第二百三十三話 選択の土
「この度はV1995がご迷惑をお掛けしました」
深々と頭を下げるのはSAS-1だ。無事な会議室を使って彼女と俺達だけが部屋を占領し、非公式となる謝罪を受けている。
今は他に十席同盟が居ない。それ故に現状のトップである彼女が謝罪をするのは自然な流れだ。今はまだV1995も修復中であることも考慮し、此方がそれを許せばこの件は一応の終わりとなる。
とはいえ、彼女も俺も彩もこのまま終了となっては他の者達の不安を煽るだろうと考えていた。
無償の許しは清廉な人間を想起させられるが、何事にも裏表があるのが本当の人間である。ここでSAS-1の代償を許せば、別に何か狙いがあるのではないかと他の面々は考えてしまうのだ。
そんなつもりが無くとも、人は勝手に予想を立てる。
「貴方達には軍からの過剰な説明を求められるでしょう。 ですが、その点は此方が話を付けておきますので安心してください。 それに加え、我々も貴方の街を守る為にデウスの部隊を幾つかお貸し致します」
「解りました。 期間は何時まででしょうか?」
「沖縄奪還が開始される一ヶ月前まででどうでしょう?」
「……妥当なラインですね」
これからも俺達の準備は続く。
力仕事が出来る存在は何人居ても不足せず、街の発展の手助けとなる。彼女もそれを目論んで提案したのであろうが、お互いに軟着陸をする為にはこの辺で十分だ。
書類は早急に作られるので、此方に渡されるのは明日とのこと。更には施設の一部自由使用も認められ、デウス達の訓練エリアを見学することも許された。
十席同盟側が必死に此方を繋ぎ止めようとする意思を感じつつも、一先ずはそれで仕事の話は終了だ。
テーブルに置かれた緑茶を飲み、緩やかな空気の中で雑談に興じることとなる。
今回の出来事は互いにとって大問題だった。加害者は彼一人だけで、俺達は全員被害者だ。精神が歪んだ人間であれば処理も辞さぬ覚悟をしていたが、デウスであれば多少なりとて温情を含めてしまう。
それが良い事になるかどうかは解らないが、少なくとも今回は決して悪いばかりではなかった。
覚醒したデウスの存在が居るだけで軍はそれに頼る。性格を無視し、彼等はその力だけを見て仕事を任せるのだ。彼としても彩に近付けるのは有難いことではあるのでそのまま受け続け、排除以外の選択を与える戦果を齎すことだろう。
「何時頃此処を発ちますか」
「予定通り明日の朝には戻ります。 それまではあちらこちら歩き回っていますよ」
「案内でも付けておきますか? 貴方には不要だと思いますが」
「そこはまぁ、彩が居ますから」
SAS-1は俺の背後に立つ彩を見て、一度微笑む。
その顔が母性を感じさせるのは、最初に顔を合わせた時から感じる纏め役の雰囲気を持っているからか。最初の話し合い時にはR-1殿が纏めていたようだが、あれに関しては流石に予想外の出来事だ。
普段から纏めているのは彼女で、問題児ばかりが居る場所で頭を痛めているのだろう。
だからこそと言うべきか。母性が芽生える土壌はいくらでも育つ訳だ。あまりにも大変な理由ではあるものの、デウスが戦闘以外に感情の変化を起こすにはこれくらいの出来事が必要なのだろう。
V1995もあれほど激しい感情を手にした理由は戦闘によってではない。軍時代の彩の有りように惚れた結果であり、彼女が脱走という道を取らねば彼が変貌する道も存在しなかった。
誰かの行動が誰かの道を変える。それは人もデウスも変わらず、その変化を素直に称賛は出来なかった。
出来るのならば、人の間違いをデウスは犯さないでほしい。例え似た精神性を持っていたとしても、間違いを是正する能力を彼等は持っているのだから。
「彩も随分と感情豊かになりましたね。 昔とは大違いです」
「昔の話などどうでも良いだろう。 私と貴方の間に然程繋がりらしい繋がりは無かった」
「そうですね。 お互いに十席同盟の一員ではありましたが、親しいと言える程の繋がりはありませんでした。 ですが、こうして会えたのです。 脱走を起こした際にはデウス達は皆驚き、何か理由があるのではないかと考えていました。 あのデウスを救ってくれる御方が逃げるなど有り得ないと」
