第二百二十五話 我儘な子供
「何時まで子供のように駄々を捏ねている」
彩の一喝が室内を駆け巡った。
静かな声でありながらもその声には威圧があり、同時に覇気もある。他者を服従させる声音に誰しもが影響を受けてもおかしくないものの、しかし此処に居る面子には然程効果は無い。
V1995もそれは一緒だ。確かに呻き声を漏らしたとはいえ、それでも退くつもりは無いのか席を立つ。
机に手を置いて彼女に向かって身体を突き出し、半ば懇願も混ざった瞳が彩を貫いた。
彼が元に戻ってほしいと願うのは、それが彼にとっての理想だったからだ。他者とは交わず、しかして救う事を良しとして活動する彼女にV1995は憧れたのである。
一匹狼大いに結構。それでも己は他者に染まらず、己の色でもって我を通す。
それは人間に従うことを初めから決められていた彼にとって、かなりの衝撃となった筈だ。
他にも異色なデウスはきっと居た。だが、明確に人間に対して反抗の意志すら見せるデウスは恐らく彼女以外はまったく居なかったのだろう。
故に染まった。当時の彼女をこそ至高と定め、己もそれを目指した。
多分に憶測が混ざっているものの、この推測は決して間違ってはいまい。向こうの様子は尋常ではなく、危機感すら伴って彼女に意見しているのだから。
崇拝する相手が変わってしまうことを、彼は許容出来ない。そもそもデウスとはそう簡単には変わらない存在であり、故に容易く変化する彼女を認める事は許せなかった。
お願いだ、どうか嘗ての貴方に戻ってほしい。そこに居る男など捨て、俺を取ってくれと。
「アンタはそんな風に誰かの隣に居る奴じゃないだろッ! それこそアンタが椅子に座っているべきでッ、そこの男とは何の関係も無いまま終わるべきだ!」
「……はぁ」
「溜息を吐かないでくれよ。 ――昔のアンタの顔を見せてくれ。 頼む」
己の理想に囚われている。
誰がどう見ても、その判断を下すだろう。今の彼はバグにまみれ、まともな思考など出来はしない。
彼を正常に戻すには言葉だけでは不可能だ。それこそもっと別の――大爆発と形容する程の衝撃を彼に対して叩き込まねばならない。
そしてそれは、何も戦闘に寄るものではないのだ。
俺は彼のような存在を知っている。五年前の平和を願い続けた死人達と今のV1995はまるで一緒だ。
このままでは彼は死ぬ。それは俺自身承服出来ることではないし、何だかんだ言って他の十席同盟も一緒だろう。
叱責はしても排除は選択しないあたり、彼等も彼等なりに期待はしている筈だ。
何時かになるかは解らずとも、V1995には上位者になれるだけのポテンシャルを秘めている。それが開花するかどうかは、間違いなく俺達の対応に掛かっている。
ならば、行動しない道理は無い。そもそも彩がここまで希われている原因は俺なのだから、俺も共に動かねば事態など動きようが無い。
「言いたいことは言い終えたか、V1995」
だからこそ、先ずは強めの言葉をぶつける。
相手の視線を奪い、一先ずは此方に意識を向けてもらわねばならない。その目論見は呆気なく成功し、先程とは一転して憎悪を滲ませる目が俺に向く。
一瞬手が動いたものの、その手は最後まで動くことは無い。この場で武器を召喚することが不味いと考えるだけの理性は残っている。
それはつまり、まだ本気ではないということだ。
「何だ、その目は。 悪いが子供の戯言に付き合うつもりは毛頭無い。 誰がどう変わるのか、変わる事をを肯定するのか。 それを選ぶのは本人だ」
「そうなるように仕向けたのはお前だろう!? 洗脳しやがった野郎が正論を吐くんじゃねぇ!」
「では何故洗脳だと思った。 俺の事など散々に調べ上げ、その手の技術が無いことは解っている筈だ。 まさか経歴の偽造を疑っているのか?」
「今なら兎も角、過去のデウスは全て人間の言う事を強制的に聞くように出来ている。 如何に初期型であれ、一度でもメンテをしたのであれば取り付いているのは確実」
「最初は無理矢理言う事を聞かせ、徐々に徐々に俺の色に染め上げたと考えた訳か。 ……Z44殿、そのような真似は可能ですか?」
「――出来る出来ないで言えば、可能だ。 ただ、その為には前提条件を先ずは解決しなければならない。 この場合の前提条件とは、第一に信号を受信する装置が破損していないことだ」
Z44の言葉を受け、V1995は目を見開く。
そうだ。前提条件として、デウスが逃げ出すには命令を受信する部分が壊れていなければならない。
