第二百二十七話 青きヒト
――――彩に無数の情報が流れ込んでいる。
基地内の構造、勤務する人員、そして稼働中のデウス達。練度問わず、性別問わず、十席同盟内の全ての情報を集積する彼女は深夜も稼働をし続ける。
只野と共に寝ることが日常的になったものの、此処は味方の拠点ではない。普段通りの生活は望めず、彼女は只野に頼まれた事を最優先に終わらせようとしていた。
閉じられていた瞳が開く。彼女の瞳は妖しい赤の瞳に彩られ、それが限界稼働であることを示している。
集積作業に加え、彼女は周辺警戒もしているのだ。十席同盟内に設けられた各種妨害設備を回避しつつ周辺を調べ続けているのだから、限界となっても当然。
寧ろそれをしながら情報を集め続けられる事が普通ではない。途中でエネルギーが尽きるか、どちらかが疎かになるだろう。
双方を完璧に行い続ける彼女の動力源は、やはり最初に視界に収まった只野の寝ている姿だ。
静かに呼吸を繰り返す彼の姿に表情が崩れ、僅かばかりの微笑が漏れてしまうのは致し方無い。彼と顔を合わせる度に幸福を感じてしまうのだから、最早これは一種の反射に近いとも言えよう。
幾十幾百幾千と見てきた顔の数々。彼女の内側には今も無数の『彩』が存在し、やはり彼女同様に表情を緩めている。
求めていた彼。二度と手が届かないと思っている彼。
実体が存在しない『彩』達には只野に触れる術が無く、未だ彩本人も許してはいない。
今回の彩は己だ。他の誰でも無く己だからこそ、そう容易く身体を貸すような真似を許さない。
『解っているよ。 私だって同じ気持ちだもの。 そう簡単に貸すなら、それは私じゃない』
確かにその通り。
彩の性格基盤は他の彩と共用だ。彼女が抱いている感情を他の『彩』も抱き、似通った思考によって共感を常に共有している。
彼女達は全て未来において敗北した者達。敗北者達が挑戦者に不必要なまでに干渉するのは論外であり、彼女達が行うのはただ会話を重ねるだけだ。
全ての決定権は現在を生きる彩に有る。それを知っているからこそ、両者の間に不和は無い。
彼女達は異なる法則を用いて接触している。彩本人の演算処理に割り込むこと無く、それ故に本人に負担は存在しない。
『しかし、何処でもあの男は一緒だね。 役割こそ違うけど、何時も余計な邪魔をする』
『そちらでも一緒だったのか』
『まぁね。 自分本位で、周りの声を聞こうともしない。 そのクセ自分こそが一番私を知っているのだと嘯くんだから、殺さないだけ感謝してほしいよね。 まぁバックアップがされているだろうから殺しても無駄なんだけど』
V1995。
その存在に対する嫌悪は何も今を生きる彩だけではない。数多くの彩達が彼を嫌い、負の連鎖として続いている。
彼の行為は全ての彩達が嫌うことで、同時に見過ごすことも出来ない存在だ。
単純に役職にしてもそうだが、如何なる行動に出るのか予想が付かない。如何に未来の情報を持っているとはいえ、一体一体の未来についてまでは流石に知り得てはいないのだ。
彼が最優先で狙うとすれば、やはり只野だ。日中での出来事によって他の十席同盟から釘を刺されるだろうが、その程度で止まる筈もない。
他の十席同盟は彩と同年代か、それより以前から席に座っている者ばかり。
V1995は最も新人であるからこそ、青い行動に躊躇しない。それが比較的若年のデウス達の支持を集める結果になるのだが、問題行動が目立つ時点で責任ある立ち位置に居るべきではないのが彩の意見だ。
理性的に、時には残酷に。
怪物達との戦いの日々で培った合理性は今も彩の中に残っている。彼女も私情で動くことはあるものの、それは殆ど只野に関することだけだ。彼が関わらなければ極端に残酷な決定を下すこともある。
『――それで、あれはもう慣れた?』
内側に居る『彩』が唐突に話題を変える。
V1995について長い間会話もしたくないのだろう。その意志に彩も同意し、即座にV1995について考えることを止めてしまった。
どのみち深く考えたとしても襲撃を掛けるのは確定だ。あれだけの文句を吐かれたとしても暴走を止めないのがV1995であり、実際に襲われた段階で半殺しにしておくのは決めてある。
それよりも、直接的に将来を左右する能力について話をしておいた方が良い。
