第二百十一話 答えは未来にある
「私が、ですか?」
背後から困惑の混じった声がした。
それがこの話の中心である彩の物であるのは瞭然で、牧博士も彼女に目を移している。
柴田博士が見つけた概念を持つ者。それはつまり、彼の残した最後の遺物だと言っても過言ではない。
それを持つのは彼女だけ。他にも幾つかの隠し機能をデウスに施しただろうが、それは結局のところ彩という存在を隠すだけの効果しか持っていないのだ。
そして、その隠し機能を見つけ出したのも俺達だけ。結果的に彼女に無数の目が向いてしまったのは、柴田博士の予測していた未来では無かっただろう。
知らなかったとはいえ、申し訳無い事をしたと思う。確かにあの力は秘匿すべきものであると思うし、向こうの住人が重要視するのも頷ける。
全てを変えられる力は、謂わば人外の領域。人の努力で及べぬ奇跡を――言い換えれば神の奇跡と表現することも出来るだろう。
「説明を行う前に、一つ確認したいことがあります。 ブラックボックスの解析作業は何割進んでいますか」
「凡そ三割。 表層部分の情報は全て解析出来たけれど、深層に進むには無数の防壁が設置されている所為でまるで解析出来ない状況よ。 柴田博士が独自に組んだセキュリティの数々は、現行の人類より更に一歩も二歩も進んでいるわ」
「ですが、それで諦めた訳ではないのでしょう?」
「当然ね。 あらゆる方法で調査を尽くし、謎の高エネルギー反応が内部に滞留しているのまでは発見したわ。 それがデウス達のエネルギー源になっているだろうと予測はしているけれど、確証は無い」
聞けば聞く程に柴田博士は彩という存在を隠そうとしていた。
例えロックが外されたとしても彼女には理解出来ないように、今を生きる人間にも理解出来ないように、解るのは一部の常識を超えた天才と向こう側の生物だけ。
秘密を知った人間は皆彼女を自身の欲の為に利用する。それはデウスを酷使していたあの頃とまったくの同じで、故にこそ未来を予見してこれまで行動していたのだろう。
虐げられるのも解っていた。それは納得出来る話ではないが、人間という存在の性を知っているからこそ柴田博士は隠し通してきたのだ。
その期間は僅かに五年。いや、もう六年目か。
短いとしか言い様が無い。俺と彩という予想外が起きなければ――――と、そこまで考えてはたと気付いた。
「ブラックボックス内部の全てを知っているのは柴田博士だけです。 そして、彼は今を生きる事のみに執着している人間には辿り着けないように無数の鍵を付けました。 少し前までのデウスに対する虐待の数々や、マキナのようにデウスを否定する者達では何も解りはしなかったでしょう」
「なら、私達なら解ったと?」
「いいえ、それも否です。 嘗ての古巣の限界を柴田博士は理解している。 己に届く人間が居ないと解っていたでしょうし、現にこの研究所がこれまで提示した武器や新パーツは研究所の維持しか出来ていません。 破滅までの時間を先延ばしにしているだけなんですよ」
誰も、誰も未来を見ていない。
見ている人間は僅かなもので、それらは簡単に大多数の意見に流される。時には説得され、時には強要され、自分の意思を無視して未来への道を閉ざしていた。
日本解放。世界の救済。高尚な言葉を並べるだけならば誰だって出来るが、それが実を結んだ事実はこの五年の間には一切無い。
英雄なんて存在を蔑ろにした者達だ。それを許容してしまった世界に明日を進む力は無い。
だから、何も解らなかった。彩という希望の種を見つけられず、彼等は今が良ければそれで良いと諦観に支配されてしまっていたのだ。
「これまでの研究所の話を聞いて、実際に此処に来て、貴方や他の方の雰囲気から解りました。 貴方達は最早、二度と新しい技術を作り上げる事は出来ません」
「……言うわね。 技術のぎの字も知らないというのに」
「確かにそうでしょう。 私は何も知らないまま、何も知らずに此処まで走ってきたようなものです。 専門的な知識は皆無で、出来るとしたら武器のメンテナンスくらい。 そんな奴があれこれ言っても、馬鹿にしているだけだとしか思われないのは理解の範疇です」
