第二百三十二話 不穏な決着
目前にまで迫った鋼は、俺の眼前で停止する。
衝撃で髪は荒れ、背後に風が駆け抜ける。驚きで何も言えず、しかしよくよく見れば鋼の塊は拳の形をしていた。
拳を下げた場所に立っていたのは、やはり損傷状態のV1995だ。鼻息を荒く睨む様には激情が宿り、今この瞬間に殴られなかったのは奇跡に近い。
いや、と彼の胴体を見て奇跡の出来事を否と片付けた。彼の胴体は青白い腕によって掴まれ、まったく身動きが出来ていない。か細い腕である筈なのに、穴の開いた身体を掴む腕は彼を一瞬たりとて動かさなかった。
その腕はやはり何処にも繋がってはおらず、捩れた空間から出現している。
この腕は先程彩が出した物であり、であれば俺はまた彼女に助けられたということだろう。
安堵に抜けそうになる力を込め、睨む彼に視線を向ける。
全力で拘束を解除して此方を殺そうとする素振りは危険そのもので、同じ仲間であったデウス達も彼に銃を向けている。彩程の装甲を持っていない以上、このまま射撃許可が下りれば彼のコアは破壊されるだろう。
恐ろしいまでの均衡によってまだ何も起きてはいない。どちらかが甘い判断を下した直後、この場が惨劇の坩堝となるのは想像に難かった。
彼が納得していないのは解っている。こんな半端も半端な形で戦いを終わらせようとするなど、彩も納得などしてはいなかった。
最後の最後まで戦い続け、相手を殺して初めて己の主張が正義だと通る。
その為に戦いを始めたのであって、その幕を勝手に降ろされるのは我慢ならない。
「お前の言いたいことは解る。 本音を言えば俺だってこんな結果に満足なんてしていない」
「じゃあ何故終わりにした! 納得していないなら納得するまでやるもんだろうが!!」
「そうだ。 最早俺とお前の間にある溝は埋まらない。 それを埋めるには、どちらかが死ぬまで戦って片方の土地を消すしかない」
相手を殺し、反対主張を消す。
強引な方法ではあるが、俺達はそれを選んだ。故に潰し合いを続けるのが道理で、彼がそのままなら何も止めはしなかった。
順当に彩が倒していたし、無意識でも同じことを彼も考えていただろう。ならばこそ、止まる事になった原因についても薄々彼は解っている筈だ。
それを言わずに俺を責めるのは、手にした力も勘定に入れろということだろうか。
確かにこれが死闘でなかったら、それも勘定に入れていた。このまま彼を潰し、欠点を告げてさっていただろう。
だが、死闘の上でその力を覚醒したのなら話が違う。
現状において最も彩に近い力。人工の超越者と言っても過言ではない存在が生まれたのだ。
ならば、その力は沖縄奪還時の力となる。捨てるのは人類勝利の損失に繋がり、誰も得をしない。
「だが、お前はそれに目覚めてしまった。 彩に極めて近い力を。 なら、そんなお前を殺すことは俺には出来ない」
「力……。 こいつが、そうなのか?」
「お前も感じている筈だ。 爆発的な筋力の上昇に、認識能力の過剰な上昇。 それ以外にも彩には起きているが、お前自身にはそれだけが起きている。 スキャンなどせずとも、それは理解しているな?」
怒りが徐々に収まっていくのを肌で感じつつ、彼に説明していく。
傍には他のデウス達が居るが、既に彼の暴れ振りは見られている。隠したところで意味など無いし、彼には説明しておかねば制御に時間が掛かってしまう。
今のところは彼の変化は身体能力に関する全てと見るべきだ。材質そのものは変化していないようだが、今回の出来事が異常であるが故に何が起こるのか解らない。
柴田博士が何処まで近付けられたのかに関して、あの情報群には記載されていなかった。
彼自身が大したことではないと書かなかったのか、それとも何か訳があって書くことを躊躇ったのか。博士の心情を読み解く方法は俺には無く、故に素直に情報を与えるしかない。
