第二百三十八話 私生活の難しさ
赤の他人と暮らすことの難しさは、一人部屋を手にした人間程理解しているものだ。
己だけが持つ、己だけの神聖な空間。他の誰にも邪魔されない大切な場所を誰かの私物によって汚されたくは無く、もしも許可無く置かれれば不快感すら抱くだろう。
もしも趣味など邪魔されようものなら、人によっては烈火の如く怒り狂いかねない。だからこそ、家族生活における一人部屋を要塞と揶揄する人間も居るのだ。
趣味に没頭出来る空間、隠れて何かを行える空間、感情を爆発出来る空間――使い方は異なれど、他者と付き合う限りこの問題は永遠について回る。
デウスと人間であれば尚更だ。デウス組は基本的に集団行動を基本としており、個室と呼べる空間を手にしたデウスは全体の一部のみ。
全体から見れば集団生活の方が多く、それ故に自己のスペースがあまりにも希薄だ。
だからこそと言うべきか、G11もこの街から個室を手にしたとはいえ他者との部屋別けが苦手である。そのほぼ全てを春日に任せてしまい、自身の荷物も小さいリュックに全て収まってしまう。
服も最小限にし、武器は全て自身の内部に格納済み。荷物をリュックに詰めて持ってきたのは、単に人間らしい振舞いを実践した結果である。
春日から見ても今の彼女に落ち着きが無いのは見て取れるし、そもそも知り合いと生活を共にする機会なんて人間同士ですらも少ない。友人同士の気兼ねの無い付き合いではないのだ。
これはある意味疑似的な夫婦生活に近く、もしも選択を誤ればG11が結婚に向き合おうとすら思わなくなってしまう。
「取り敢えず荷物を片付けよう。 部屋は何処を使う? 個室なら丁度二つあるみたいだが……」
「そ、そうですね。 でしたら、先ずは春日さんが選んでください。 私は後で構いませんから」
視線を泳がせながら努めて春日を見ないようにし、彼女は最善だと思う言葉を口にする。
相手が緊張を解くにはまだまだ時間が掛かるだろう。それが解っているだけに、質問した側である春日も文句を口にせずに素直に了承する。
部屋の大きさそのものに差は無い。どちらを選んでも公平であるように設定された室内はまだ新品同然で、設置された家具達にも古臭さは感じられない。
唯一違いがあるとすれば、片方はベランダと繋がっているので窓が大きいことだ。日差しが多く入るのは片方のみであり、それを見てから春日はG11に日当たりの良い部屋を優先させた。
今互いに必要なのは会話などではなく、生活に必要な準備を整えることだ。それは緊張しているG11も解っていたことで、春日が消えた直後に身体はこれまでの比ではない速度で整頓を始める。
デザイン性の薄い簡素な箪笥に服を入れ、自身が愛用しているステンレスのカップを台所で洗って何時でも使えるようにしておく。
冷蔵庫を開けてみれば、案の定食材と呼べる物は一切存在していない。休憩用かペットボトルが数本入っているだけで、冷凍食品も野菜も入ってはいなかった。
もしもこのままであれば、時間にはよるが夕飯を用意出来なくなる。G11はそれでも別に構いはしなかったが、今回は春日も同居しているのだ。問題にならないと安易に片付ける訳にはいかない。
そこまで考え、彼女の頬に熱が入る。
自身は今、当たり前のように同棲相手の事を思った。今回の実験がデウスの覚醒に主題を置いているとはいえ、その過程には間違いなく恋愛が求められる。
愛し愛され、想い想われ、結ばれるのだ。それこそが覚醒の条件であると、彩は事前に参加するデウス達に説明していた。
「春日さん。 片付けは二日間に伸ばしませんか? 食料などを買う必要がありますし、ここで体力を消耗するのはよろしくないかと」
リビングから春日の私室に向かって彼女は声を掛け、その声に春日が部屋から顔を出す。
「買い物か……。 そういや此処には何も無いんだったな。 どっかで買ってくる必要があるか。 G11、何か好きなもんはあるか?」
「私はあまり好き嫌いはありませんよ。 そもそもあまり食べませんし」
春日からの質問に、赤面していた頬を冷却しつつ答える。
この街で暮らすようになってから食事を日常的に取り始めたデウスが増えたが、G11はあまり食事を取ることを必要だとは考えていなかった。
エネルギーに変換可能とはいえ、食料そのものは人間が用意した物だ。それをデウスが食べるのは申し訳ない気持ちがあり、中々食べようとはしなかったのである。
だが、その言葉を聞いた春日は呆れた息を吐き出す。一体何を言っているんだと言いそうな顔に、G11は顔を少し逸らした。
「確かに食料を生み出しているのは人間だが、別にデウスが食べてはいけないなんて決まりは無いぞ。 そもそも、そういう騒ぎが起きない為に生産性を高め続けているからな。 もしも文句を言う奴が居れば、そいつの方がおかしい」
「……解ってはいるんですけどね」
解っている。デウスに供給しても尚余裕がある程に、食料は見事に生産され続けている。
軍からの購入にも頼っているものの、何れは軍経由で食料を購入することも無くなるだろう。それくらいには発展も続き、人々が必死に昔の豊な生活を取り戻そうとしていた。
解ってはいるのだ、彼女も。昔とは最早何もかもが異なり、職務を熟せば残りは自由にしても構わない。
街の外に出ることだけはデウスの存在を加味すると難しいが、そもそもこの街しか彼女達が求める全てを満たすことは出来ないでいる。
他の企業が参入すれば更にその水準を高めることも可能だろう。だが、その見返りにデウス達が納得出来ない仕事をやらされるのは目に見えていた。
この街しか、現状はデウスは住めない。他では隠れながらの生活となり、そんな息苦しい日々をずっとは続けられないのは明白。何れ限界を迎え、爆発するのは予想出来ていた。
「まぁ、この街に住み始めてからまだそこまで時間は経っていないからな。 俺達に対して遠慮する気持ちは残っているだろうが、何時かはそんなことが馬鹿馬鹿しいと思えるくらいの街並みを見せてやるぜ?」
「――――はい」
ウインク一つ。
春日がしたのは自信を持って未来を語っただけだ。だが、今の時勢の中で不安を抱えずに居られる人類は存在しない。
誰もが皆、明日はどうなるのかと怯えながら生活を続けている。それはこの街も例外ではなく、デウスという存在だけで人類の安心を獲得するのは不可能だった。
春日も不安を抱えている。常に自身の選択に迷い、歩いた道が正解だったのかと確認し続け、その流れをずっと繰り返していた。
この不安は一生解消されないだろう。だからこそ、彼は無理にでも力強い笑みを見せた。
俺はずっとこのままだろう。信次のように未来を変えることは出来ないし、未知の領域に切り込んでみせる度胸も存在しない。
ならば、己は安定に意識を向ける。人々が人間としての生活を行えるよう、その場を整える役割を全力で完遂するのだ。
故に揺らがない。諦めるという選択肢が最初から存在しないからこそ、春日の脳裏に逃げの文字は存在していなかった。
そんな彼を見て、G11は頼もしさを覚える。
ああ、この人が居る限り街はきっと安心出来るだろう。他の二名も決して頼もしくない訳ではないが、それでもG11には彼が一番に思えていた。
軍に居た頃とはまるで異なる感情の波を、しかし彼女は穏やかに受け止める。暫くの間二人は見つめ合い、流れる空気は酷く暖かかった。
マンションの各所でその空気は流れ始め、穏やかな気配に包まれていく。計画初めの最初に一日は、想像を超える暖かみ溢れる空間と共に流れていくのだった。




