第二百十話 始まりの場所へ
始まりが何処であるのか。
それを思い返した時、最初に思い付くのはやはりデウス発祥の施設。未だ日本どころか世界各国が重要視している研究施設である柴田研究所。
酷く陳腐な名前だ。然程有名でもない研究所でももう少しマシな名前を付けるものだが、これは柴田博士の祖父が多く投資した事で名前の決定権を握ったからだとか。
テレビの情報は正直に言ってあてにはならないものの、そこは別に重要ではない。真に重要視すべきは、そこに真実の一端が存在するかもしれない事である。
これまでの予定を一部変更し、俺達は早速柴田研究所に連絡を送った。通常であれば断られるのが関の山であるが、此方には研究所に立ち寄れるだけの手札が残っている。
――柴田博士について、御話したいことがあります。
現在は死亡判定を受けている柴田博士の情報は、例えそれがどんなものでも重要な価値を持つ。
ましてや俺達の勢力には彼等が調べたがっている彩が居る。絶対に受けてもらえるだろうと思いつつ電話の返答を待ち、案の定向こうからの答えはYESだった。
今回の俺の行動については完全な独断だ。春日も村中殿も突然の俺の言葉に多数の疑問を投げ掛けていたが、その全てを答えはしなかった。
彼等には話すべきだったのだろうとは思う。あの夢に近い現象によって把握した情報の数々。
その精査は兎も角として、柴田博士が見つけた存在という意味では非常に納得が出来る。彩が初期型のデウスであるという事実も鑑みると、どうしても全てが妄想の産物であるとは思えなかった。
「――もう間もなく到着します。 準備を」
「ああ、解った」
ヘリの中で何時もの面子が集まっている。
皆の表情は全て困惑。何故あの施設に行かねばならないのかと疑問を浮かべ、特にシミズとワシズに至ってはそこで誕生した訳ではないので余計に困惑を深めている。
俺を除いた全員の共通点はデウスであるということだけ。他のデウスでは完全な信用は出来ず、やはり秘密を語るならば相応の関係を築いたものでなければならない。
ヘリによって眼下に見える研究所の規模は、世界に誇れる技術と比較して小さかった。
とはいっても、十階建てのビル等が見えていることから決して極小である訳でもない。その名声との差であるだけで、一大研究施設であるのは事実だろう。
その中の一つであるヘリポートに機体を降ろし、彩を先頭に降りていく。
出迎えは全員デウスだ。軍関係のデウスの姿も見え、この話は既に軍にも伝わっているのだろうと内心で呟いた。
此方に歩む者は白衣を着た中年の女性だ。
首に名札を引っ掛け、白衣の内側は黒シャツにベージュのパンツと酷くラフである。四人のデウスによって護られた彼女は間違いなくこの施設の中でも高位の人間なのだろう。
白いモノが混じった黒髪を見ながら、俺は間近に迫った彼女に向かって手を差し出した。
「本日は御無理を言って申し訳御座いません」
「構わないわ。 私にとって貴重な情報が自分から来てもらったんだもの。 私は牧・陽子。 此処ではデウスの主任研究者として活動しているわ。 貴方達の自己紹介は大丈夫」
「解りました。 では、早速」
「ええ、此方に来て頂戴」
牧博士の背中を追いながら、施設内に視線を巡らせた。
誰もが想像するような白い壁に、此方を見やる他の研究者達の姿。扉そのものも簡素で、ステンレス製特有の輝きを見せる様子に品は無い。
形となっていればそれで良い。正にそう言わんばかりの施設の形状は、しかし奥に進めば進む程に変化している。
より経路を複雑に、よりセキュリティを強化して、煩わしい本人確認が無数に発生する施設もまた、研究所という言葉からは容易に想像出来てしまうものだ。
大型のエレベーターに乗り、一気に下へ。地下へと向かう駆動音を響かせながら、静かな空間の中で少々の息苦しさを感じてしまうのは仕方無いだろう。
そもそも、この施設は一般人向けの場所ではない。配慮など最低限で、きっと普通に生活するには不便な部分も多い筈だ。
地下で重要な研究をしているというのなら、表の建物達は彼等の生活を支える施設群なのだろうか。
ヘリで見た際にはこの研究所の周辺には他に街も無く、生活必需品を用意しようと思えば車で数時間は走らせる必要が出てくる。
