第二百七十四話 損得勘定と感情論
より多くの人間を生かす為にデウスが誕生し、更に平和な土地が生まれた。
その機会を軍が狙わない筈も無く、彼等が彼と彩に接触するのは必然だ。秩序が無いも同然となった世界において、軍事力は明確な上下を決める指針となる。
国によっては軍が政治を行う場所も存在し、如何なる道理も力があれば通してしまう。
その力も怪物の攻撃によって容易く崩れ去るが、少なくとも一瞬の栄光に酔うには軍に所属するしかない。だからこそ、日本軍は己よりも強い力を持つ者達に危機感を募らせた。
日本軍はこれまで怪物の撃退をしたことがない。精々進行方向を変えたくらいで、明確な殺傷には至っていない状態だ。
諦観に支配された中で戦い続ける人間は少なく、士気そのものは非常に低い。他の軍も似た状態ではあるものの、日本の軍は他よりも一段質が低くなっている。
だが、そんな最中に希望が現れた。危機感を覚えるのは確かだが、同時に生存の芽が誕生したのである。
怪物を撃破する方法を軍が手にすれば、日本全体を元に戻すことも視野に含めることが可能だ。
それがどれだけ難しいものであろうとも、勝利を手にする為に惜しむことなど無い。それが軍高官達の総意であり、彼等は早速手紙を書いて一部隊を派遣した。
なるべく誠実に対応し、なるべく結果をもぎ取れるような人。そんな者達だけで構成された部隊は先ず最初に、嘗ては廃墟群だった場所を見て顎を外さんばかりに驚愕した。
そこにあったのは崩壊寸前の建物ではない。多くの人間が生活する一大拠点であり、規模であれば町と変わりがない。
彼等の表情には僅かながらでも笑みがある。農作業に営む人間や何処かから運び込んだ牛や豚の飼育を行い、貨幣に頼らない昔日の営みを行っていた。
彼等は武器を携行していない。日常生活に必要な物だけを持ち、彼等を警戒はしても即座に攻撃してはこなかった。
それは彼等自身の恰好が一種の証明になっているからだ。
濃い緑の軍服を纏えば一般人は誰でも軍と認識する。これは長年の刷り込みによる成果であり、もしも軍が私服姿のままであれば彼等は質問攻めをされていただろう。
そのまま軍は進んでいき、彼等の接近に気付いた彼と彩は表に出た。
彼は何も手に持っていなかったが、彩は自身の手で製造した銃器を持って相対。人外の美貌を持った彩の姿に軍の男性陣は皆見惚れたものの、女性陣の言葉に即座に正気を取り戻した。
彼等は非常に理性的な対応を行い、彼自身もまた彼等の対応に合わせて丁寧に対応を行う。彼はあちらの目的を予想していたので出来れば来てほしくなかったが、同時に来るだろうと警戒もしていたのである。
間違いなく彩の事を話せば、軍は彩の引き渡しを求める。そして、それに反抗すれば軍は彩の存在を危険視して滅ぼしに動くだろう。
これまでの発展が裏目に出たのだ。注目を集める行為をすれば、自然と誰かの興味を引いてしまう。
軍は極めて丁寧に説明を行い、事の真実に対する情報を求めた。
軍は何故此処が平和であるのかを知らない。知り得るには彼から直接話を聞く他に無く、嘘を吐かれたとしてもそれが本当に嘘だったのかどうかを知る術は存在しないのである。
「嘘を話せば時間を稼げたでしょう。 ですが、あの人は時間稼ぎを最初からするつもりはありませんでした。 まぁ、例えそうしたとしてもまったく意味は無かったでしょう」
彼にとってすれば、軍等関わり合いになりたくない存在だ。
時間を稼いで説明を伸ばしたとして、最終的には全てを話さねばならない。そうなるくらいならば、なるべく最短で事を済ませようと彼は自身の研究成果を説明した。
人型アンドロイドの存在は露見すれば世紀の発明として世の注目を集めるだろう。当時がどれだけ地獄であっても、その情報は世界に広がる筈だ。
軍も最初は彼の説明に半信半疑であったが、彼の隣に居た彩が実際に首を取り外してみせたことで納得することとなった。
施設が大きくなるまでは彼女一人で防衛と拡大を行い、今は彼女が操作する人形達によって街の防衛は行われている。
