第二百二十九話 誉の英雄
火花が散る。金属同士がぶつかる音が耳に響く。
直ぐ傍まで死の気配は近付き、本能は逃走の一手のみを告げている。身体は無意識に動きそうになり、それを意識的に押し留めても震えのように自身は揺れた。
死ぬ、死ぬ、ただただ死ぬ。ハンドガンの弾が尽きるまでその気配は消えてはくれない。
既に十は撃っただろうか。リロードの隙を感じさせずに撃ち続けるV1995の技術は見事で、常人がそう簡単に真似出来るとはとても思えない。
音の発生場所から正確に此方の顔面を撃ち抜こうとしていたのは明白で、最早彼の頭の中には俺を殺すことしか残されていないかのようだ。
このままでは死ぬ。そう思う心境とは裏腹に、しかし死ぬことは無いと俺は確信している。
銃撃の雨が止む。
灰色の煙は再度部屋を満たし、俺の肺に確かなダメージを刻んでいく。吸い込んでいれば何時かは気絶するだろうが、その前に煙は姿を消した。
眼前に視線を向ける。俺の目の前にはV1995を視界から隠すように一枚の黒色の盾が宙に浮き、俺に向かっていた攻撃を全て弾いていた。
跳弾による傷も無く、隣に居る彩にも負傷は無い。デウスすら破壊することが出来る兵器でも彼女の盾は微塵も揺るがず、如何にその盾が尋常の物ではないかを示していた。
その盾が三つに分割し、その一つがいきなりV1995に飛んでいく。助走も無しにいきなり最高速でV1995に迫り、驚愕する前に彼はそのまま吹き飛ばされた。
部屋とは反対方向の壁を粉砕し、彼の身体はそのまま小さな広場へ。戦場を変える為に動かしたのは明白であり、彩もまた破壊された壁の外へと向かった。
「約束通り、彼を破壊させてもらいます」
「……仕様が無いな」
彩との約束を破る訳にはいかない。
例えそれが重要な戦力となりえる存在だとしても、こうまで自分勝手に行動すれば此方も庇い切ることは不可能だ。
俺の言葉が承認となり、これで本当に彩は何の遠慮もする必要がなくなった。
デウス同士の戦いに全力を出せるようになった時点で彩の勝利は揺るがない。手加減をしていても彼女は強いままだったのだから、破壊に特化させれば最早相手は元の身体を維持出来ないだろう。
だが、此処は十席同盟内部。他の面々も直ぐに見せ始め、両者が向かい合う様を見ることになる。
最初に到着したのは施設管理担当のSAS-1だ。今日この日から別の仕事に向かってしまっているデウスもいる為、昨日は居た者が今日は居ないということもある。
青髪を揺らしながら俺の部屋の近くまで来た彼女は、惨状を見て眉を顰めた。
部屋の状態は最早安息を約束出来るものではなく、大規模な修理作業が必要となってくる程だ。それを成した原因も彼女なら直ぐに思い当たり、俺と一緒に彼女は外に視線を向けた。
「やっぱりこうなってしまうのね……」
「彼の執着は尋常ではありません。 こうなるのは必然でした」
「そう、でしょうね。 私も予想していなかった訳ではないわ」
仕事としての体はお互いに完全に喪失している。
今此処に立っているのは個人としての俺達であり、SAS-1はこれから起きるであろう出来事について一切の手が出せない。
あの部屋の惨状から何が起きたのかを理解し、そして彩が今どれほど怒りを露にしているのかも解っていながら、しかし無闇な干渉を彼女は避けた。
それは彼女なりのケジメに近いだろう。絶対に敵対してはならない存在に対し、V1995は最後の一線を超えてしまった。
破壊を免れたとしても、今後の俺達の話し合いで溝が生まれるのは既に確実だ。少しでもその溝を埋める為には、やはり誰かが責任を取らねばならない。
SAS-1ではそれは駄目だ。彼女は何もしておらず、注意をしていた側なのだから破壊されて良い訳が無い。
となれば、必然的に必要となるのはV1995の完全破壊。