そう何度も『彩』達は会話をしてくれる訳ではなく、出来る時に疑問や提案を重ねなければ時間の無駄だ。
『一応は、といったところか。 掌サイズでも少し時間が掛かった。 ……とてもではないが実戦では使えないな』
『まだ自覚したばかりだからね。 でも精度は高めておかないと』
『解っている。 その為に限界寸前まで練習を重ねているんだからな』
あらゆる法則を凌駕し、己の成したい事を成す。
その力はやはり特別であると同時に扱いに困ってしまう。予めプログラムされた能力ではないからこそ、十全に力を使いこなせないのだ。
この分野は完全なオカルトである。科学とは正反対の道を進み、その深奥にある力だと彼女は認識していた。だからこそ練習に練習を重ね、人間のようにゆっくりと習得していくしかない。
これが新しくインストールされた力であれば訓練期間も短く出来るが、彼女一人だけのモノである限りは嘗ての使い手達にある程度使い方を教わらねば何も進まなかった。
エネルギーを使い潰し、パーツを酷使し、何度も自己再生を行いながらの鍛錬。破壊と再生を繰り返す日々は確かに彼女を成長させたが、未だ完全に実戦適用されたとは言い難かった。
時間は無い。最善は完成であるものの、このままでは完成にまでは辿り着かないだろう。
彩の中に密かに燻る焦燥。それを内側から感じ取った『彩』はどうするかと悩ませる。
『ちなみに何処で躓いているの?』
『何処がと聞かれると返答に困る。 ――強いて言えば、変換の間に挟まるノイズだな』
彩の速度が遅い理由。その正確な部分を彼女はまだ理解してはおらず、しかし漠然とした部分では掴んでいる。
物質の変換を行う際に混ざる不純物。その不純物が変換を阻害し、取り除く為に時間を要している。
本来、彩の物質変換は彼女が望めば自然と成るもの。そこに不純物が混ざる隙間は存在せず、望めば望んだ分の結果を提供する筈だった。
だというのに、今現在において彼女の望まぬ物が含まれている。
その理由を掴み、改善させれば劇的に彼女の変換速度は向上するだろう。――そして、『彩』はその理由について一部思い付くものがあった。
『そのノイズって貴方のボディが原因じゃないのよね?』
『感覚的にそうではないだろうな。 そもそもボディが原因であればお前達も行使は難しくなっていただろう?』
『それもそうね。 ……なら、やっぱり意識的なものが原因じゃないかしら』
身体に問題は無い。超越者としての体質も問題無く稼働している。
であれば、残るは意識的な問題だ。本来であれば創作の世界にのみ存在している能力を行使し、それが理解不能な道理でもって動き続けている。
当然、使い手側は不安に思うだろう。己の使っているモノは本当に大丈夫なのだろうかと。
それがブレーキとなり、発動に時間を掛けている。近くに絶対に傷付けてはならない相手が居る以上、その不安は更に大きくなっても不思議ではない。
材料は揃っている。ならば、残るはそれを調整する手段だ。
『貴方が時間を必要としているのは、その能力が暴走するのではないかと危惧しているからだわ。 もしも暴走した時、傍にはあの人が居る。 もしも傷付けてしまったらと何処かで思考し、肯定し切れないのよ』
『……確かに、不安はある。 この力の由来は解らないし、具体的な変換プロセスも一切不明。 信用に値しない要素ばかりがあるこの力を、絶対に暴走しないとは断言出来ない』
不安、懸念、疑念。
この力は万能であるものの、万能過ぎた。望んだ物を用意出来てしまうからこそ、見返りの釣り合わない力は不安を呼び込んでしまう。
そして、その不安は早々には取り除けない。理由が解ってもどうしようもないことはある。
これもその一種で、彼女の努力で払拭出来るものではないのも事実。もしも取り除けるとしたら、それは彼女が余程の危機に陥った時だけだ。
内側に居る『彩』にそんな場面は用意出来ない。只野も納得せず、このままでは完成を迎えずに決戦を迎えることになってしまう。
それは流石に容認出来ない。どちらの彩もその結論に行き着き、暫くの間思考を彷徨わせる。
力そのものは使える。だが、実戦という形になると使用には適さない。
もしも使えるとしたら、それこそ力をストックすること。
『あ』
「あ」
ストック。その単語が脳裏を過った時、二人は同時に声を漏らした。




