第二百五十八話 有象無象の無間
「なんだこれは……」
呟いた自分の声は、果たして震えてはいなかっただろうか。
一人の男として情けない姿を外に見せたくはないと思いながらも、芯まで身体に震えが走っている。しかし誰もそれについて悪くは言わず、寧ろ優しく肩に手を置いてくれた。
俺が見ているのは小型端末の画面。前線に極めて近い場所で軍の人間が多くなったので、最前線までの映像を届ける役目として彩のみが前に突出してくれた。
他三名は俺の護衛を務め、万が一の時には彩を置いて撤退する手筈となっている。彼女一人だけであれば遠慮せずに全力を発揮出来るので、俺達はその騒ぎに乗じてさっさと消える予定だ。
彼女が届けてくれた映像に映っていたのは、断崖の先にある広大な海。そこは本来青く染まっていなければおかしいのだが、赤銅の色に染め上げられている。
その海からは無数の目、目、目。
十や百といった規模ではなく、千や万すらも映る光景を表すに足りない。正に無限と表現すべき敵の数は、そのほぼ全てがただの先兵でしかないのだ。
その海に向かって今も攻撃は続いている。魚雷を陸地から放ち、爆雷を空から投下し、施設を設営する為に全力で有象無象の怪物達の排除を行っていた。
だが、その数が減っているようには見えない。陸に登っている個体は居ないみたいだが、それは単純に相手が此方を警戒しているだけだ。怪物にも他者を警戒する本能があるのは知っている。
しかし、誰も彼もがただ睨むだけで攻撃を受け続けるなど尋常ではない。普通は反撃の一つでもするものだが、怪物達は無言を維持して海に骸を浮かび上がらせていた。
「捨て駒ですか?」
「まさか。 警戒はしても自分が死ぬことを考える訳がない。 ――そんなことを指示出来る奴が奥に居ると考えるべきだ」
X195の意見をばっさりと切り捨て、半ば確定している情報を口にする。
ワームホールを発生させたのは超越者だ。それが怪物達を此方側へと流し、人類絶滅を進めている。どのような理由でそれをしているのかは不明であるが、此方としては断固として絶滅を容認するつもりはない。
俺達が倒すべきは怪物の群れ、そして怪物達に指示を下す超越者だ。柴田博士の情報群に相手の情報は記載されておらず、結局激突しなければ何も解らない。
しかし画面に広がる光景を見るに、ほぼ全体の指示を下すことが出来るのだろう。死への恐怖すらも消して睨み合いだけに集中させるなど、最早洗脳も同然である。
こんな状況が広がっているのであれば検問所のデウスの数が少ないのも頷ける。少しでも戦力を割ける訳が無いし、もしかしなくとも無数のデウスの中に十席同盟のメンバーが混ざっているだろう。
これは所詮前哨戦。
しかし、その前哨戦ですらも数多くの弾薬が消費される。遠くの空を映してくれと指示すれば、沖縄側の空に明らかに生物的な生き物の影があった。
日本が解放した土地の中でも最南端は鹿児島まで、その先の屋久島も奄美も解放されてはいない。影の大きさを見る限り、相手の位置は屋久島か奄美のどちらかに陣を築いている。
シルエットだけの姿であるが、イメージするのは西洋の龍だ。正しくファンタジー最強の名を欲しいがままにする巨躯を見せ付け、人類に畏怖の念を叩きつけてくる。
しかしデウスにそれは関係が無い。如何なる雄大、如何なる武烈があっても彼等はそれを飲み込んで前に行く。
否、行くしかない。そうする以外の選択肢が他に存在しないのだから。
「……率直に、勝てると思うか?」
「解らないというのが個人的な感想ですね。 相手の肌や外殻を破壊出来なければ攻撃する以前の問題です。 攻撃方法もシルエットだけでは解りませんし、一度偵察部隊を差し向けねば何も判明しないでしょう」
「軍もあれの姿は解っている筈。 出来れば偵察は飛ばしたいだろうね」
X195とワシズの言葉に一度頷き、様子を伺う。