このまま更に拡大すればAIを有するアンドロイドを新しく作るしかないが、現状はこの形で維持となっている状態だ。
戦えば百戦百勝。必勝を運ぶ女神のような存在として、彼女は深くこの施設に住む人間達に信仰されている。それこそ、彼女が敵だと告げた相手を絶対に拒む程だ。
「当時、軍相手に実際に力を見せることもしました。 その時は全力の十分の一でしたが、それでも軍を驚かすには十分な威力を誇っていましたよ」
「……まぁ、当時はデウスが居ないからな。 創作上の存在が現実に出てきたようなものだ」
「そうです。 御伽噺の戦乙女が現実に現れたと、軍人達も興奮を隠していませんでした」
軍の人間は大いに喜んだ。
正にこれこそ日本が求めた力。これがあれば、日本を元に戻すことも十分可能となる。
更に時間を掛ければ、世界平和にも一気に近付くだろう。勿論それは日本にとっての都合の良い世界平和であるが、それでも人類が再度元の生活を取り戻すのであれば手放しで喜ばれる。
今、世界に求められているのは芽だ。少しでも反抗が出来ると思えれば、それが彼等の心の支えになってくれる。
だから絶対に逃す訳にはいかないと、軍人達は彼の思いを知らずに本題を口にした。どうか護国の為にその技術を提供してはくれないかと。
見返りは相当なものばかり。資金提供やこの土地一帯の統治者としての権限が与えられ、日本が解放された場合は大々的に彼の存在を評価して専門の研究所を作る。
間違いなく彼が求める全てを軍は叶えてくれるつもりで、しかし本当に欲しいものを彼等は理解していない。
その全てを聞いて、彼が出した結論は否だ。如何なる優遇措置を施されても、この技術を他所に与える訳にはいかない。
彩というのは彼が求める唯一の友人である。決して戦う為の力でもなければ、軍に利用されるだけの駒であってもいけない。
軍人達を前に、彼は一歩も退かずに彩の誕生理由を口にした。
愛があるからこそ、戦わせたくはないのだと。どれだけ彩が戦いを肯定したとしても、生みの親だけはせめてそれを肯定してはいけない。
お前は自分の大切な存在に言うのか。――俺の為に命を賭けて戦ってくれと。
当時、記憶の保管技術はまだ誕生していなかった。故に一度全損してしまえば、もう元には戻ってくれない。
人と同じだ。失われてしまえば、二度と自分の知る彼女は返ってこないのである。大切な存在が喪失して、果たしてお前達は耐えられるのか?
椅子に座った彼の独白めいた言葉に、軍人達は何も言えない。
その姿はとても素晴らしい発明をした人間の姿ではなく、一人の存在を想う男だった。
ちっぽけだ。あまりにも彼の姿はちっぽけだ。しかし同時に、どうしようもなく胸を揺さぶられてしまう。
大切な誰かを戦場に赴かせたくない気持ちは軍人達も一緒だ。例え彩が革命的存在だったとして、それで死ぬまで酷使される戦場に投下される理由はない。
彼の気持ちは当時の人間の誰もが抱える複雑なものだった。全体の事を思えば彼の気持ちなど無視して無理矢理彩に使われている技術の提供を迫るべきだったが、理性的過ぎたからこそその時点での軍人は彼の気持ちの方を選んだ。
同情とも言えるだろう。その選択が決して褒められたものではないと、軍人達も理解はしている。
しかし、彼等はちっぽけな本性を見せた彼の想いに感化させられた。――――その凡百な精神を我々は忘れてはならぬのだと胸に刻んで。
「ですが、この後軍は無理矢理に私に使われていた技術の提供を迫りました。 提供せねば施設の人間を全て非国民として排除すると脅迫し、遂に軍はデウスを手にするのです」
かくして、彼の想いは世界から見捨てられた。
求められるは世界救済。その為に小の感情を気にする余裕など無く、彼もまた大を生かす為に己という小を切り捨てた。
量産される人形にはデウスという名前が付けられ、大量生産された彼等は大々的な活躍をし、そして沖縄で彼等は出会う。
ワームホールの発生原因にして、異なる世界に存在するもう一つの特異点。異世界の超越者は悠然と構え、彩という超越者と顔を合わせた。




