第二百一話 不穏な世間話
一ヶ月。
それだけの期間を休息に費やし、しかし誰にも文句を言われることはなかった。
有給休暇でさえもこれだけの休みを取った覚えは無く、久方振りにゆっくりとした日々を過ごしたと思う。
その分俺が担当する部分の仕事が溜まったのは言うまでもない。指揮官達は皆納得してくれていたので大量に溜まっている程ではないにしても、パソコンに大量のデータが送られてくるとやる気が削がれるものだ。
しかし、その内容は極めて重要そのもの。
沖縄奪還に新たに加わってくれた基地に、本作戦に掛かる物資の中身と総量。機密の塊みたいな情報の数々は昔の自分なら頭を抱えていたことだろう。
他者に期待される事は負担だ。嫌だ嫌だと逃げたくなるのが過去の自分である。
だが、最早それは出来ない。
溜息を零したくなっても、愚痴をどれだけ吐いても、もう逃げる場所は何処にも無いのは解りきっていた。
一つ一つを見つつ、全体の分布を見ていく。北海道周辺は断られている場所が多く、要求内容も一貫して無謀だというもので纏められている。
上層部によって強制的に従わせる事も出来るが、現在の上層部の中には十席同盟も含まれているのだ。
十席同盟は無理矢理の命令には納得しないだろう。例え納得したとしても、人間側にとって不利な要求をされるのが目に見えている。
電源を付けたままパソコンを持ち、上着を羽織って新品の部屋から街内部の一際小さい施設に向かう。
外側は飲食店に偽装され、ガラスの全てには偽装映像が投射。外からは寂れた飲食店内部が見えるように設定され、中に入ろうとするにはカードキーが必要となる。
俺と春日と村中殿だけにはレベル三のカード。
後々このレベルは変えられる可能性が高いものの、現段階では然程階級の差のようなものは無い。
住人達と軍人達にはレベル二が配られ、倉庫や重要な建築物には全てセキュリティが設置された。
僅かな期間で風景は様変わりを見せている。これこそが人類の強さと言わんばかりに、全力で復興に取り組んだ軍人達には感謝する他ない。
未だ住人達からは睨まれる事があるものの、それでも最初に比べれば緩和されている。
数年もすればこの敵意も薄れて消えるだろう。また昔のように、軍に対しても感謝の言葉を送るようになるかもしれない。
「おはようございます。 進捗はどうですか?」
「おお、只野様。 どうぞ此方に」
施設内部に居たのは村中殿だけだ。
早朝と呼ばれる時刻ではないだろうに、春日の姿が見えない。普段であればもう起き出していたとしても不思議ではなく、俺が春日の寝惚けている顔を見た覚えも無かった。
「春日殿でしたら早朝から街の方々に呼ばれました。 何でも軍の兵舎区画について話し合いたいと」
「兵舎区画? ……ああ、成程」
街には軍人が居るが、彼等の住む場所は基本的にテントになっている。
そもそも住める場所が無いのがこの街の状態だったのだが、彼等の尽力によって既に街の住人全員が住める環境は整いつつある。
そうなってくると、人は用意してくれた人間に対して一定の恩を感じるもの。
軍が雨の日も風の日もテント暮らしである事を不憫に思ったのか、彼等の為に居住可能な区画を用意しようと考えたのだろう。とはいえ、春日が独断で決めるのは不味い。
という訳で皆の意見を合わせ、今は軍に提案でもしているのではないだろうか。
詳細を詰めてから俺達に承諾書でも用意すると思って、何だか急に春日が知的になってしまったようで笑った。
村中殿は怪訝な顔をしていたが、これは最初を知らないからこそだ。
「何でもないです。 それよりも、どうですか傭兵の皆様方は。 確か訓練施設を作ったとか」
「ああ、そうですねぇ。 春日殿から承諾は得ていたのですが、些か張り切ってしまったようで。 今は自費で購入した道具類を運び込んでおりますよ。 完全に安住するつもりのようで」
