第二百十五話 IF
長い長い日記を読み続け、俺達は誰が最初に口を開くのかと視線を彷徨わせ続けていた。
何を最初に言うべきか、どんな言葉を投げ掛けるのが正解なのか。渦巻く不安が部屋を満たし、先程からまるで進む様子は無い。
というよりも、進めるべきは本来俺なのだ。
俺が知り、俺が此処に向かうべきだと決め、全員が全てを理解した。
柴田博士が如何なる気持ちで怪物出現後から過ごし、俺達に希望を抱いていたのか。これから先の未来について如何なる願いを込めていたのか。
愛を抱く事になった切っ掛けは俺達であり、彼の根幹を変えるに至っている。最初の頃にあった無機質な文章は消え、最後の部分には感情的な要素も非常に多く散見された。
託したのだ。己がこのまま居ては未来に影響を与えるからと。
確かに、デウスの全てを網羅しているのは現状においては柴田博士だ。ブラックボックスの情報を手にした事で牧博士も同様なのかもしれないが、彼でなければ新装備の構想も練れないだろう。
法律を無視してでも資源を揃えたくらいだ。それが自身を追い込むと理解していながら行動したのだから、それだけの意気込みが無ければ何かを変える事など出来る筈も無い。
何かを変えるには何かを捨てる必要がある。
等価交換通りに彼は選び捨て、今に至るまでを繋いでみせた。――――だからこそ、送られた言葉は俺の肩に重くのしかかる。
どうかデウスと人間の平和な世界を作り上げてくれ。
その言葉が只の軍高官から送られたものであれば軽いと断じていたが、彼に言われたのであれば必ず成し遂げなければならない。
「彩。 今ならブラックボックスの内部情報を見る事も出来る筈だ。 鍵は全部揃ったんだからな」
「…………発見しました。 全ての情報が現在そちらの画面に表示されているものと酷似しています」
ブラックボックスの全てをコピーしていたとすれば、彼等のコアにも柴田博士の情報が残されている。
もしかすればオリジナルである彩のブラックボックスであれば更なる情報が残されているかもしれないと思ったが、彼女の反応を見る限りでは然程変化は無いだろう。
ブラックボックスの構造そのものは複製が可能だった。だが、その内容を詳細に知る事が出来ていなかったのでどれが必要でどれが不要なのかを誰も解らなかった。
今後は牧博士が筆頭となって解析を進めていくだろう。その過程で柴田博士の残した情報の数々は削除され、世の中から消えていく。
誰も知らないまま、ただ解析が進んだと報告されるだけだ。
彼が望んだままに。それを彼女は律儀に守るだろう。初対面ではあるものの、彼女は真剣に柴田博士が残した情報を見つめていたのだから。
「この情報の全ては彼の遺言通りに削除するわ。 後世には何も残さず、次第に柴田博士の存在は教科書だけの存在としてになるでしょうね」
「有難う御座います」
「ええ、でも一つだけ聞かせてちょうだい。 ……何処でこの答えに辿り着いたの?」
柴田博士の日記の中には俺の言葉そのものは記載されてはいなかった。
彩達も俺に視線を向け、早く答えてくれと目で訴えている。最早隠す必要は無いので構わないので、俺は静かに口を開けた。
「不可抗力……と言うには些か怪しいですね。 私は夢の中で異なる自分を見る事がありました」
「異なる自分」
「所謂パラレルワールドと呼ばれるものでしょうか。 彩との関係性についても常に変わり、最初は私自身が妄想をしているだけかと思ったものです」
パラレルワールド。そして未来。
どちらも繋がりが無いかもしれないが、共に異なる時間軸から送られる情報であるのは確かだ。
俺がそれを知覚出来ていたのは、直ぐ傍に無自覚の彩が居たからだろう。条理を無視する事が可能な時点で他者に対して別の自分を見せることも不可能ではあるまい。
その全てに彩と俺が近しい関係を築いていたのも、俺達が無意識下で望んだからだ。
