第二百六十二話 愚か者の軍勢
人が不快になるものの中で、やはり理不尽な行動はトップに君臨するのではないだろうか。
落ち度も無いのに叱責され、突然事故に巻き込まれ、ただそこに居るだけで陰口を叩かれる。何か自身に思い当たる節が存在すれば幾分納得も出来るであろうが、そうでなければ怒りに暴れても不思議ではない。
この街でもそれは同じだ。人々がそこで暮らしている限り、理不尽と呼ばれるものは絶対に発生する。
交通事故、殺人、窃盗。件数そのものは他と比べれば圧倒的に少ないながらも、犯罪行為の抑止は完全には成し得ない。
そして、街の外からでも理不尽と呼ばれるものはやってくる。
それは怪物ではなく、ある日の朝の電話だった。例の騒ぎから暫くが過ぎた早朝に突然の電話が舞い込み、書類作業を手伝ってくれている仲間の一人が出たのである。
電話先の相手は軍。もしや此方を責める証拠でも掴んだのかと内心、戦々恐々としながら出たものの――――相手は十席同盟とは何の関係も無い軍の高官だった。
「お電話変わりました。 私が只野ですが……」
『突然の電話、誠にすまない。 私は本部で少将をしている根津と言う』
「はぁ」
気の抜けた返事をしたが、相手はそれについて気を悪くしたりはしなかった。
落ち着いた男性の声の持ち主は、これまで会ったことの無い人物である。軍本部の人間であるということで丁寧に対応をしてみたが、彼が話した内容はあまりにも非常識なものだった。
軍には今余裕が無い。必死に物資のやり繰りをしているお蔭で不満の声は少ないが、このままでは間違いなく破綻するだろう。
沖縄奪還もとてもではないが上手くいくとは思えない。もしもその予想が現実のものとなれば、諸外国がデウスの製造法を奪いに現れ、日本の優位性を完全に喪失することとなる。
そうなる前に、余生を過ごせるだけの場所を何処かに作りたい。逃げても殺されず、悠々と過ごせる場所で余生を穏やかに終わらせたいのだ。
その為に俺と個人的に繋がりたい。見返りは、軍の情報に彼個人が保有する資産の半分。
聞けば聞く程に信じられないものだ。仮にも将官クラスの人間が話すべきことではない。その時の俺は怒りに身を震わせ、思わず怒鳴り散らしながら受話器を叩きつけてしまった。
今も必死に生きようとする人間が居る。
にも関わらず、その人間を護らねばならない組織の人間が逃亡をするなど見過ごせる筈も無い。早々に十席同盟には連絡を入れ、件の将官を処罰してもらうように頼んだ。
十席同盟側は他に俺個人と話そうとしていたが、その時点での俺は憤怒に半ば支配されていたので無視するような形で電話を切ってしまった。
その将官が今どうなっているのかは解らない。だが少なくとも、この情報を本部の人間が聞けば真っ先に捕縛と尋問を開始する筈である。
そう思っていたし、周りも同じことになると思っていた。如何な軍でも今回のような理由で逃げるのは許されないものであり、このままただ嫌な出来事だったと過去にして終わりになるのが必然の流れだったのだ。
だが、現実は違う。流れを捻じ曲げたのか、あるいは最初から流れが別だったのか――一件の電話がやってきたのである。
「はい、もしもし」
『只野様でしょうか?』
「その声はXMB殿ですか。 どうかしましたか?」
『今直ぐにでも防衛体制を整えてください。 現在、そちらに向かって根津少将の部隊が移動しています』
「…………………は?」
唖然とした自分は正しいと思いたい。
どうして捕縛されている筈の人間が部隊を引き連れて此方に来ているというのか。あまりにも信じられない情報に詳細を求めると、完全に彼本人が軍から逃れる為に暴走を開始したのだという。
軍は想定通りに根津を捕まえようとした。しかし、そうなることを察知していた根津は技術者と結託して自身の部下であるデウスや現在の軍の体制を良しとしない軍人達と共に強引に街に攻め込むことを決めたのだ。
技術者と結託したのは今一度デウス達に命令を聞かせる装置を取り付ける為。改良された装置は何処に設置しても効果が発揮されるものであり、一度取り付けられると外すのは困難であるとXMBは語ってくれた。
更に彼を大将とした部下の中には基地を任せられている人間も居る。そこの物資を最大限活用すれば、この街に並ぶ戦力となるだろう。
既に軍内では根津をテロリストと定めているが、そんなことはどうでもいい。
電話をしながら早急に村中殿達に指示を飛ばし、戦闘準備を急がせる。出せる戦力は全て出し、なるべく被害を起こさないよう注意して戦うようにも命令した。
当然、突然の事態故に彩達も参加だ。特に彩には大規模環境被害が起きない程度の足止めをお願いし、直ぐに出撃させた。
街中では新しく設置されたばかりのサイレンが鳴り響き、自室へと引っ込ませた。
家の壁は決して硬い訳ではない。兵士の銃ならば問題は無いであろうが、戦車の砲撃やデウスの一撃を受ければ流石に耐え切れないだろう。
「軍も当然出撃するんですよね!?」
『無論です。 我々十席も含め、出撃可能な戦力は直ぐに出撃を始めます』
「解りました。 ……後で色々と言わせていただきますので、ご覚悟を」
最後に脅しの言葉を残して、俺は受話器を降ろした。
軍は何をやっているのか。不穏分子が居ることは理解していた筈なのに、どうして彼等の活動を阻止出来なかったのか。
怒鳴りたい気持ちを持ちながらも部屋を出て、屋上付近の一室に入る。小型端末を設置されているモニターに接続することで疑似的に指揮室めいた部屋が構築され、早速ワシズとシミズに視界の共有を頼んだ。
この部屋を作ることを決めたのは、小型端末で全員の視界を共有することが不可能だったからだ。新たに端末を増やしても俺が全部操れる筈も無いし、それならばいっそと春日と村中殿達に許可を貰った上で自費でモニターを設置していた。
とはいえ、この部屋にあるのはモニターが五台といざという場面の為に用意していたアサルトライフルが一丁。三日分の非常食もあるのは下に降りれなかったことを考慮してであるが、その食料に手を出すことはないだろう。
左右のモニターにはワシズとシミズの視界が映し出される。皆はこの街の部隊員として何処かに所属している訳ではないので、どのような命令も効果を発揮されない。
「彩、X195。 視界共有を」
『了解しました』
続いて二人の視界情報もモニターに無事に映り、特に彩の見ている部分に意識を向ける。
足止めを頼んだ以上、最も前に行くのは彼女だ。敵戦力の情報を手にするには彩の見ているものを見るべきであり、他の三名は防衛用の戦力として壁の上に登り始めている。
彩の全速力では周りの風景を見ることは出来ない。何時の間にか景色は移り変わっていき、ある程度進んだ地点で彼女は巨大な木の頂上に居た。
『見えました。 基本的な戦力は歩兵で構成されているようですね』
「みたいだな……。 デウスも歩兵に合わせて遅い。 この分なら部隊が完全に展開を済ませられるだろうが――」
――それで十分と判断するつもりはない。
俺の意志に呼応して、彩は静かに自身の武器を出現させる。白き銃は久方振りに見たが、最後に見た時と変わらぬ処女雪の如き白さを保っていた。
その先に小さな火が灯される。それはタバコに火を付けるくらいの機能しかないように見えるが、彼女の兵器は何時だって見掛け以上の威力を持っている。
照準は彼等ではなく、彼等が進むだろう大地。その地点に向かって、彼女は引き金を押した。




