第二百十四 観測システム・AYA
――最近の私は、どうにもコミュニケーションに飢えている。
仕事中でも、プライベートでも、誰かと話をしたくて堪らなくなるのだ。特に一人で解析をしている時程酷くなり、気を落ち着かせる為にお気に入りのチョコバーを食べる頻度が増えてしまった。
理由は解っている。私は私にとって一番の不要物だと思っている恋愛を魅力的だと思ってしまったからだ。
未だ意識の覚醒が発生しない女性の記憶データの中には、青年を想う暴力的なまでの愛情の発露が垣間見える。
それが吊り橋効果であったとしても、時間が経ってなお変化が起きなければその愛は本物だ。
祝福すべきことであり、二人が仲睦まじく過ごしている姿には思わず羨望も感じていた。だからか、その二人に影響されて私も恋愛というものに興味を持ったのだ。
しかし、私には仲の深い人間は居ない。
職員達との関係も所詮は上司部下とのもので、仲間意識と呼べる程の関係性は築けてはいない。ましてや、女性研究者と呼ばれる者は少ないのが現状だ。
同年代の女性も存在せず、もしも誰かと恋愛をするにしても外部の者となるだろう。
自分から積極的に動かねば女性と付き合うなど出来る訳も無い。そういう意味では、記憶データ内に居る只野信次は積極性の塊と言える。
そうであるからこそ、彼女を保護する事を決めたのだろう。
未来では私が完成させた事になっている機械人形を彼は好いていて、傷付いている人形を無視出来ない。
故に助け、それが旅の始まりとなった。
人間として私よりも万倍善良だ。私が保護した際はそのまま解析の為に一部を解体してしまったのだから、最早結婚など叶う筈も無い。
誰かと楽しく話す自分をまったくと想像出来ないのも方法が思い付かない理由だろう。
それで良いのだと思う博士としての自分と、それでは駄目だと思う人間としての自分。
鬩ぎ合いが起きているからこそ、己は今苦しんでいるのだと結論は簡単に出てくることが出来た。だからといって即座にどちらかを切り捨てる事は出来ないのだが、人間である限り矛盾からは逃げられないということなのだろう。
彼女を起こす事が出来れば、と僅かでも考えていた思考は封殺する。それは只野信次から奪う行為であり、彼女は絶対に許しはしないだろうから。
「……そうなっていれば、未来は変わっていたんだろうな」
「現時点では出会っていなかったとはいえ、記憶を全て抜き取られてしまえば私は貴方を覚えてはいられません。 貴方と結ばれる機会は失われていたでしょう」
「柴田博士は純愛主義と。 ……いえ、そうなったというのが正しいのでしょうね」
――――人類に齎された被害は甚大だ。
一日が経過する度に何処かの街は灰燼と化し、日夜戦い続ける兵士も消えていく。食料を生産する術すら徐々に無くなっていき、研究所に支給される食料も日に日に貧しいものに変わっていく。
とてもではないが私の提供した案を軍は続行出来ない。未来のデウス達の為にも軍にも理解を及ぼしたいのだが、資源不足という状況はどうやっても覆せないのだ。
もしも可能性があるならば、それは神話を現代に起こすしかない。
人類絶滅の危機に瀕した際に颯爽と現れる美しき戦神達。彼等を蘇らせ、救世の軍団として活躍させるしか方法が無い。
範囲は東京のみに絞れば然程数は多くないが、それでも最低十体は必要となる。
例え彼女の意識を蘇らせても、新たに九体は必要だ。それを作るだけの素材を用意するのは一筋縄ではいかないだろう。
私が持っている手持ちの素材と、彼女の全身図だけでどれだけ作れるのか。
「そういえば当時の詳しい情報を此方は知りませんね。 どうだったんですか?」
「最初にデウスが確認されたのは東京よ。 当時は最後の砦と言われていて、人類の誰もが絶望していたわ」
「その際にデウス達が姿を見せ」
「絶望の東京を救った、という訳よ。 まるで神話ね?」
