第二百八話 夢現
『ふむ、懲りない連中だ……』
三mの巨躯に全身を覆う鎧。
総重量は想像も出来ず、持ち上げようとすれば腕が千切れかねない。それだけの質量を事も無しに動かし、俺の前まで歩み寄った。
油断している。慢心している。自分ならば目の前の矮小な人類など容易く握り潰せる。
雰囲気からその心を読み取り、しかし一切文句など言える筈も無い。これは所詮俺の夢の中ではあるものの、同時にあってほしくはない未来を投影したものなのだから。
もしも人語を操る他とは違う怪物が姿を見せれば、それが現在の彩に届くだろう実力を有していれば。
そんな俺の妄想が形となり、黒騎士という姿を形成して話し掛けている。
謂わば恐怖の塊。感情の色をそのまま反映した黒に艶は無く、深い暗黒には飲まれかねない引力を感じてしまう。
それに引き込まれる訳にはいかない。
咄嗟に頬を殴り付け、意識を揺らす。それだけで起きれたのならば一分の不満も無いのだが、相変わらず縫い付けれたかの如く意識は此処に存在している。
冷静になれ。夢は夢だと意識を確立させる。相手が会話をしようと言うのならば、元に戻れぬ限り俺は応じるより他にない。
選択肢など無いのだ。それに自分が死ぬ事は絶対に無いとも解っている。
相手が途中で足を止めたのがその証拠だ。俺の夢である限り、俺の事を殺すなんて真似は不可能である。
精神的責め苦によって死ぬ者は居るが、自分がそんな生易しい部類の人間ではないのも解っているのだ。だからこそ、漸く正面から相手を睨みつけた。
「アンタが此処の連中をこんな目に合わせたのか」
『最初に攻撃を仕掛けたのはそちらだ。 私はただ防衛しただけであり、攻撃の意思は無い』
「ふざけるな。 お前が人外であるのはその体躯から解っている。 あのワームホールから出現したんだろ」
『私が人かどうかについては、確かに人外だ。 だが、無闇矢鱈と殺す事を好んでいる訳でもない。 あの怪物の群れとは一緒にしないでもらおうか』
思いの外理知的な会話には常識人らしさがある。
自分があれらと同じ扱いを受けるのは甚だ遺憾であると雰囲気で現すくらいには黒騎士も怪物を嫌い、話の流れによっては黒騎士と怪物を激突させる事も出来るかもしれない。
だが、油断は禁物だ。真正面の相手は何時でも此方を潰せる敵であるのは間違いない。
今はまだ殺すだけの理由が無いだけ。あれだけの敵意を向けられながらも俺に怒りを向けない時点で、人間として出来ていると評しても良いかもしれない。
「じゃあ何で此処に居る! 俺達は化け物の根絶だけが目的なんだ、アンタみたいな奴が姿を見せれば誰だって同じ奴だと認識する。 此処には来ないで奥地にでも引っ込んでいろ」
『私もそれが出来るならば既に行っている。 それが出来ないからこうして森の中を歩いているのだ。 ――そして、どうやらお前は他とは違って冷静らしい』
黒騎士が胡座を掻く。
剣を地面に突き刺し、休息の体勢を取った姿からは此方を侮る気配はもう無かった。
余裕ある態度は変わらないまま。既存の兵器では全て鎧を貫通しないと、相手も理解しているのだろう。
残ったのは僅かばかりの弾痕だ。それで破壊にまで至らないのならば、俺の持っている武器の引き金をどれだけ押し込んだとて無駄に終わる。
ならば、此処は素直に話をするべきだ。夢の世界に居るからこそ、そんな無謀な案が頭を過った。
相手は黒騎士だ。此方を一瞬で殺せるだけの技法を十分に備えている。それでも目の前で武器を降ろした自分の姿は、相手の目にはどう映っているのだろうか。
唇を湿らせつつ、この突発的な出来事の中で投げる質問を考える。
これが自分の世界であれば、何事かを俺に教えてくれるだろう。以前は彩の死こそが教えとなっていて、今回は黒騎士が相手となっている筈だ。
絶対的な強者を前に立つ覚悟を問われているのか、それとも如何なる苦境を前にしても折れない意思を問われているのか。