ボディを壊し、バックアップされた記憶データも破壊する。それで初めて、この件の責任は取ったと胸を張って宣言することが出来る。
「彼を十席に任命した時、ここまで精神は不安定だったのですか」
「いいえ、流石にこれだけ不安定であれば任命はしなかったわ。 あの時点での彼は優秀な成績を収めた一デウスであり、僅かな反対こそあっても座る事自体に然程時間は掛からなかった」
「では、ここまで不安定になったのはやはり北海道で?」
「そうでしょうね。 あの時から微妙な違和感はあったけれども、精神的揺らぎは当時のデウス達には大なり小なりあったわ」
つまり、明確に変化したのは北海道での出来事があったからこそ。
その揺らぎは大きくなっていき、ついには命令無視を容認する程のバグを発生させてしまった。これを直すには最早まともな方法では不可能であるし、例え治ったとしても今度は何時爆発するか定かではない。
ここで終わらせるのが、彼にとっての救いだ。
視線の先に居る両者は今もまだ撃ち合ってはいない。正確に言えばV1995が我武者羅に撃ち続け、その攻撃を全て彼女は展開した盾で弾いている。
如何に彼が早撃ちをしても、如何に彼が広場を駆け巡っても――彼女にはその全てが見えていた。
分割された三つの盾が三次元的な動きで次々と防ぎ、彼の打つ手を封じていく。彼女が一切動きを見せないのは、単純に相手の攻撃手段を観察しているからではない。
彼女にとって、攻撃となるのは全て超次元的な攻撃手段だけだ。それ以外については殆ど意味を成さず、通常の火器によるダメージは即座に修復する。
以前までの彼女であれば解らなかったが、今の彼女を前に彼はどう行動するというのか。
「――攻撃はそれだけか」
「まだだッ、まだ出来る!」
機械の身体にあるまじき精神論。だが、それを鼻で笑うつもりは俺達には無い。
限界を超えた超過駆動は彼の身体を破壊していくものの、それと引き換えに通常であれば確かな成果を導き出してくれる。
彼の主武器はハンドガン。専用装備故に破壊力は並ではないが、デウス達の装備の中では決して最高の威力を持っている訳ではない。
持っている弾は事前に補充しておいたのだろうが、効果が無ければ意味が無い。
だが、それを彼が解っていない筈もないだろう。その証拠に何時の間には彼女の足元には二つ程手榴弾が置かれていた。
それが爆発を引き起こし、周りの騒ぎを大きくさせていく。
最初から隠しようが無かったが、最早彼はこの戦いを記録に残すつもりで戦っている。これが自身にとって最後の戦いになると解っているから、何も残すつもりが無い。
彼の肌は自然に放出される熱によって焼かれていく。赤熱した肌は溶け、内部にある金属部分を露出させていた。
これ以上破損が進めば、彼を守る皮膚装甲が無くなってしまう。
それでも歯を食い縛って戦う様は、理由はあれであってもある意味漢ではあった。
無慈悲な結末しか残されてはいなくとも、そこに何も感じない訳がない。少なくとも、彼にとってこの戦いには確かな意味が存在しているのだ。
俺が戦うことを彼自身は望んではいない。彼が望むのは、確かな真実だけである。
狂った己でも避けようがない真実を求めて、彩との戦いに身を投じることを選んだ。であれば、そんな相手に手加減をする行為は侮辱そのもの。
俺は小型端末を手に、彩に通信を繋げた。命令はただ一つ。――――全力で挑め。
「何も残さず、しかし確かな結果を彼には知ってもらう。 それで彼も満足するだろう」
『解りました』
彼女の返事は短く、怖気が走るような冷気が言葉には含まれている。
それと同時に、彼女の輪郭が揺らぎ始めた。V1995も彩の突然の変化に足を止めて警戒するものの、足を止めた時点で悪手であるのは言うまでもない。
彼女はそっと手をV1995に差し出す。その手には何も無く、だが次の瞬間には虚空から別の腕が彼女の手を掴んだ。
『誉の英雄。 起動』




