第二百十三話 博士の日記
――――日々を綴るという行為を、私はしたことが無い。
そんな一文から始まる彼の日記は非常に淡泊で、実際に自身の気持ちを文章として出力したことはないのだろうと容易に察せられた。
白い文字に黒い背景。無機質極まりないページは数十にも及び、しかし文字数そのものは然程多くはない。
このページは彼なりの率直な感想が書かれた代物なのだろう。あるいは、そう捉えてもらうように編集したのかもしれない。
どちらにせよ、死んだ人間の文章である時点で俺達に真実を知る術は無い。
ただ有りのままに。彼の日記を読み、感じた事を素直に吐露するのが最も望ましいだろう。
牧博士も彼の日記には強い関心を寄せているのか、一枚一枚をゆっくり眺めている。難解な表現も使われていない文章は稚拙と評する他に無く、しかし逆にそれが読め易さにも繋がっていた。
――――??年??月??日。
私はこの日、研究所の近くにて驚くべき存在を発見した。それはコードが見える機械のようで、けれども人の肌を有する生物のようでもある存在だ。
世界終末が近付いている最中故か、最初は金持ち人間が道楽で機械人形を作ったのだろうと思っていたのだが、興味本位で内部を調べた際に私に覚えのある技術が使われていた。
新兵器開発案。軍から急かされた開発案の中に、その技術は存在している。
本当は選択したくなかったものの、他に提出可能な現実的案が無かった。周りの研究者達も敵勢存在に対して調査を進めているものの、現状は手詰まりといった状況が続いているまま。
お手上げと諦めている者達ばかりの中で、苦し紛れでも提出出来る案があったのは間違いなく不幸だったろう。
お蔭で私の仕事は増えに増え、地位も一気に駆け登ってしまった。
今更何の価値も無い研究施設の責任者になったところで、資源も時間も無い状態では何も作れない。
私が提出した案に使用される資源ですら、今の軍には揃えられまい。何せ最初から、私も無理だと解った上で進めたものだったのだから。
難色を示し続ける軍に対して事務的な説明ばかりが続き、私もストレスを溜め込んでしまった。
故に休憩とばかりに外に出て、結果として有り得ない存在を発見したのである。
「幾つかページは飛ばしたけど、これが始まり。 随分唐突なのね……」
「それに柴田博士本人もかなり消極的ですね。 当時を思えば当たり前と言えば当たり前ですが」
最初に調べた時、先ずは疑った。
一体何処の誰が私の研究情報を盗み出し、少ない資源から一体の兵器を生み出したのかと。
だがそれも、彼女を調べていく間に氷解していくことになる。何せ、彼女の内部データに記載されていた全ての日付が未来を指し示していたからだ。
ただそれだけならば混乱を誘う為に弄ったのかとも思うが、内部に存在する核と思われる部分は現行の人類では絶対に開発出来ない程の代物。少なくとも、私の案の中にはこの核の存在は一切無かった。
だからこそある意味火が付いたと言えるのかもしれない。
この未知の存在に対し、私は人類が絶滅する前に全てを解析して満足して死にたいと思ったのだ。
それからの日々は非常に輝いていて、当時の職員の誰もが私の顔に暗さが無かったと言っていた。気が狂っていたとも思われていただろうがね。
「ブラックボックスは柴田博士の作った物ではないということか。 つまり、未来からの手助けでデウスは誕生したのかしら」
「……いえ、そうではないと思いますよ」
核の存在をブラックボックスと名付け、何とか全貌を解き明かそうと寝食を捨ててでも解析に打ち込んだ。
誰も入ってこれないような部屋に身体を置き、常にセキュリティは最高峰。此処の施設の最高責任者になった事がまさかこんな形で役に立つとはと、思わず過去の自分に苦笑してしまった。
自身が人よりも知能が優れている事は知っている。でなければ博士になぞなろうとも思わなかったし、もしも実際になっていなければ只の一般人としての生を過ごしていただろう。
誰にも理解してもらえなかった研究成果も含めれば、他の博士よりも知能的であるのは明らかだ。これはナルシストでも何でも無く、ただの事実である。
だからこそ最高責任者になれ、こうして未来の技術に触れていられるのだ。
己の生まれに感謝はすれど、決して否定などする筈も無い。
横たわっている身体から情報を吸い上げ、バラバラとなっているデータの塊を時系列に並べ、そして漸く私は件の存在についてある程度の仮設を立てる事が出来た。
ブラックボックスの深奥に私は辿り着いてはいない。しかし、表層の部分をなぞるだけでも全ての情報がこれから先に起こるであろう未来の出来事を示していた。
そこに横たわっている存在が居る事も、隣に一人の人間が居ることも、私は全て知る事が出来たのだ。
出来れば直接話を聞ければと思うのだが、残念な事に目の前の人物を修理するには莫大な時間が必要となる。
まだ一人だけなので融通は聞くものの、かといって資源の使い道については皆神経質だ。僅かな不正も許さぬと必死になって軍が調査をするので、並の方法では揃えるのは難しい。
横たわっている女性型の機械人形は、もしかすると私だけに送られた何かのメッセージなのかもしれないのだ。
それをみすみす彼等に明け渡すような真似はしたくなかったし、未来の事を知れば知る程に胸の内には一つの感情が湧き起こり始めていた。
「……一人の人間。 それにデウス」
「それはきっと、いえあの設計図を見た時点で彩と貴方であるのは間違いないでしょうね」
「内部データというのは、これまで私と信次さんが過ごした日々の記録。 未来の出来事はきっと、私達がこれまで体験した出来事全て」
「当時の彼女の身体の中には、それだけの無数のデータが存在していた。 時系列を無視して、あの時点で俺達の存在を知覚していたんだ。 今彩にその記憶が無いのは、恐らく全て吸い上げてしまったからだろう。 隠して調査をしている部分を読む限り、戻す時間が無かったのかもしれない」
――――事態は進展を見せた。
如何なる奇跡か、私の閃きは未来を開拓する程だったらしい。ある日突如として思い付いた方法でブラックボックスの解析を進めると、今までの厳重な防衛が一体何だったのかと思う程に簡単に開く事が出来たのだ。
子供が積み木でただ上へと積み上げるかの如く、私の頭脳はあらゆるブラックボックスの防壁を突破し、漸く深奥にまで足を運ぶことが出来た。
深奥にあったのはやはり私の技術についての情報に、未だ一欠けらも解析されていない化け物の情報について。
横たわっている存在と同質の者を用意するには十分な情報だ。設計図は無かったものの、その程度が誤差である程に完璧な情報が揃っていたのである。
きっと未来の誰かは度重なる実験を繰り返してここまでの完璧な資料を揃えてみせたのだろう。
その尽力には敬意を表するし、金銭を払えと言われれば私は喜んで全財産を渡すつもりだ。化け物の情報も、それを読んでいけば如何なる武器が有効打になり得るかも解る。
尤も、化け物の情報については現時点で絶望的なものばかりだ。
通常の兵器では通らぬ装甲に、容易く此方を蹂躙するだけの運動性能。図鑑のように登録されている化け物の記録データの中には、既に四百種の存在が示されている。
笑ってしまう程に、現行の人類には厳しい事実だけが突きつけられていた。――だが、目の前の存在は確かな希望でもあったのである。
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