「脱走など頻繁に起きていただろう」
「貴方が逃げた事実が問題なのです。 十席同盟の中でも貴方の人気は他よりも抜きん出ている。 巷ではアイドルと差はありませんよ」
SAS-1の酷く優しさを含んだ会話も、彩の心を開かせるまでには至っていない。
共に十席同盟。過ごした期間は俺よりも長かった筈なのに、それでも彼女は他者の言葉を切って捨てている。
だが、そんな口調にSAS-1は喜んでいた。それがきっと嘗ての記憶と同じ事をもう一度出来たからだろう。
脱走したデウスは例外無く処理されてしまう。その基準に則れば、彩は脱走した時点で何時死んでもおかしくはなかった。流石に直ぐに死ぬとまでは思っていなかっただろうが、消耗が進めば何れ動くことも不可能となる。
実際に俺達はそれを問題視し、最終的に突飛な方法で解決している。今は彩に頼らずとも彼等のパーツを手にする手段が存在しているので、最早二度とあのような状況に陥ることはない。
死んでほしくないという思いは誰だって一緒だ。例えそれが利害目的であったとしても、誰かに必要とされるのは結果を残したからこそ。
彼女は残したのだ。思われ、その場所を守ってくれる誰かを。
「彩という名前はまだデウス全員には浸透していません。 やはりまだまだ製造番号で読むことが多く、その所為で只野様が不快に思うこともあるでしょう」
「私は気にしません。 彼女が名前を変えてからあまりにも日が浅い。 これから浸透し、更に彼女は人気者となる。 ――――私が居なくなったとしても、次に彼女を支えてくれる誰かがきっと出てくることでしょう」
「――――ッ」
SAS-1の心からの言葉に、俺は初めて隠していた本音の一部を吐露した。
この発言に彩もSAS-1も驚きを露にし、彩に至ってはそのまま詰問でも始めてしまいそうな程に眦をつり上げてしまっている。
「……それは、どういう意味でしょうか」
「私は人間です。 彼女と寄り添いながら生きていたいとは思いますが、寿命の壁は越えられません。 どれだけ医療技術が発達したとしても、百年生きれれば御の字でしょう」
人間とデウスが結婚をする時、最大の壁となるのは寿命問題だ。
例え沖縄奪還が成功し、両者が生きていたとして。それでもずっと共に居続けることは出来ない。不慮の事故によって死ぬかもしれないし、病によって死ぬ可能性はある。
だが、彩は不滅だ。存在を保つことを選べば、星の消滅まで自身の生を貫くことも出来るだろう。
その時、俺は傍には居ない。彼女の顔を見ながら死ぬのが俺の人生の終わりとなるのだ。
今まで胸の内に僅かながらに存在していた本音。その一部を吐露し、息を吐く。急に重苦しくなってしまった空間には申し訳ないが、何時かは絶対に言わねばならなかった。
彩は俺の言葉を聞き、目に涙を湛える。それが頬を流れることは無く、今にも号泣を始めてしまいそうな表情に罪悪感を刺激させれられた。
「彩は今後、デウスの先頭に立ってしまう可能性を持つ存在です。 どうか、彼女を蔑ろにする未来だけは必ず避けてください。 明日も、未来でも」
「勿論で御座います。 我々は我々を自由にしてくださった方の言葉を忘れるつもりはありません」
SAS-1は静々と頭を下げた。
清廉に、純情に、心を込めて。きっと彼女だけはそれを守り続けるのだろうと期待して、その話はそこで御終いとなった。
残りの日数を穏やかに過ごし、ヘリに乗る際にはSAS-1本人が見送りまでしてくれた。そこに感謝を示しつつ、こうして訪問は予想とは異なる形で終了を見せたのである。
全てが恙なく終わった訳ではない。だが、話すべき部分は全て話し終えた。
未来は彩の手の中だ。だが、その彩の選択肢を増やせる術を俺は持っている。例え俺が道半ばで死んだとしても、彼女がやり直さなくても良い土壌を育てておく。
そんな俺の思惑を他所に、彩は一人静かなまま自身の手を見ていた。そこにどんな未来が映っているのかを、俺は知らない。




