第二百三十一話 下位互換
「まだ……まだだ!」
それは一体誰の声だったのか。
信じられぬ光景に、容易に現実を受け止めることが出来ていない。否、それを現実として受け入れてしまったら道理が通らなくなるのだと自身は確信していた。
粉砕される鋼。V1995を貫く足だった鋼の足は今、歪な形で折られている。
強引に圧し折り、欠けた足は近くに転がっているのだが、そもそもそのような状況になる筈が無かった。
今頃はV1995の身体は上半身と下半身に別れ、そのままコアを破壊されて終わっていたのだ。それが誰もが予想していた未来であり、裏切られる筈が無いのだと誰もが信じていた。
彩の眉が一瞬だけ動く。無表情の顔に初めて感情の波が生まれ、それ自体も有り得ないことだった。
バランスの崩れた足から転がるようにV1995は脱する。
身体中に罅が走り、火花を放ち、皮膚装甲の一部は完全に剥がれて骨格を露にしていた。デウスならば絶対に行わない荒れた息継ぎを続け、瞳に輝きは灯っていない。
軍服も既に元の形を成していないが、それについては誰も気にしてなどいなかった。武器だけは無事であるものの、相変わらずただのハンドガンであるので意味は無い。
今ここで重要なのはV1995が何故立っていられるのか。限界に到達しても絶対に耐え切れないよう彩は製作した筈であり、想定されている戦力よりも一回りか二回りは考慮していただろう。
にも関わらず、彼はそれを凌駕した。その理由は何だと周りが驚く中で眺めていると、荒れた息を吐きながら彼は彩に向かって吠える。
「彩! 俺はまだ諦めちゃいない!」
諦観に溺れず、己が意志を貫き通す。
彼の考え方そのものは愚者であるが、しかし傲慢とも言える思考の果てに何かを開いた。精神論だけで機械が限界を超えるのは本来不可能であるが、彼はそれを成し遂げたのである。
超越者ではないだろう。可能性としては柴田博士が用意した超越者擬きだ。
彩程ではないにしても、一般のデウスを超える実力を彼が手にした。本来の道を捻じ曲げたとしたら、彼の進化は予想外にも程がある。
V1995が片足で大地を踏み締める――――と、同時に地面が爆発した。
大量の土が盛り上がり、小さな津波となって彩に向かう。幸いと言うべきか彼女の背後には誰も居らず、しかし施設はあるのでこれでは破損は避けられない。
守る道理も無いので回避が安定だ。故に彩は施設の壁を駆け上がり、波よりも高い位置に立つ。
俺達は余波を食らわない為に部屋側の壁に寄り掛かる。此方は彩から見て右側なので、そこまで行けば土砂達は襲い掛かってはこない。
だが、横側で見ているからこそ解ることがある。土砂の所為で視界が悪くなっているが、既に彼の姿は見えていない。移動したのは明白であり、となれば移動先はただ一つ。
轟音と共に施設の一部は土砂に呑まれ、避難警報がけたたましく鳴り響いた。ただでさえ警報は鳴っていたというのに、鼓膜を揺らす程になれば誰だって慌ててしまうもの。
デウス達はまだ落ち着いているものの、職員達は我先にと逃げ始めている。これより始まる戦いが人知を超えたものであると漠然と感じ、なるべく安全な場所に逃げたいのだ。
「SAS-1殿、先ずは全員の避難を。 後は状況を見て、取り押さえる用意をしておいてください」
「既に他のデウス達には命令を下しています。 最優先で職員達を逃がし、兵達はその次です。 貴方も非難を」
「いいえ、私は此処に。 勝負を受けたのは私ということになっていますから。 逃げ出せば更に彼が勘違いするでしょう」
避難出来るのならば避難すべきではある。それを俺も理解はしているが、彼の勘違いはますます加速していくだろう。
決着は付けねばならない。それは俺も、SAS-1も、彩も確信していた。
どちらかが納得するまで殺し続けねばならない。負ければ生を失い、勝てば今後も生き続ける。
単純明快な結果が待っているのがこの戦いだ。だが、今回の突然の変化を見ると少々変える必要があるのではないかとも感じている。
