第二百二十四話 親心人知らず
「……認めねばなるまいなぁ」
長い長い沈黙を経て、最も老齢なデウスが結論を口に出す。
あの映像が加工されたものかどうかは散々に検証しただろう。音が継ぎ接ぎではないか、映像の一部分に別の色が混ざっていないか、柴田博士の顔は人間の基準通りに老けているのか。
若かりし頃の柴田博士の写真は残されている。そこから演算を開始し、R-1は先程の言葉を述べた。
映像に不自然な要素は無い。全てが無加工であり、如何に検証を重ねようとも何も穴は存在しなかった。
有無を言わせぬ決定的な情報だ。ましてや柴田博士本人と彼等も認識してしまったからこそ、迂闊に否定の言葉を紡げなかった。
それでも宣言したのは一人だけ。他は未だ何も告げず、さりとて無言の肯定があたりを包んだ。
「納得は難しいでしょう。 最初に私達がそれを見た際にも即座に真実とは思えませんでした。 ですが、柴田博士の言葉が真実でなければ今頃はーー」
「ーーあの戦場で勝利を掴む事は無かった。 だろ?」
「そうだ、PM9」
納得は難しい。しかしこの場の面々において、PM9だけは彩が覚醒する瞬間を実際に目にしている。
あれだけの力を獲得するに足るだけの条件としては何とも単純ではあるが、あの状況下では到底達成など出来ない種類のものだった。
恋愛関係を構築するには時間が掛かるし、何よりも切っ掛けが居る。それは恋に落ちる切っ掛けなどではなく、人々がデウスに対するフィルターを外す切っ掛けだ。
人がデウスを受け入れる切っ掛けが無ければ彩が最初に動画を見ることも無かっただろう。
あらゆる全てにおいて人間が支配を選んだからこそ、デウスの希望の芽は消え果てた。残ったものはデウスにとって闇の産物ばかり。
そんな中から愛が生まれるなど、誰が考えるというのか。
「しっかし、愛? また何て曖昧なもんを要求してんだよ」
「機械が人間を愛するですか……。 些か困惑してしまいますね」
「そうね。 でも、中々素敵だと思うわよ」
困惑を露にするPM9とXMB333を他所に、SAS-1は頬に片手を添えながら柔らかく微笑む。
会議の最初の頃にはそれなりに緊張していた雰囲気が流れていたものだが、今ではかなり薄れている。その最たる原因はやはり人間と機械の愛だろう。
彼等の中身が人間とは異なるとはいえ、極めて近い感性を抱いている。ロマンチズムを理解する頭も持っていると言えば、最早人間と違いなど無い。
柴田博士は指摘しているのだ。お前達は人間であり、人権を持つに然るべき存在であると。
産みの父を見ろ。原初の母を見ろ。
そこに明瞭な違いなどあるのか?ーーーーいいや、違いなどある筈も無い。
性能差など所詮は表層。デウスをまともに見ようともしない連中が付けた、何の意味も無い情報の羅列だ。
真に評価されるべきはその深奥。己が必ず持ち得る確固たる自我こそが、全てを決めることを許される。
「愛って奴は分けると面倒だ。 家族に向ける愛に、友に向ける愛。 恋人に向ける愛もあれば、赤の他人に向ける愛さえある。 それを全て理解するのは難しいだろうし、俺達の仕事を考えれば不要と断じても良い。 ……しかし、だからこそ我々は久しく無視していたのだろうな」
「何をでしょうか」
「感情の意味についてだ。 我々に実装された感情制御システムは複雑極まりない。 本体そのものは戦闘に耐えきる程の強度を持ってはいるが、内部は繊細そのもの。 如何なる理由でシステムの崩壊が始まるかも解らぬ現状において、技術者の一部はそれを取り除いてしまおうという話が出ていた」
軍から見れば、感情を持った兵器は不要だ。どれだけ強くとも暴走の可能性を常に孕み、余計な危機感を持たねばならなかったのだから。
