第二百七十話 共同体
――――彼等の意見は言ってしまえば子供の我儘のようなものだ。
これまでの全てを見なかったことにはしないし改善はしていくつもりであり、その上で街とは協力的な関係を築いていきたい。既に軍によって無数のデウスが憎悪を抱いているというのに、彼等の感情を無視して撤回を求めたのである。
今後の事を思えば軍との繋がりは有益となる筈だとも言われ、あまりにもあまりな台詞に最早呆れすらも感じてしまった。
社会的な関係に感情を持ち込むのはナンセンスだと言われているが、そんなことは俺達には関係無い。あの街が優先するのは恒久的な平和で、デウスも人間も心穏やかに過ごしてもらいたいと思っているのだ。
その為に街開発を進めるのは当然の道理。軍も警察も介入を許さず、俺達は俺達で独自の組織を構築して現在まで運営している。
未だ大部分をデウスに任せる形となっているものの、彼等にとっては逆にそちらの方が都合が良いと好評だ。
デウスは人々の為に動く存在であって、もう働かなくても良いと言われては存在意義を喪失してしまう。故に人間同様に扱わなければ今度は街が崩壊するところであった。
組織というものは必要だ。だが同時に、軍を経験したからこそ組織が恐ろしい。
彼等は俺の決定に過敏だ。もしも自身にとって不都合な未来が訪れたらと、常に考えながら生活を送っている。それは半ば精神病の域にまで届き、改善するには長期的に構える他に無い。
そんな状態で軍と強力関係を続けるなんて不可能だ。何処かで爆発する可能性を孕むこととなり、俺の隣にはずっと巨大な爆弾が存在することにもなってしまう。
俺とデウスの双方にとって軍は不利益なのだ。都合が良ければいっそ無くなってしまえと思うくらいに、軍という巨大な組織は邪魔なのである。
俺の意見は揺るがない。誰がどれだけ諭すような言葉を述べたとしても、最早止まることもない。
だからこそ、高官達の懇願も混じった言葉も切り捨てた。それによって沖縄後に軍と構えることになっても、俺達は希望のある方を選んだのだ。
「今日……その、どうでしょうか?」
夜。
トップ二人と家族には防音室での出来事を語り、全員から賛成を貰った後に俺は一度仮眠を取った。
起きた後は飯を食べ、風呂に入り、そのまま二度寝にでも移行しようかと考えていたのだ。けれども、珍しいことに彩から誘われて俺と彼女は自室で酒を飲んでいる。
彼女が酒を飲む姿は珍しい。どれだけ飲んでも酔いはしないだろうが、それでも構わないとばかりに既に彼女は一本を飲み干した。
一体どうして誘ったのだろうか。気にしながらも酒を飲み、暫くの間酒を飲む音だけが部屋に響く。
三本は飲んだ頃。少し酔い始めた時に彼女は無言で俺の肩に頭を置く。腕は俺の太股を撫で、何とも言えない雰囲気があたりに立ち込め始めた。
「どうしたんだ? らしくないな」
「……そうですか?」
「普段はもっと硬いからな。 もう少し緩くなっても良いぞ」
彼女が普段から俺に対して口調を緩めないのは特別感があるが、もっと普通に話してもらって構わない。
恐らくはあの何処か棘のあるような話し方こそが本来の彼女なのだ。それを抑え込むのは個性を殺しているのと変わらず、少なくとも此方は容認していない。
だが彼女は、俺の言葉に首を左右に振るだけだ。
「私が尽くすのは貴方だけです。 この話し方はその証明のようなもので、もう元に戻すのは出来ませんよ」
「証明って……そんなものは必要無いと思うがな」
「必要です。 ――だってこれは、他のループでは無かったことですから」
ループ。
彼女のその言葉に、俺は息を呑む。彼女が他の世界でも俺と会うのは博士の記録から知ることが出来るが、恐らく彼女はそれ以上にループの情報を獲得している。
だが、それはどうやってだ。あらゆる記憶が消されている以上、過去の出来事も記憶していられない。
何度でも記憶を消されるのだ。それを防がねばループしているという情報を博士の日記から知る他に無く、故にこそありえないと思わず口に出してしまった。
俺の断定的な口調に、しかし彼女もそうですねと同意を示す。
隠し事はしないと宣言した通り、彼女はよっぽどの場合を除いて嘘を吐きはしない。
「もしかして、何処かに記憶が格納されているのか?」
「いいえ。 過去の私がどうやら別空間を作り出し、そこに全員分の記憶が人格ごと存在しています」
「別空間……本当にSFだな」
出来ないとは言わない。
既に敵の方が世界同士を繋げているのだ。別の空間を新しく用意したとしても不思議ではなく、きっとそれは万が一博士の日記を見つけられなかった保険として用意していたに違いない。
彼女はゆっくりとその空間の自分達について話していく。自身とは異なる身長をしていて、異なる口調をしていて、異なる思考を展開する己。
見た目は近くとも、彼女達は俺の知る彩とは違う。沖縄奪還に敗北し、最後に彼女達はその空間で人格と記憶を保存しているのだ。数は数百から数千と漠然としているものの、多いことに変わりはない。
それだけの人数が彩の視覚情報を通して世界を見ているのだ。今この瞬間も、彼女達は彩の目から俺を見ていることになる。
「彼女達は基本的に私に干渉するつもりはありません。 何をするのも自分で決め、貸すのは沖縄奪還に役立つ技術の全て」
「あの犬や黒い彩達がそうだな」
「そうです。 彼女達が処理をしてくれたからこそ、完成までの工程を飛ばすことに成功しています」
あの水爆じみた爆弾と比較するのはおかしいが、犬もデウスも簡単に作れるものではない。
それをああまで反則染みた速度で作り出したのはおかしいと思っていたが、数百や数千のバックアップを受けていれば作れていても不思議ではない。
彩の背後には無数の存在が居る。彼女達は決して期待している訳ではないようだが、協力そのものは惜しまないのだろう。
「彼女達と会話は出来るのか?」
「やろうと思えば出来ますが、信次さんと話すには一時的に身体の支配権を移行させねばなりません。 流石にそれは容認出来ません」
自分の身体を好きに動かされるのは俺だって嫌だ。
だから彼女の言葉に即座に中止するが、その直後に小型端末が震えた。夜であることから連絡を入れる者など限られているものの、万が一緊急であれば無視出来ない。
密着している身体を動かして端末を起動させると、メールが一件入っている。ただし、その宛名は彩のもの。
思わず顔を彼女に向ければ、本人は不思議そうな顔をするだけだ。
内容は酷く短い。メールであれば私と話が出来ますよという文面だけが書かれ、まるでこれまでの話を全て聞いているかのようだ。
「彩、なんかメール送ったか?」
「いえ、そんな訳では――――ああいえ、今此方で返事が来ました」
意味不明な返しであるが、先程までの彼女の会話を聞いていれば誰が発信者であるかは容易く予測出来る。
恐らくは別空間に居る彼女達の誰かだ。その上で彩のシステムを本人にバレないよう利用するなど、権限の高い者でなければ不可能だろう。
彼女もそれは理解したようで、目を光らせて自身の内部をスキャンして舌打ちをした。
「どうやら信次さんの話してみたいという言葉に触発されてシステムを使ったみたいです。 申し訳ございません」
「いや、こうして話をする手段が見つかったんだから問題無いよ」
――有難うね、信次。
新しく送られた文面は恐ろしくフランクだ。口調が違うと彩は言っていたが、本当に別なのだろう。




