第二百五話 形式通り
「先に待たせてもらったよ、君も座ってくれ」
「ええ、失礼します」
巨大なソファに座り、直後近くのデウスが飲み物を運んでくる。
中身は緑茶だ。熱い湯で入れられた緑茶は湯気を立て、飲むのを躊躇する程の熱さを器に感じる。
それを片手に見るのは全面を強化防弾ガラスによって覆われた模擬戦場だ。人間をすし詰めにすれば百人以上が入る程の広さを誇る平らな場所は、真実一対一の純粋な技量勝負以外には使えないだろう。
シミズは俺の背後で立ちっぱなし。警護として気合が入っているのか、一瞬だけ後ろを見ると既に模擬戦に目を向けてはいなかった。
最初からどちらが勝つのか解っているのだ。あの火力を見た以上、殆どのデウスは相手にならない。
それは十席同盟とて同じだ。どれだけ場数を踏み、どれだけ経験を積んだとしても元々の質が違う。
それはある意味生物の強弱に当て嵌める事が出来るだろう。蟻が象に勝てない事を例に挙げるように、完全に限界を超えた者と未だ制限状態のままでは前者の方が圧倒的に強い。
無論万が一が無いとまでは言わない。突然の故障、意識の隙――不備が起きれば敗北の可能性は生まれる。
休息をしながら一時間。緑茶を飲みながら元帥殿と僅かながらに言葉を交わし合い、突如として彩が入ってきた場所と同じ入り口から女性が姿を現す。
それは如何にも生真面目な印象を与える紫の髪の女性だった。
切れ長の瞳に、ポニーテールに纏められた長髪。黒い装甲を身に纏った姿に他とは違うものを感じる。
一般的なデウスにも、十席同盟のデウスにも――眼下の彼女は少し違う。
一体何者か。いや、一般的なデウスとは異なる雰囲気を纏っている以上は十席同盟だと思うべきだが、かといってそうだと断ずるには迷いが生まれる。
「彼女は私の側近でね。 君もよく知る十席同盟の一人だ」
「そうですか。 ……やはり」
「他の十席同盟に在籍する者と同じく高い能力を持っているのは確かだ。 だが、それと同じく少々厄介な性格を持っていてな。 私の知る限りでは彼女は他のデウスとよく口論していたものだよ」
俺から見ても常識的な範疇から逸脱しているのが十席同盟だったが、他から見てもやはり性格的に些か難のある者達ばかりだったようだ。
彩も昔はずっと一匹狼を続けていたようであるし、もう一方の女性も同じく面倒な性格を持っているのだろう。出来ればPM9のように解り易い人間性を持っていれば良いのだが、生真面目な雰囲気を漂わせる彼女からは短気といったものは感じ取れない。
逆に確り者のイメージがあり、恐らくそれは間違ってはいまいと彼女達を見つめた。
強化防弾ガラスと距離の所為で双方の会話は一切聞こえてこない。元から戦闘を見る為だけの場所だったのか、この施設内にはマイクもスピーカーも埋め込まれてはいないようだ。
そもそも戦闘の余波によって破壊されていたと判断する事も出来る。彼等の全力の前では人間が作った製品なんて脆過ぎるのだろう。
「さて、そろそろ始めるとしようか」
元帥殿が手に押しボタンを持つ。
今時古めかしい方法というか、一昔前のギャグアニメに出てくるような赤い丸ボタンだ。それを押し込み、施設内に大きなブザー音が響き渡る。
それが開始の合図であるのは言うまでも無く、彩は即座に相手に向かって銃を打ち込んだように見えた。
人間の動体視力では構える段階から視認は不可能。これは元帥殿も同じ状況の筈で、この模擬戦で気にするべきはどちらが未だ立ち続けているかどうかだ。
互いに姿を消しての高速戦。強化防弾ガラスを超えて銃撃音が無数に響き、鼓膜を揺すり続ける。長時間聞いていれば鼓膜が破れかねず、耳当てが欲しくて仕方がない。
しかし、一瞬だけ盗み見た元帥殿の表情は余裕そのもの。耳が強いと言う他に無い。