「お前がもしも何も目覚めなかったら勝負を続行していた。 あのままなら彩の勝利は揺るがなかっただろうし、その力があっても彼女に勝てはしない」
「……初めから負けが見えているとアンタは言いたいのか?」
「お前も解っていただろう? どれだけ力を高めても、彼女の足元に及ぶには到底足りていない。 原初のデウスが決してハリボテの鉄屑ではないのはお前だって知っている筈だ。 ましてや、お前が信奉する彼女が弱いとお前が思う訳がない」
「見え透いてるってか」
「お前は真っ直ぐだからな。 流石に解り易い」
呻く彼の声を無視して、一度手を叩く。
勝負は終わり。これ以上暴れても何の益も生まれはしない。
「その力は彼女の助けとなる。 俺を許せないのも、彩に昔のような性格になってほしいと思うのも自由だ。 だが、そう思い続けるには人類を生かし続けるしかない。 例え嫌いでも、何かしたいのなら間近に迫る沖縄奪還で成果を見せてみろ」
「――――それをすれば、俺の望みは達成されると?」
「いいや、達成されはしないだろう。 此方も本気で抗うつもりだしな。 世の中がお前の都合通り回らないなんて当たり前だろ?」
「そこは大人しく殺されろ。 ……ッチ、仕方ない」
此処で再度暴れることは出来る。
だが、暴れたところで自身の信じる彩が負ける訳がないとも自覚している彼は一旦勝負を止めた。
彼なりに少しはこれからを考え、先ずは目先の勝利を求める前に沖縄奪還を優先したのだ。その思慮をもう少し早く発揮してもらいたかったが、不必要に敵視する事を止めただけでも良しとしよう。
しかし、彼はこれからが問題だ。
これで戦いそのものは終わったものの、施設の被害は甚大そのもの。回復するまでには時間が掛かり、その間は無事な場所で業務を続けるしかない。
責任も明確だ。V1995は重大な問題行為を働いたので、如何に罰則が軽くとも並の範疇にはならない。
避難した者達も戻さねばならず、暫くは忙しい日々が続くだろう。彼自身の近くには既にSAS-1が居り、厳しい眼差しで彼を見つめている。
「V1995。 貴方とんでもないことをしたわね」
「後悔はしていない。 どんな罰でも受けるさ」
「そうでなければ此方が困るわ。 暫くはこき使うからそのつもりで。 本部からも出頭要請が来るだろうから、言い訳の一つや二つ程度考えておきなさいな。 まだ此処に居たいのでしょう?」
「……解っている」
ぶっきらぼうな言葉を使いながら、彼はデウス四人に運ばれていった。
既にエネルギーが限界を迎えていたのは先程までの戦いから明らか。確り修理を終えた上でSAS-1からの無茶な命令を受け続けるのだろう。
傍に近付く彩の恰好に然程の違和は無い。相変わらずの無傷の姿を晒す彼女に、最早俺は何も言えないでいる。
「悪かった」
「いえ、私は気にしていません」
「……嘘を言うな。 さっきの顔は未練まみれだったぞ」
「――それは」
指摘して初めて、無表情の顔は崩れた。
此方に向かって不満顔を見せる彼女は珍しく、そんな表情も酷く可愛気がある。彼女としては約束を破られたことなど然程気にしてはいないのだ。それよりも彼を破壊出来なかったことが問題であり、それについて不満を感じている。
「なら、一つ意見を。 彼を生かすのは自由ですが、これからずっと付き纏われますよ」
「そうだなぁ。 ああ言うしか彼は納得しなかったとはいえ、沖縄奪還が終わっても苦労は続くだろうなぁ」
「あの力は確かに戦力となるでしょうが、人格面の問題が大き過ぎます。 よくよく考えた方が良いかと」
耳が痛い。
彼女の言葉は正論で、実に彼女らしかった。例え戦力となるにしても、問題が多ければ有能であるとは言い切れない。
そんな言葉の数々を受けていると、何だか正座をせねばならないという使命感が湧き出てくる。
滞在二日目の一日は俺にとって非常に苦しい日となった。それを実感しつつ、その使命感に任せて俺は膝を折ったのだった。