俺と彩は近しい間柄でなければならない。そんな傲慢とも取れる意識があの光景を見せ、結果的に全ての答えへと歩を進める結果になった。
今の彼女であれば、炎を操る事が如何に初歩的であるかを理解するだろう。
彼女の根幹にあるのは法則破壊。求める結果を引き出す為に何もかもを破壊する、時代を生きる者の価値観では対抗出来ない超越者だ。
「私が……そんなことを」
「ああ。 俺もそれを理解したのは、兵士として何処かに向かっていた時の夢の中だった。 一体の黒い騎士のような見た目の奴が俺以外の全員を殺したが、奴そのものは決して人殺しを是とは認めてはいない。 寧ろ相手は此方が攻めたのではないかと言ってきてな、怪物でありながらも人語を使えるという点で驚いたよ。 その後にあちらから超越者の情報を教えてもらい、ワームホールの破壊方法を理解した」
「それを全て妄想だと断じる事は今の私には出来ないわ。 となると、やはりワームホールの破壊には彼女の力が必要になるのでしょうね」
「そうだと思います。 現段階でワームホールの破壊方法については何か決まっているんですか?」
「残念ながら、といったところね。 何処の国も隠しているとはいえ、一度も封鎖すら成功していない存在を破壊なんて出来る訳もない。 そもそも、あれは空間を割るように出現しているのよ? 未だ空間に干渉する技術を人類が獲得出来ていない以上は破壊なんて出来る訳無いじゃない」
破壊は不可能。封鎖も、化け物が次々と出てくる時点で不可能に近い。
つまりこのまま沖縄奪還を進めたとしても、失敗に終わるのが関の山。いや、彼等であればワームホールに直接爆弾を投げ込んで怪物を殺すくらいは考えるだろう。
あちらとこちらは双方共に何かを共有しているのではない。核爆弾をワームホールに投げ込んだとしても、此方の世界には何の影響も及ぼさないだろう。
とはいえ、それで倒せる保証は何処にも無い。ましてや、そこで一旦流入が抑えられたとしても時間経過で再度出現しかねないのである。
絶望的な話だ。軍が詳しく話さないのも納得である。
それらを踏まえ、俺達がすべき事はただ一つ。全てを把握したからこそ、彩は彩としての本来の力に慣れる必要がある。
だが、その前に疑問が一つ。
「なら、やはり肝は彩ですね。 彼女でなければワームホールを破壊出来ないとなれば、残りの時間の中で彼女には自身の能力を把握してもらわないといけません。 ……出来るか?」
「正直に申しますと、認識の範囲外ですので実感は未だありません。 ですが、本当に有るというのでしたら必ず掌握してみせます」
「その意気だ」
知りたい事は知れた。
牧博士もよりデウスに関して調査を行う予定であり、今度は全てを把握した上で柴田博士の情報が正しかったのかを確認する予定である。
個人用の連絡先を交換し、俺達は一度別れる事になった。
まるで数日も歩いていなかったが如く俺と牧博士の足は重く、歩行速度も遅い。
衝撃的な事実の連続が続いたからこそ時間の流れがおかしくなったのだろうか。外に出るとまだ明るかった陽は暗く、人間であればヘリを飛ばすのに不安が残る。
しかし、今は少しでも早く彼女の力を慣らす必要がある。あの街でなければ彼女の秘密を守るのは難しく、それは牧博士も承知の上だ。
故に、操縦者としてX195が乗り込んで操縦桿を握り締めた。
夜空に飛び立つヘリに一株の不安も持たず、俺は疑問に意識を飛ばしていく。
彼の日記の中には俺と彩の記述だけはあった。だが、ワシズやシミズのように俺以外の共に旅するデウスの情報が一切書かれていなかったのである。
これはつまり――もしもの未来が訪れようとしているのかもしれない。
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