シミズもずっと画面を見ているが、その表情に変化は無い。悲嘆に暮れていたらと考えていたものの、その心配は皆無だ。本当に不味ければ彼女は素直にその心情を吐露するし、隠すことが悪い事に繋がると理解もしている。
意識を怪物達に変え、今度は陸地寄りに動いてもらう。そこで奮闘する兵士達の姿や施設の設営状況を確かめたかったのだが、現場の風景は地獄絵図だ。
設営状況は然程進んではいない。時間はあまり残されていないというのに、敵を倒すのに専念し過ぎている。
無理矢理に設営を終わらせるのかもしれないが、状況を見るに不慮の事故一つで間に合わなくなるのは明白だろう。
誰かが手を貸さねばならない。とはいえ、此方が手を貸すのは無理だ。それに軍も現在の状態を他所には知られたくない筈。
動きたいが動けない。正しくそんな状況だ。
「仮に手助けするとしたら、彩ならどうする?」
『私なら海中から攻撃を仕掛けます。 魚雷程度なら防げますし、雑魚を潰すだけでも彼等には大助かりになるでしょう』
「その手しかないだろうな……。 よし、悪いが彩」
『畏まりました。 では私が持っている分の素材を全て消費します』
本当は偵察だけを済ませて静かに帰るつもりだったが、こうなっては多少は手を貸さないと進むものも進まない。
大量に積んでいた鉄屑を全部使うのはそれだけ相手の数が多いからなのだろう。彼女は誰にも勘付かれないよう海へと飛び込み、その海の中で製造を開始する。
超越者としての全力稼働。小型端末に映る映像にも警告の二文字が流れ、如何に彼女が容赦を掛けていないかが解る。
そんな稼働をし続ければ動けなくなるものだが、その辺の調整が出来ない彼女ではない。
多少の時間が掛かったとはいえ、最終的に彼女が生み出したのは超巨大なラグビーボールのような爆弾だ。
継ぎ接ぎの存在しない綺麗な鉄の表面を持ち、先端に前に行かせる為の巨大なプロペラが付いている。一体如何程の威力を秘めているのかが解らず、ともすれば味方側への被害を少し心配してしまった。
彼女であれば多少友軍に被害が出ても構わないと思っているだろう。俺も本音を言えば納得しているのだが、それを実際に表に出すつもりはない。
彼女は一度蹴りを放ち、それと同時にプロペラも回転を始める。
徐々に徐々にと前へと進んでいき、それを見送ることなく彩は海から飛び出した。最速で俺達の元へ走る様子は普段から何処か余裕のあった彼女の姿とはまるで異なる。
俺も即座に小型端末との連携を切り、直ぐに準備を進めた。
彼女があの場所まで掛かった時間は三十分程度。しかし、戻って来るのは五分も掛かってはいない。
目の前に現れた彼女に合わせて、俺はX195に背負われて走り出す。
「どんくらいのもんを作った!?」
「少なくともあの一帯にいる怪物は諸共に殺せるものを用意しましたッ。 小さめの水爆と思ってくだい!」
「相変わらずやる事がド派手だなぁ!!」
人の通らないルートを用いて確実に脱出を狙う。
その背後で突如として衝撃波と共に爆音が迫る。吹き飛ばされそうな身体をX195に強くしがみ付きながら耐え、飛んでくる石や木を三人が撃ち落とす。
海で爆発を起こした筈なのに、かなり離れたこの地点まで物が飛んできている。
爆発の轟音によって暫く他の音が聞こえなくなったものの、彼女達の尽力によって怪我らしい怪我は無い。だが軍やデウスには絶対に被害が起きている筈だ。
突如として発生した大爆発。それをどのように解釈し、軍は飲み下すのか。
此方が起こした事だと責め立てるか、或いは新種の生物が潜んでいたのだと誤解するままなのか。
「軍の設営状況が遅れないようにはしているよな?」
「はい。 殆どの被害は海に行くように調整してあります」
「ならいい。 加減はしてくれたみたいだな」
どの程度可能性を考えたとはいえ、結局交わした言葉はこれだけ。
俺達の間における軍への好感度など所詮はこの程度なのだ。