彼等がそうしようとするのも頷ける。悲しいかな、同じ人間だからこそ解ってしまう部分を俺も持っていた。
「だが、いざ実際に外してみれば起動すら出来なくなった。 調べてみればブラックボックスの反応が停止していたみたいでな。 どうやら感情制御システムも含めて全てをセットしないと満足に起動しないようだ。 その時は特に何も思いはしなかったが、要するにこういうことを考えさせたかったんだろうよ」
何も考えない人形になることを許しはしない。
柴田博士は己の意思というものを最重要視し、他の機能の全てを彩と同じにした。感情を持った一個の生命として、己の息子娘として、ただ単純に大きな家族という括りでしか博士は見ていない。
量産された個体全てに普通の人間達と同様の個性を獲得させる。それは不可能な話ではなく、この軍に縛られなくなれば幾らでも出来る話だ。
故に、人類は知らなかったとはいえ大きな無駄を発生させていた。下手をすれば己の国すらも消滅させてしまう無駄を彼等は起こし続けているのだ。
それが解消されるのは遠い話ではない。だが、そこまで辿り着くまでに完全破壊を遂げたデウスが多過ぎる。
己の生は無為なものだと思いながら死んでいくなど、誰だって体験したくはないだろう。そして、生き残ったデウス達はそんな仲間を見ながら恨みを積もらせていくのだ。
最初は小さいものでも、時間が経てば徐々に大きくなっていく。許容範囲を超えてしまえばどうなるのかなど、深く考えずとも解るものだ。
「彩が原初のデウスっていうのは、きっと真実なんだろうな。 誰かを強く想い、その為だけに世界を敵に回すことも辞さない。 そんな態度を貫けるデウスなんぞこれまで見た覚えが無いし、きっと今後も見ないだろう」
「御理解をいただけたようで何よりもです。 では、我々の話は……」
「全面的に信じよう。 だが、時が経てば十席同盟だけに更なる証拠を見せてはくれんか」
「…………解りました。 互いが裏切らない限り、それは約束しましょう」
愛の深度こそが、そのまま全ての証拠となる。
最も深く人間を愛し抜いているからこそ、彩は特別で希有なのだ。他の誰にも真似出来ない程の狂気的な感情の渦は、そうであるからこそ最初はまるで操作出来ていなかった。
子供の拙い表現力で、恋人のように愛を届け続ける。
今はかなり成長したものの、かといって十全とまではいかない。そんな彼女を受け入れないなど、俺にはまったく選択出来なかった。
俺の言葉に彩が隣で首肯する。意見すべき事があれば彼女は確り意見するので、そのまま肯定された時点で俺の選択は間違いだと思わなかったのだろう。
わざわざ視線を向け合う必要も無い。俺達にとってこの程度は基本だ。
そんな俺達をR-1は目を細めて眩しいものを見るように眺めていた。彼にとって俺達の姿は何かの理想像にも見えたのだろう。
「っふ、これからは考えることも増えるみたいだな。 ……そこの馬鹿も確り色々考えろよ。 まだまだ甘い部分は多いんだからよ」
「……解っていますよ。 ですが、この情報だけで全て納得するつもりはありません。 彩を任せるに足る人間だと、俺の目には映りませんから」
V1995は理解している。だが納得まではしていない。
その感情の動きは、他のデウスと比べると酷く人間的だ。瞳には嫉妬と憎悪が映っているようにも思え、まだ必要かと内心で溜め息を吐く。
感情論に支配された人間程説得が難しいように、デウスを説得するのも難しい。
他からの協力は取り付けたものの、彼の協力も絶対に必要だ。
一人の欠けも当日は許されず、しかし残された時間も長くはない。どう説得したものかと悩ませる俺を他所に、彩は即座に解決に乗り出した。
「それはお前が余計なフィルターを設定しているからだろう」