「やはりまったく見えんな。 何が起きているのかもまるで解らん」
「此方も同じですよ。 ですが、そもそも今の彼女と戦闘という形になっている時点で驚異的です」
雑談混じりの率直な言葉に元帥殿の顔が此方を向いた。
そうだ。そもそも彼女の今のスペックに到達するデウスは基本的に存在しない。デウスを超えるデウスは伊達では無く、そのスペックに追従出来る時点で驚嘆にするに十分だ。
よくよく目を凝らしていると時折炎が見える。彼女が徐々に全力を出し始めている証拠であり、このまま勝負が長引けば施設を丸ごと溶解させる温度の炎を放つようになるだろう。
模擬弾にしているとはいえ、炎の性質は健在だ。例えあらゆる武器を取り上げられたとしても彼女は戦えるので、この模擬戦において彩はある意味手を抜く必要が出る。
その代わりに他の部分に一切の手は抜かないだろう。嘗ての同僚である時点で力量も把握している筈。
戦闘は続く。自身達の目には如何様な変化が起きているのかも定かではなく、出来るのは彼女の勝利を信じて待つことしかない。
シミズに聞く事も出来るが、彼女では詳しく解説をするのは難しいだろう。
何より勝負はどんどん変化している。その全てを読み取って説明するには、あまりにも時間が足りてはいなかった。
だが、それだけの全力稼働だ。彩程の許容量を持っていないのであれば潰れるのは向こうが先。
その証拠に五分も経過すれば徐々に紫の影を捉える事も出来るようになっていった。
平常時であれば彼等のエネルギーが無くなる事は当然ながら無い。逆に戦場であれば足りなくなるものの、しかし五分や十分で無くなる程度の些細な量でも無いのは事実。
それでも相手側の方が先に速度を落とし始めているということは、彼女に合わせる為に規格を無視した出力を出している事に他ならない。
明らかな無茶無謀。自身のパーツ達の寿命を縮めるような行いだ。
それでも戦うのは十席同盟の矜持があるからか。――或いは、もっと別の感情からか。
十席同盟内の知り合いの中で人間と仲が良いデウスはPM9だけだ。Z44はそもそも性格が不明であるし、他の十席同盟も復讐者であったり取引を持ち出してきたりと人間と仲が良い部分が無い。
それ故か無理をしている雰囲気は一分も存在せず、言ってしまえば人間に対しては放置というスタンスを取っていた。
だが、眼下で戦うXMB333は違う。彼女は今、無理をしてでも勝利を取ろうとしている。
その理由はきっと元帥殿だ。それ以外に他に人間が居ない。
「――そろそろ終わりそうだな」
「ええ。 予想通りといった形でしたね」
最終的には燃料を燃やし続けたXMB333の負けだ。これは自壊を恐れずに行った時点で見えていたことで、いくらでも秘密裏に修復出来る彩の前では時間経過は敵である。
そのまま崩壊する前に体勢が壊れ、バランスを失った無防備な腹部を彩に蹴り飛ばされる。
壁に身体を叩き付けられ、なおも足りないとばかりにその首を彩は掴んだ。握り締めたところで人間ではない以上窒息する事は無い。
それでも首を破壊されれば視覚情報に異常が出るのは明白。コアが心臓部にある以上、その経路を潰されていけばあらゆる機能は使えなくなる。
彼女が先ず最初に潰そうとしたのは目だ。そして、そのまま関節を破壊して身動きが取れないようにするつもりだろう。
そうなれば流石に模擬戦の範疇を超える事になる。修理の時間も伸びれば仕事にも支障が出るのは明白。
時間にして僅か十五分。その程度の時間によって元帥殿はボタンを押した。
圧勝も圧勝。大した負傷も見受けられずに終わった彩の表情は、何時も通りの無表情だった。
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