「一体、アンタに何が起きた」
『何、言ってしまえば簡単なことよ。 私達は数が少なく、故に勢力争いにおいて常に不利を強いられ続けてきた。 能力は高いと自負してきたが、それだけでは戦に勝てはしまい。 追い立てられ、逃げるようにこの地にやって来たのだ。 屈辱的な話よな』
「勢力争い……」
『この世界にも怪物共の脅威が犇めきあっている。 だが、その数自体は私の知る場所よりも遥かに少ない。 あの機械人形でも押し返せる程度にはな』
「デウスか。 ――――つまり、現状は未だ優しい部類だと?」
『そうだ。 この程度の数と質で追い立てられている時点で貴様等の弱さなど証明されている。 機械人形共が手助けしているお蔭で生き残れているものの、このまま此方と彼方の世界の繋がりを断たねば最終的には質の面で敗北するだろうな』
重々しく、苦々しく、嘗ての屈辱を思い出しながら黒騎士は語る。
人類が弱者の部類に入っているのは解っている。このまま時間が経過すれば、どんな化け物が姿を見せるのかも予想が付いていない。
それこそ、目の前の黒騎士が語るように質で上回る敵が出てきても何ら不思議ではないのだ。
これも全て俺の妄想、だとは断言する事は出来ない。未来は常に不規則で、誰しもの予測を上回っていくものなのだから。
だが、同時に一度も考えた事が無いものもある。
世界の繋がりを断つ。彼方と此方の世界。その二つは今までまともに考えた覚えも無く、しかし敵の出現場所がワームホールであるのならば――所謂異世界と呼ばれる存在があっても不思議ではない。
「なら、その繋がりを断つ方法を知っているのか」
『知っているとも。 だが、それをするにはあの怪物共の群れを突破せねばならない。 枠組みを破壊するには機械人形でも時間を掛けるだろうさ』
「枠組み?」
解らない。目の前で話している黒騎士の言葉に理解が完全に及ばない。
妄想だと断じるには現実味を帯び過ぎて、現実だと思うには現状が夢幻でなければ説明出来ない。
中間に位置するこの世界は、何故か俺の知識以外の情報を持っている。
まるでこれが夢ではないと匂わせる数々に、頭が別のもしもを考え出す。そうなる訳がないだろうと一笑に伏しながらも、出来ない可能性を。
『必要なのはこの世界に溢れ出した怪物共を突破するだけの戦力と、枷を外された特定の人物だけだ。 あらゆる世界常識が通用せず、己が世界だけを構築する異端者。 何かを変える事を信条とした、世界改変の申し子。 本人に自覚は無いにしても、それが出来る人物こそが今を変えられる』
「なんだ、その能力者系の物語に出てきそうな人間」
『そちらでは物語なのだろうさ。 だが、此方では違う。 現在、過去、未来の世界から訪れる無数の枷を無視して好きなように現実を変える。 我々の間ではそれを――超越者と呼んでいた』
超越者。
現在、過去、未来から訪れる世界の常識と呼ばれる枷を全て無視して自分のしたいように出来る能力。
それは現実改変者とでも呼べるし、弾き出された生物と表現する事も出来る。
そんな有り得ないような存在を、しかし黒騎士は大真面目に語るのだ。そうでなければ繋がりを破壊する事など不可能だと。件の存在が居なければ現在を解決することは出来ないだろうと。
『貴様の知る者の中にその特徴と合致する存在は居るか? あらゆる法則下から脱した超常的な怪物を』
知っている。知っている。
俺はそれを知っている。頭の中に無数に浮かび上がる一人の姿。
初めて出会った姿が、戦っている姿が、微笑みかけてくれた姿が、脳裏に鮮明に思い出される。
成程、黒騎士の説明通りであれば合致するのは一人だけ。――――彩だけが、あらゆる既存の領域を破壊して現在に立っていた。
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