第二百七十二話 原初の友
男が最初にソレに求めたのは、ただ単に下らない話相手にもなってくれる友だった。
彼は生まれてから一度として他者と同じ感覚を共有していない。誰もが美しいと思う物を思えず、美味しいと思う物を思えず、いっそ真逆なまでに彼は人とは違う感性を有していた。
そんな相手を気味悪がるのは自然だ。親兄妹ですらも彼のことを気味悪がり、決して彼等から会話しようなどとは思わない。
生まれた頃からの先天性であるというのに、家族は誰も飲み込んではくれなかった。世間体の問題で捨てることはしなかったが、極端に冷めた時代であったのは言うまでもない。
そんな生活を送り、彼が真っ当に育つなど論外だ。誰とも遊ばず、家族を他人と断じ、一人不得意な勉学に精を出す。
そのお蔭で有名私立大学に入学出来たものの、やはりそこでも彼の感性は受け入れられない。結局何処までも他人同士のままの関係が続き、あらゆる問題を一人で解決せねばならなかった。
一人で何でも出来たのであれば、彼は友を求めはしなかっただろう。
だが彼は非常に出来ないことの方が多く、コンビニで飯を買わねば飲食すらもままらなかったのである。その中で唯一胸を張って出来ると言えば、それは彼自身が不得意だと言っている勉学だ。
幼少の頃から磨き上げた頭脳は元が平凡であっても桁違いの演算速度を誇る。凡人の域を超え、天才の一歩手前まで辿り着いたその頭脳は容易に彼を異なる世界に迷い込ませたのだ。
即ち、偉業。誰もが求め、しかし簡単に到達しない世界。
そこに辿り着ければ皆が彼を称賛する。例えそれが仮初のものであったとしても、表面上の喜びだけで彼は嬉しかった。
故に彼はその頭脳を用いてアンドロイドの製作に乗り出し――――怪物の襲来が始まったのだ。
誰も彼もが絶望に身を縮める中、彼は一人でそれを作り上げる。
最早完成させたとしても誰も褒めてはくれない。偉業の世界に踏み出すことは不可能であり、しかしそれでも作るのは彼自身が出来上がっていく物に愛着を覚えたからである。
此処で生まれなければ、目の前のアンドロイドは建物の瓦礫と共に潰れるだけ。それは到底納得出来るものではなく、本当に倒壊し掛ければアンドロイドを別の場所に移して製作を続行させただろう。
中学生程度の身長を持つアンドロイドはその時点では外観が全て完成していた。残りはAI部分の完成であり、全ての項目を入力すれば『彼女』は人として起動を果たす。
順調とは言えなかった。無駄だと暴言を吐かれ、破壊されかけた事も一度や二度ではない。
軍が拾い上げねば彼女の完成は無く、しかし拾い上げた後でも彼の待遇は決して良くはならなかった。
だが構わないのだ。己の人生は最早どうにもならず、このまま一人間として終わりを迎えるだろう。そこに納得はあるし、今更足掻こうなどとは考えていない。
唯一の心残りは、友とは何であるのか。
アンドロイド製作の目的は当初から変わり、最終的にはそれに行き着いた。生まれたばかりの彼女であるならば、己の感性をどの程度許容出来るのかを知りたかったのだ。
その上で友になれれば、人生の終わりとしては最良である。後は好きに生きろとだけ告げ、自身は自殺するつもりであった。
「結果として私は無事に目覚めました。 最初に視界に映ったのは――」
酷い黒煙だった。
室内全てが黒い煙によって支配され、呼吸という当然の行為ですらも此処では出来ない。
そんな場所で完成した彼女は目を開き、周辺を確かめる為に首を動かした。壊れた機材の数々に、粉砕された壁や硝子。
明らかに尋常ではない状態に、しかし目覚めたばかりの彼女はそれを異常とは思わない。様々な情報を蓄積したとて、常識と呼ばれるものはそう簡単に身に付くものではないのだ。