「良いことです。 少しでも戦力は欠かせませんし、その為には彼等にとって住み易い環境も用意せねば」
「御心を砕いてくださり、誠にありがとうございます。 我等は人間しかおりませんので沖縄には向かいませぬが、確実にこの街を守り抜いてみせましょう」
胸を張って宣言する村中殿に俺も感謝を送る。
彼等傭兵団は沖縄には向かわない。そもそもの主戦力がデウスである軍と彼等の相性は決して良いとは言えず、それよりもこの街を守ってもらいたかった。
当日間近にこの街のデウス達も極少数を除いて沖縄に向かう。当然ながら警備も手薄になっていき、その瞬間ならば他の傭兵団が攻め落とす事も不可能ではなくなるだろう。
この街は注目されている。我が物にしたい連中なんて幾らでも湧いて出てくるのは早期から予測されていた。
その為に村中殿には対処に動いてもらっている。
世界中が見守る街を守り、正義の傭兵団として活躍してみないかと誘いを掛けているのだ。
世界中の人間から肯定される傭兵組織。世界を救えるかもしれない街の守護をしたと宣伝すれば、これまでとは比較にならない仕事が舞い込んでくる。
誰だって甘い蜜は吸いたい。弾薬は事前に軍の人間が提供してくれた物資の中にあったので、それを配れば解決するだろう。
今や弾薬庫まである状態だ。そちらには二十四時間デウスが張り付き、近付く人間は全員調べられる。
視覚情報だけで隠している物も見抜けるのがデウスだ。流石に体内に道具を隠されれば難しいが、内部にもデウス達は居る。怪しい行動は即座に見抜かれると思った方が良い。
村中殿の役割は街防衛と傭兵との繋ぎだ。有名所から無名まで、幅広い人間と接触して味方してくれる傭兵を集めていた。
「もう間もなく千人程準備が出来るでしょう。 その時が来るまでには千五百程集めてみせます」
「凄いですね。 流石は村中殿ですッ」
「いえいえ、これも貴方様のお力があってこそ。 調査はしなければなりませんが、沖縄奪還が始まっても此方に意識を向ける必要が無い程の戦力を集めきりましょう。 そうでなければ私が此処に居る意味がありませんからね」
はっはっはっは、と室内に快活な声が響き渡る。
既にかなりの活躍をしている筈なのに、目の前の老人はまったく自分が活躍したと思っていない。
謙虚である、というのではないのだろう。真実、自分がやった事は大したことではないのだと認識しているのだ。
一応は何度か訂正も試みたものの、本人からはまったく改善の兆候が無い。
それに彼の部下達もこんなのは日常だと笑うだけだ。彼等にとっての本当の大事とは、軍の基地の占領くらいではなかろうか。
何にせよ、安心出来るのは事実だ。この何故か俺を信奉する御仁は裏切る気配を見せず、当人も自身が裏切るかもしれない懸念を常に抱えてくれと言っている。
そのため、一部のデウス達は彼と行動を共にしていた。もしも怪しげな素振りがあれば即座に報告をするようにと厳命し、未だ一度もそのような話は来ていない。
「ありがとうございます。 私も頑張って説得を続けますよ。 まぁ、来週は本部に足を運ぶ事になっているんですけどね」
「本部、ですか……。 些か心配な場所ですなぁ」
机に置いたパソコン内の予定表には、今後の予定が大量に盛り込まれている。
救いなのは数時間単位で移動しなければならない訳ではないことか。そうでなければ疲れ切ってしまうだろう。
村中殿の懸念ももっともだ。本部となれば、これまで此方を肯定してくれた者達とは違う層の指揮官達も多く存在している。罵倒されるだけならまだしも、襲い掛かれては堪ったものではない。
どこまでいっても身内は怖いまま。いい加減諦めてほしいと願いつつ、休日明けの一日は平和に過ぎ去っていった。
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