、母親は笑顔で汚い字で書かれた長方形の紙を受け取っていた。
それが結局使われたのかどうかは解らない。記憶にも残っておらず、そもそも肩叩き券そのものの記憶も無い。
だがあの母親の笑みは本物だ。長年見てきたからこそ、嘘ではないと解る。愛想笑いでも何でもなく、母親はその愛を幼い俺に向けていた。
良い夢だと思う。穏やかで、静かで、笑みに溢れた空間だ。
これを邪魔するのは無粋でしかない。立ち去れるのならばさっさと立ち去りたいものだ。
しかし此処は俺の夢。そんな事は出来ないと胸が温かくなるような、或いは背筋に痒み走る感覚を覚えながら母親が立ち上がる姿を見つめる。
もう二度と見れない姿だ。だからこそ、胸に刻まなければならない。
俺は確かに愛されていたのだと。決して蔑ろにはされていなかったのだと。
母親は何かを二つ手に取った。その何かはシンプルな木で出来た写真立てで、中には一家全員が並んでいる。
全員が笑っていた。平凡で、安穏とした、至って普通の家族がそこにあったのだ。――だが、二つ目の写真立てを見た瞬間に背筋に何かが走った。
それは一名目と同じく家族の集合写真だ。人数が多い辺り恐らくは友人か親戚も巻き込んだものなのだろうが、重要なのはそこではない。
『ね、信』
『なに?』
母親は笑顔だ。この写真に何の違和感も抱いていない。
この中で異常を感じているのは俺だけだ。幼い俺もまるで気が付いてはいない。
写真立ての中には俺を抱きかかえている女性が居た。何処かの女子高のブレザーを着ていて、その顔はやはり笑顔だ。しかし、その瞳は澄んだ青だ。
腰まで伸ばした黒髪は艶があり、それもまた余計に異常に拍車をかけている。いや、ここはもう断じた方が良いだろう。
俺を抱きかかえている女性は――彩だ。
髪も、瞳も、顔の造りも、体格に至るまで全てが先程意識を失う寸前だった姿と同じ。逆に違う箇所なんて服くらいしかない。
彩はデウスだ。それに生まれ自体も研究所の筈。
だというのに、その女性はあまりにも似過ぎていた。瓜二つと言っても過言ではなく、何故母親はこんな写真を持っているのかと疑念が籠った眼差しを向けてしまう。
幼い俺はその女性を見て、嬉しそうな顔を浮かべた。俺自身には何の記憶も無いというのに、目の前の少年は確実にその女性の事を解っていたのだ。
どれだけ頭の中の記憶を漁ってもそれは出てこない。であれば、これは本当に断片なのかもしれない。
思い出せない程に小さな、記憶の断片。それがこうして表に出てきた事実に、何かを感じずにはいられない。
『あ、お姉ちゃんだ』
『あら、覚えてたのね。やっとテストが終わったとかで明日来るから覚えてるか確認しようと思ったんだけど、大丈夫みたいね』
『大丈夫だよ!だって■■■なんでしょ?』
『ええ。まさか信にこんな大きな■■■が出来るなんて思わなかったけどね』
二人の会話の途中で急にノイズが流れた。何かを言った筈なのに、二人の会話の一部が聞こえない。
それはつまり、そこだけが削られているのだろう。更に言うのなら、そこから先はもう残っていないのだ。
それを証明するようにノイズの量は増え、最後には何も聞こえなくなる。後に残るのは二人の和やかな姿だけで、俺の疑問を解決はしてくれなかった。
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