だが、近くの床で倒れている彼を見つけた時、その心拍の低さから彼女は即座に異常を検知した。
解決方法をコアに蓄積された情報から引き出し、彼を抱えて五階の窓から外へと飛び降りる。医療設備が整った場所にまで運びたかったが、そうするには状況が悪過ぎた。
何故研究施設が破壊されたのかを考えれば、状況など容易く予測出来てしまうものだ。
施設周辺には無数の怪物が蔓延り、人間の生活環境を急速に破壊していた。道路を、建物を、命すらも己の本能に合わせて捕食し続け、生きている何ものも存在していない。
地獄だ。ただただ、地獄だけがそこに広がっていた。
彼女のコアに蓄積された風景と一致せず、まるで生まれる世界を間違えてしまったと錯覚してしまう程に見違えている。
怪物についての情報も勿論彼女のコアには載っていた。可能な限り人間としての感情を搭載された彼女は、しかし初めて目にした怪物に恐怖よりも困惑を覚えた。
一体どうして――武器も持っていないのに弱く感じるのか。
倒せないと思えない。確実に殲滅出来ると根拠の無い確信が湧き上がり、その衝動を抑える理由を彼女は持っていない。
初めてのエラーを無視しつつ、彼女はそっと理解の出来ない動作を自然と行う。
建物の一部に触れ、その部分を消費して鉄塊を作り上げた。完成されたそれは酷く不格好で、少なくとも専用兵器程の精度は無い。
「あの時の心情を思い出すのは難しいです。 目覚めたばかりですし、何よりもそちらの殲滅に意識を向けていましたから」
鈍器を振り回すだけで怪物は死にはしない。それが当時の世界常識であった。
だが、彼女は人間のような感情を持っているだけで人間ではない。強靭な腕を振り回して怪物を肉塊に変えていき、多少故障はしても最終的に周辺の全てを殲滅した。
火の音だけが残った街で生きている人間は居らず、潰した怪物の中からは人間の一部が姿を現している。それを見ても彼女の感情は揺らがず、当初の目的であった彼の生存の為に持ちながら移動を開始した。
人間が大勢存在している反応を頼りに東京へと向かい、時折彼の状態を確かめる。研究者である彼の身体は想像以上に軽く、あまり物を食べていないのは確かだ。
元々供給される飲食物が少ないというのもあるだろうが、それでも平均より遥かに下だ。
最初から死ぬのを想定していると思わされ、そこで初めて彼女は恐怖を抱いた。世界でただ一人になってしまう寂しさを感じ、誰からも救われない絶望を抱き、自然と足は超過駆動まで動き始める。
幸いだったのは、直ぐ近くに医療施設があったことだろう。
粗末な設備ばかりであったが、彼を元に戻すには十分だった。医者も看護師も彼女が突然現れたことに驚いたものの、背負っていた彼を受け入れて無事に手当ては終了したのである。
しかし、彼が目覚めたのは終了から三週間も後のことだ。意識を失い過ぎてしまったことと元々の健康状態が悪かったことが祟り、意識の回復に時間が掛かってしまったのだ。
待っている間は彩にとって喜ばしいものではなかった。胸に抱えた莫大な孤独感に叫び出しそうになり、それを何とかコアの感情抑制によって抑え込む。
飲食物には一切手を付けないことに医者も看護師も訝しんだが、そんなことも彼女にはどうでもよかった。
ただ目覚めてほしかった。どうか一人ぼっちにしないでほしいと、常に傍に居続けた。
一度もシステムをダウンさせず、彼女は無自覚の狂気を抱えながら一歩も動かずに同じ作業を機械的に繰り返した。
それが何時かきっと報われると残酷な演算結果を無視して行われ――その努力は奇跡的な確率によって報われた。
「初めての会話は酷く記憶に残っています。 痩せ細った身体で顔を此方に向け、小さく祝福してくれたんです」
――おめでとう。
その言葉で初めて、彼女は喜びの感情を学んだ。