このまま彼を殺して良いのか。半壊状態にまで追い込み、現実を理解させてからその力の発生原因を探るべきではないだろうか。
揺れる心はしかし、更なる爆音で中断される。土砂を吹き飛ばす勢いで何かが波とは真反対に吹き飛び、壁に叩きつけられた。
そうなったのは鋼の狼。胴体部分を破壊され、身動きが取れない状態のまま地面に落ちた。
破壊痕から見るに、強引に装甲を拳で破壊したのだろう。露出している配線も無理矢理引き千切られた箇所が目立ち、輝いていた赤いモノアイも点滅を繰り返している。
間もなく稼働を停止させるのは誰がどう見ても瞭然。それでも攻撃だけは行おうとしているのか、火器の一部を動かしている。
無数の機銃は蠢くように照準を合わせ、彩に当たらないよう配慮しながら弾をばら撒く。土砂を簡単に吹き飛ばす攻撃が無数に突き刺さり、追加とばかりに一部の火器が放った攻撃は爆発を起こした。
衝撃がここまで伝わり、風に叩きつけられた身体は悲鳴を上げている。衝撃波だけでも人は死ぬことはあるが、これはそれに近い攻撃だ。
それをぶつけ合っている現状は正しく戦争も同然であり、ただの私闘の域を超えている。最早上層部にも話が伝わり、誰かが責任を取らねばならなくなっていた。
「――ッく、やっぱり無理か!」
「舐めるな、馬鹿者が」
土砂の舞う世界が終わり、立っていたのはやはり彩だ。
彼女の周囲に漂う盾は健在であり、多少のへこみはあっても損壊にまでは至っていない。だがしかし、注目すべきは彼女の眼前に浮いている小型の球体だ。
新しく作り出したと見るべきだが、その球体は白いだけでどのような役割を持っているのかが不明である。知っているのは彩と攻撃を受けたであろうV1995くらいなもの。
無理だったと宣言するということは、少なくともあの兵器については見当がついていると見るべきだ。
では一体。そう思う前に、三機の球体はランダムな動作でV1995に迫った。
あまりの速さに何時の間にか彼の真横に球体が出現したように見えるが、V1995には見えているのかハンドガンの引き金を押し続ける。
予測した偏差射撃は俺達には何も無い空中を撃ち抜いたように見えるものの、直ぐに金属音が命中を知らせてくれた。
それも驚きだ。まずもって避けられない攻撃に対処出来ている時点で、並という言葉からは逸脱している。
進化をし続けている。以前よりも前に、一歩一歩進むが如く。
彼にとってその歩みは急速に感じるだろうが、彼女も俺もその歩みは酷く緩慢に見えている。
今後彼が成長を続ければ彩に匹敵するかもしれないと思わせるも、それは彩が歩む事を止めた場合だ。実際は今も彩は成長を続け、いきなり未知数の武器を実戦レベルで生み出せるようになっている。
その速度に彼が間に合う訳が無い。そもそも不平等な等価交換を彼が出来ない時点で、所詮は彩の下位互換でしかないのだ。
だが、進化していく事実に俺は確かに未来を感じさせた。彼が居れば他の部隊を守り通しながら沖縄の奥地に進めるかもしれないと、胸に去来したのだ。
「まだまだイケる……! 俺はもっと先に――」
『両者止まれ! これ以上の戦いに、意味は無い!!』
故に、SAS-1に頼んで静止させてもらった。
デウスの拡声機能で広場全体に届くように俺の言葉を伝えてもらい、それを聞いた二人は不満そうな顔を隠さずにSAS-1に向いた。
邪魔をするな。そう書かれている顔を見つつ、今度は俺が前に出る。
直ぐに何人かのデウス達が護衛に付いてくれたが、彼等が相手では直ぐに蹴散らされてしまうだろう。
「攻撃を止めてくれ、彩。 予定変更だ」
「――解りました」
不満そうな顔も、俺の言葉で直ぐに引いた。武器を全て消した彼女は何時もの恰好のまま、そこに立つだけとなる。
彩が直ぐに止まるのは解っていた。だからこそ、次に対面すべき男に顔を合わせる――前に、俺の視界全てに鋼色が迫っていた。