不便極まりない。そんな場所で研究をする彼等は、しかしそんな不便を気にしないのだろう。
やがてカードキー付きの部屋の前に辿り着き、牧博士は一枚のカードを通す。甲高い音を立てながら扉は横にスライドし、そのまま俺達も中へと通された。
乱雑に積まれた書類の山が机に積まれた空間は狭いものの、まったく歩けない程ではない。
気を遣う必要こそあるが、床も見えるし食料が散乱している訳でもないのだ。生活破綻者でなかった事は俺にとって非常に有難いことである。
「此処なら誰かに聞かれる事も無いわ。 そこの椅子に適当に座って頂戴」
元はチームで研究する為に用意された部屋だったのだろう。
見渡せば気付くことであるが、白い机の数は一つではない。同時に椅子も数脚確認出来て、ワシズとX195が全員分の椅子を運んできていた。
その内の一つを貰い、彼女の机の前に置いて座る。他も座っている様子から、警戒の必要性は薄いと判断した。
さて、こうして直ぐに通されたのだ。余計な雑談は必要無いであろうし、X195も気になっているのは間違いない。
何をもってして彩は彩であるのか。その力の根源を探ろうと、この研究施設も稼働を続けている筈。きっと彼等は現実的な答えの見つけ方を求めていただろう。そう思うと、柴田博士の結論は博士と評するには些かメルヘンが過ぎる。
漫画や小説の出来事をそのまま現実に持ってきたようなものだ。法則の全てを放棄するような技術など、誰が調べても解らない。
「飲み物は何が良い? 一応色々あるけど」
「では緑茶で。 珈琲は苦手でして」
「あら、意外に子供舌。 ならこれで良いでしょ?」
机の横にある底の深い引き出しからペットボトルを一本取り出す。
白いカバーに緑茶の二文字だけがあるペットボトルにデザイン性は皆無だ。この施設限定の商品なのだろうと思いつつ、受け取った俺はそのまま彼女達に見せた。
「大丈夫です。 毒性は見受けられません」
「流石にまだ何も情報を得てないのにそんな真似をする訳無いわよ。 その警戒心は必要だけれどね?」
「まぁ、これは確認のようなものですので」
蓋を開けて一口。味はコンビニで売られている物と大差は無い。
極めて一般的な緑茶だ。味の問題はまったく無い。冷たさは一切無いが、逆にそれが俺には丁度良かった。街での温い飲み物に慣れたということもあるだろう。
牧博士はコーヒーを飲み、互いに場を落ち着かせる。急かす気持ちは無く、少なくとも彼女は彼女なりに俺に話し易い空気を作ろうとしているのだろう。
だが、その気遣いは無用だ。真実を知り、俺は自分の頭の中に残っている情報が真実かどうかを確かめたいのだから。
「――私と彩は柴田博士の残した動画を見つけました」
最初の口撃。それに対する彼女の反応に驚きは含まれてはいない。だが、その目には明確な好奇が映り込んでいる。
「彩の力の根源。 それは柴田博士がロックしていたとある概念を解放したからです」
「やっぱりね。 あの人ならそれくらいはしそうだわ」
「……お知り合いで?」
「メールで、だけどね。 かなり研究者気質の人間ではなかったわ。 あれは……平和主義を掲げるだけの一般人に近い精神性をしていた」
平和主義。
成程と思う。確かに話に聞く限り、研究者としての側面はまるで見受けられなかった。
あるのは自身の娘や息子に向ける無償の愛。人と共に幸福に生きてくれと願う、一人の男の懇願だ。
その願いだけでデウスが誕生したのであれば、まさに正気とは呼べない。愛に狂った人間が辿り着いた究極系の姿だ。
故に彼女では本質には辿り着かなかった。
当たり前だ。研究者も常人とは言えないのかもしれないが、それでも目の前の彼女は何かに狂ってはいない。
狂気的なまでに猛進していないのだ。だからこそ、狂気の人間だけが解る内容を理解出来ない。
そして――――それは世界の人間全てが同じなのである。
「一般人……いえ、それは無いでしょうね。 そうであったならば、あれを見つけるような事など無かったでしょう」
「あれ?」
「彩の力の根源。 源泉とも呼べるモノが存在する場所。 或いは、彩そのもの」
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