――――幾つか違法な手段を用いたものの、何とか無事に十体の完成に目途が付いた。
一部の人間からは怪しまれたものの、それについては特に問題は無い。それに、人類に残された時間も殆ど残されてはいないのだ。
真っ当な方法でこの状況を変化など出来る筈も無く、彼女の事を思えば真っ当な手段など使えはしない。全てを全て、隠したまま状況を進めさせる。
そうする以外で生み出す方法など無く、その苦労はきっとただの博士では経験出来ないだろう。
何かを最初に生みだす者の方が余程苦労するのだからこう思うのは甚だおかしいのかもしれない。だが、まるで自分がこの子達の親のようにも考えてしまう。
未来を思えば生み出すべきではないのだろう。この子達が輝かしく活躍する瞬間は僅かであり、それ以降は虐げられるだけとなる。
感情を搭載せず、ただ機械として接するように強制すればその問題も解決するだろうが、私個人がそれを許しはしなかった。
彼等は新しき生命体だ。
感情を持ち、人と共生する異なる価値観を持った生物である。例え中身に金属パーツが使われていたとしても、私は親として彼等の生命の有無を肯定しよう。
そして、だからこそ願うのだ。今が苦しくとも、必ず幸福な結末はやってくる。それまではどうか耐えてくれ。
身勝手な願いに過ぎないとしても、私は思うのだ。
結局彼女の再生は間に合わなかった。自動で修復を進めているものの、意識が元に戻るまでには東京の守備は始まっているだろう。
そして、その頃には私は死んでいる。この事実を教えてしまえば未来が狂い、何もかもが成功しなくなる可能性は高い。
彼等の日々は危険な綱渡り状態だ。僅かな変化が死を生み出すのであれば、彼等にのみ真実を知ってもらえるように細工を施して残りは全て消滅させる。
だから、今これを読んでいるのは君達だけだ。只野信次。
備えは残した。希望も残した。残りをどうするかは、君達次第。沖縄奪還は非常に危険極まりなく、そこから先の未来については何も記載されていない。
だから、私の知り得た知識の中では結論を話す事は出来ない。申し訳無いが、これ以降は全て君の決断に任せる事になる。
幸せになれ。私が唯一作った訳ではない、オリジナルの彼女と共に。
何処の世界線から姿を現したのかは私には解らなかったが、彼女の精神は非常に信頼出来る。
一度信じるに足ると認めたならば、彼女は何時までも信じてくれるだろう。そして、君はその期待を一度も折られまいと奮闘する。
互いが互いを信じ、愛しているからこそ努力するのだ。
その努力を決して忘れずに進撃し続けろ。私には終ぞ出来なかった事を、君ならば成し遂げてくれると信じている。
日記はこれで御終いだ。残したデータは全て、ブラックボックス内に収めておく。他は全て破棄したから探しても意味は無い。
出来ればこのデータを軍には渡さないでくれ。それだけが、私の心残りだ。
「……これで日記は終わりね」
無言の空間。ただ読み耽り、全てを知ったが故の沈黙は深く長い。
俺が抱えていたものはやはり正しかった。全ては用意された路線であり、彼の予定通りに此処で日記を読む事になった。
彼には全てが見えていたのだ。最初に彩と出会ってからの歩みを全て。
他でもない彩という同じ存在から全てを知り、そして何も変えずに情報を封印した。ブラックボックスの全てはこの日の為に。
重要な機能を全て取り込んでおくことで切り離せないようにし、一人の人間だけにしか読めないように設定した。
今日この日を以て、ブラックボックスを解析する必要性は薄れたと言っても良い。
重要だったのはこれだったのだから。彼が真実、一人を除いて知ってほしくなかった情報は開示された。
愛を抱いたのは俺達の未来を見たから。
願ったのは俺達が愛し合ったから。
何もかもが見えた今、俺の背中には重い荷物が背負わされた。
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