第二百十七話 私は貴方で貴方は私
夢と呼ばれるものは人間が見る現象だ。
機械は夢を見ず、例え意識の喪失が行われても実際はメンテナンスやスリープ状態である事が殆どである。
ならばと、彩は周囲を見渡した。只野と共に街に帰還してから幾日か経過し、その日も彼女は何時もと同様に只野が就寝したことを確認してからスリープモードに移行している。
彼の護りは常に街の警護をしているデウス達が行い、もしも彼の住む部屋に近付けば捕縛から尋問にまで発展することだろう。
心配の種は無い。少なくとも、この街に只野を嫌う人間はまずもって居ない。
居たとしても只野の希少性から誰も手を出そうとはせず、精々が罵倒を飛ばす程度。それさえも彩は容認するつもりが無いが、我慢しろと言われれば我慢は出来る。
スリープモードに移行した筈の彼女の意識は何故かテレビが山と積もった世界を映す。
周囲は暗闇に閉ざされ、光源はテレビの光のみ。この光景を彼女のメモリーは一度として保存してはおらず、そもそもこのような出来事自体が彼女にとって初めてである。
装備の呼び出し――失敗。ワシズやシミズへの通信――失敗。只野に向かっての小型端末に接続――失敗。
エラー、エラー、エラー。吐き出される赤いコードに彼女は困惑を覚えつつ、今度はテレビに向かって一歩を踏み出した。
画面に表示されているのは全て灰色の砂嵐。何も映されてはおらず、暫く眺めていても変化は起きない。
テレビの背後に回ってみるも、電源コードの一つも刺さっていない本体の裏側が見えるばかり。
「なんなんだ、此処は」
『――何処だと思う?』
呟いた一言に、しかし誰かは答えた。
彩の背後から聞こえた小さな声に振り向くと、そこに立つのは白いワンピースの少女。
しかし、それは見知らぬ誰かではない。彼女にとっては初めてであるも、それは明らかに幼い姿の彩そのもの。
黒い長髪に、蒼い瞳。彩に向かって微笑を送るその姿は、中々に愛らしい。
年の頃は十代の前半に届くかどうか。一般的に小学生程度の背丈しか持たない少女が一体何処から来たのかを彩が訝しむも、少女はそれについて一切答えるつもりがない。
『ねぇ、何処だと思う?』
「何処って……解る訳が無い」
そうだとも、解る筈が無い。
己の持っているメモリーを全て参照しても、この場と同じ景色は見つからない。ならば酷似している場所なのかと検証しても、やはり類似する風景は一部も存在しなかった。
彩の素直な返答に対し、それもそうだねと少女は返す。その流すような発言に彩は不快気に眉を顰めるも、先ずは原因究明が先だと息を吐いて苛立ちを追い出した。
「此処は何処だ。 明らかに普通の場所ではないのは解るが、かといって思い当たる場所が無い。 知っているなら全て教えてほしいのだが」
『そうだね。 でも、その前に一つ見てほしいものがあるんだ。 それを見ればきっと此処が何処かなんて解ると思うよ』
少女は細い人差し指でテレビの画面を差す。
砂嵐ばかりが起きる画面内は少女の動作に連動するかの如く頂点のみが違う風景を映し出した。
そこは何でもない家だった。素朴な一軒家に特徴的な部分は何一つとして存在せず、言ってしまえば何の価値も存在しない住居だ。
しかし、中から出てきた人物を見て彩は目を見開く。
親に連れられて出てきた一人の少年はあまりにも普段見ている姿とは違うが、それでも彼女には少年が只野であると一目で気付いた。
短パンに半袖の白Tシャツと簡素な服装のまま親と手を繋いで歩く姿に不和は無く、一般的に良好な関係を築いていると見えるだろう。
買い物か、あるいはただ遊びに行くだけか。どちらにせよ、そこには危機と呼べるものが無い。
彼等の周りだけではあるものの、街の崩壊はまったく起きてはいないのだ。浮浪者や不審者といった陰も存在せず、日常の一コマを映しているだけにしか見えない。
この光景に一体どんな意味があるのか。
疑問の眼差しを少女に送ると、解らないのと彼女は首を傾げながら告げる。