基本的に長距離であろうとも通信する手段を確立している以上、どれだけ遠くに逃げ出したとしても国内である限り逃げ切ることは難しい。
他の基地にも手伝ってもらえば、如何に離れていようとも逃げ切るのは不可能だ。数日の内に新たに発した命令によって最寄りの基地まで移動され、そのまま捕獲されるだろう。
彼女は今日まで軍に一度も捕まっていない。同時に、一度も軍からの命令を受けてはいない。
これが示すのはただ一つ。元から彼女の内部にある装置が破損し、自由行動が可能となっている。
「勿論、人間の中には言葉巧みに僕等を惑わす者も居る。 知らず知らずの内に特別な感情抱いてしまったと考えることも出来るが――――」
「最初の頃なら無理だな。 一番一匹狼に近い状態でなら、寧ろ人間を警戒している筈だ」
詐欺師は言葉巧みに他者を操る者だが、警戒心が常に高いままだった当時の彼女に有効だとは思えない。
元々最初から出会う運命にあったとしても、感情の操作までは難しいだろう。
俺達が出会ったとしても決して良好な関係になるとは限らない。それこそ警戒心の高かった彼女がいきなり硝子を割って外に飛び出してしまっても不思議ではないくらいだ。
今回こうなったのは全て偶然。それ以外に説明出来ず、俺達の関係など簡単に変化する。
決められた道など何も無い。確率という意味では俺と彩の出会いは高いものの、かといって絶対ではない辺りに必然という言葉の儚さが際立っている。
彼女を支配など出来るものか。今俺が無事に生活出来ているのは、一重に彼女の善意があったからだ。
洗脳など以ての外。そのような発言は、逆に彩を侮辱することにも繋がる。
「解ったかV1995。 お前がどれだけ理由を並び立てても、真実は一切変わらない。 俺は最初から彩を洗脳してはいないし、彼女は自身の意志で変わることを選んだ」
「……だがッ」
「だがも何も無い。 これ以上何かを言うのであれば、此方も黙っているつもりはないぞ。 散々に彩を貶してくれたんだ。 協力関係の見送りも視野に入れさせてもらう」
「俺は一度も彼女を貶してなんて――」
「洗脳されたと言っていたじゃないか。 それはつまり、彼女はその程度で敵の手に落ちると判断したんだろ? 俺が頑張らねば彼女を救い出せないと思っていること事態が、彼女を馬鹿にしていると解らないのか」
V1995は傲慢だ。
俺が頑張らねば。俺が全てを決めねば。彩を救い上げる事は出来ない。
彩の実力を過小評価し、全てにおいて下だと判断した。人間であれ、デウスであれ、他人に格下だと判断されることは気分の良いものではない。
彩は最初から彼を睨んでいる。その意味は何も俺が悪だと思われているからだけではない。
最初から彼は間違っていた。理想を追い求めるのではなく、変化を受け止めて結論を変えるべきだった。
俺の指摘にV1995は言葉を詰まらせる。何を言うべきか解らないと驚愕に染まった顔は告げ、高速で演算する頭脳は何も答えを導き出せていない様子だった。
「R-1殿、今回の話について一部修正をさせていただきたい。 V1995の発言は我々にとって看過出来るものではなく、今後の協力関係に傷を付けることになりかねません。 早急に十席同盟から排除するか、リセットも思案に入れていただきたく思います。 ――それでは」
席を立ち、そのまま部屋の外へと歩いて行く。
大爆発程ではないが、起爆はこれで行われた。後は勝手に大爆発へと事態は動いていき、嫌でも彼は自身の発言の意味を理解するだろう。
デウスに甘いだけでは此方はただ舐められるだけ。時には非情になってこそ、組織の長として席に座ることを許される。
とはいえ、俺は彼を破棄する提案をしなかった。それをすれば流石に起爆ではなく直接大爆発に繋がり、会議室は崩壊していただろう。
施設の崩壊を起こすつもりは無い。此度の爆発は全て、彼自身が反省することに比重を置いているのだから。
「一応三日は時間がある。 その間に俺は襲われるだろうから、遠慮せずに殴り飛ばせ」
「……私としては破棄でも構わないのですけどね」
「そうはいかない。 実力のあるデウスは貴重で、中々替えが効かない。 面倒だろうが我慢してくれると助かるよ」
「解っていますよ、信次さん。 ですが万が一――」
彼女が顔を俺に向ける。冷えた青の瞳は温度の無い氷のようで、見ているだけでも背筋が震えてしまいそうだった。
「――大怪我を負った際は破壊させていただきます。 貴方が居ない世界に繋がる可能性を一つたりとも残したくはないので」