「……確かに、私も似たような事は考えていたわ。 柴田博士のように革新的な技術を生み出すのは不可能だろうとね。 怪物達の脅威は今は落ち着いているけど、それは一時的なものに過ぎないと研究所の職員は皆考えているもの。 それを解決したくとも、既存の技術に少し何かを足すくらいしか出来ないのよ。 実験する予算も資源も無い状況では、新しく始める事は出来ない」
なまじデウスが素晴らしい実力を発揮するからこそ、それ以上をまるで想像出来ない。
上はあるのだろう。だが、その上とは一体どうすれば届く上なのか。どれだけの頭脳を結集して生み出されるのかが、世界の誰も解らない。
絵に書いた理想を現実で形にするようなものだ。既にデウスの存在が絵空事を現実にした物である以上、更にその上を目指すにはどうしても柴田博士と同等の知識や情動が必要となる。
簡単にそれが身に付くとは俺だって思ってはいない。限りなく不可能であるとも認識している。
だが、最早事態はそれで良い訳ではない。この話をしたところで何処の世界の人間も信じてはくれないだろうが、唯一この研究所で柴田博士と多少なりとて繋がりがあれば一定の理解を示してもらえる。
絵空事を調べた側だ。多少の法則外も有り得ると考えてはくれるだろう。
「それは柴田博士も予期していた筈。 だからこそ、デウスに何かを残している筈です。 それこそセキュリティの穴のようなものを」
「そんなものは……いえ、ちょっと待って」
彼女の秘密を知る前に、俺は自分で掴んだ情報の真偽を調べる必要がある。
それ故の言葉に、牧博士は何かを思い出したように席を立った。部屋から退出し、残るは俺達だけとなる。
背後から彩達の困惑の視線を感じる中で、五分も経過すれば牧博士は再度姿を見せた。
その手には黒いボックスと、それに繋がった一台のノートパソコン。机の上に置いた彼女は暫く何かを操作し、此方へとパソコンを動かして画面を見せる。
「これは偶然見つけたものよ。 あの柴田博士が残した物だと皆が全力で手掛かりを探したけれど、全て失敗に終わった」
「これは……パスワードの入力画面?」
画面にはパスワードを求める画面がある。
簡素な黒い背景に、白く細長い入力バー。入力可能な文字数はたったの四つであり、ヒントらしいヒントはバーの上に文字として残されていた。
「君が鍵だ。 共に手を繋いでくれ」
「恐らくは人名。 四文字であるという点から苗字も含めた名前であると推測したのだけれど、彼に関わりのある人間の名前はどれもエラーを吐き出すだけだったわ。 恐らくはこれが、新しい道への鍵」
柴田博士が考えたにしては酷く解り易いセキュリティだ。
だが、そんな簡単なモノを突破するだけの力が無い。関連する名前は全て当て嵌まらず、ならばとプログラムに任せて適当な四文字を繋げてもらっていたそうであるが、未だ正解は引き当ててはいなかった。
順当にこのパスワードを解くのならば、このままプログラムに任せた方が良い。人力が行うにはあまりにも労力が掛かり、そんな真似を態々柴田博士が採用するとは想像出来なかった。
そして、もしも先程浮かんだ俺の予想が正しかったのならば。
指は自然とキーボードに向かい、静かにキーを叩く。その画面に何が書かれているのかを牧博士は見ることが出来ず、しかし出来上がった文字列を見たデウスは全員が息を呑んだ。
そんなことはない。絶対に有り得る筈が無い。そんな人名と柴田博士が繋がるとは誰だって思わず、俺だって研究所に向かう当初はまったく浮かんではいなかった。
それでも、俺はこの人名こそが正しいと認識している。そしてこれが通ったとするならば、その時点で俺の持つ疑問は全て氷塊してしまう。
コード認識。
――ようこそ、代表者様。我々は貴方が到着した事実に歓喜致します。
最後のエンターキーを押した直後、ボックスからは女性の静かな声が響いた。
俺を除いた全員が驚きを露にする。牧博士と視線を合わせれば、一体答えは何だったのかと目で語り掛けていた。
「パスワードは人名。 そして、あの人は最初からこの人に対してだけ全てを教えるつもりでした」
「それは……」
「只野信次」
パスワードに必要だった四文字。
その四文字の正体は、俺のフルネームだった。
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