「貴方はあんなに小さい頃のあの人に会ったことは無いでしょう? なのにどうして、その事実に違和感を持っていないの?」
「……そういえば」
そうだ。只野に出会った年齢はもっと先だ。
幼い彼に出会う筈も無く、話自体も聞いた覚えが無い。現在の彩が幼い彼に会う方法が無いのは彼女が一番よく解っているので、この映像は不自然に過ぎる。
テレビの映像は進む。公園に辿り着いた親子は別れ、幼い只野は一人で砂場に穴を作っていた。
ある程度の深さまで掘れば今度は別の場所を掘り、その間を繋げるように手を突っ込む。服や顔は土で汚れ、母親が苦労するのは最早確実だ。
それでも母親は子供を優しく見る。愛する我が子を自由に遊ばせるのは親の務めだ。
のびのびと、自由に、そして健やかに。だがしかし、彼の周りには一人として近付く子供が居なかった。
遠巻きに眺める子供達。それが意味するところは、即ち孤立だろう。
親も誰かと話をする様子は無い。それ自体は違和感が無いのかもしれないが、孤立する息子に対して微笑を浮かべて見つめる姿は異常だ。
彩とて解る。
この親子は一見すると普通であるが、よくよく見ると不自然な部分がある。
その不気味さが周囲に伝わり、誰も近寄ろうとはしないのだろう。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに別の場所で遊び、誰も顔を少年に向けようともしない。
そんな時間が暫く続き、ふと少年の傍で足音が鳴った。
親が帰る為に近付いたのかと彩は思うが、彼に近付いてきた人物はまったくの別人だ。
黒の長髪に、青の瞳。紺のセーラー服姿の女性は――どう見たとしても彩である。突然の登場に彩自身は目を見開くものの、少女に変化は無い。
『やーやー、久し振り! 今日も一人かい』
『彩姉ちゃん! 今日は早いね?』
『今日は学校も午前だけだからねー。 一緒に遊ぶか!』
『本当!?』
映像の彩はフランクに、そして彼女自身では考えられないくらい気が利いている。
今の彩ではあの真似は出来ないだろう。自覚しているからこそ、その違いに映像の理由を察する事が出来た。
あれは別の可能性の自分だ。人間らしさをより獲得した、IFの己である。
そして一台のテレビにその映像が映るのならば、残りの砂嵐となっているテレビも全て少女の指示に合わせて別の可能性を見せるのだろう。
学生服を着ている時点でデウスである可能性は極めて低い。寧ろ人間に近いと仮定すると、あの彩は順当に只野と接触出来たのだ。
極めて良好に、極めて自然に。
その行動力に嫉妬を覚えるも、己がその世界に行ってしまえば問答無用で抱き着くくらいはするかもしれない。
そうなれば警察の世話になるのは必然だ。流石の彩も只野に迷惑を掛けるつもりは毛頭無いが、自制心が機能するかどうかについては予想が付かない。
「こんなものを見せてどうするつもりだ」
『あれ、何か感じたりとかしない?』
「してほしかったのか? なら無駄だな」
異なる可能性については既に只野が示している。
その内容も実際に聞き、今活動している世界も可能性世界の一つではないかと半ば確定に近い形で共有していた。
実際に別の可能性の彩が接触してくるとまでは考えていなかったものの、逆に都合が良い。
今ならば解らなかった情報を手に入れる事が出来る。己のこと、只野のこと、この世界の行く末についてのこと。
全てを体験したのは彩だけだ。故に、全てを知るには異なる彩に尋ねる他に無い。
少女は彩の意見を聞き、笑みを深めた。正解だとその顔には書かれ、少女は一度指を弾く。
一斉に消え去る砂嵐。全てのテレビ画面にはやはり異なる彩が存在し、その隣には只野が居た。――だがしかし、ワシズやシミズの姿はその画面には存在していなかったのである。
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