第二話 行き倒れ
目覚める気配の無い少女は、俺が部屋に連れて行ってからも同じだった。
無意識の警戒とやらで触れた瞬間に起き上がられるかと思ったのだが、相手はどうやら他者に触れられるという行為に鈍感らしい。
再度敷き直した布団に寝かせ、そのまま朝の買い物を済ませた後も変わらないまま。もしや飯の匂いで起きるのかと買ってきたカレーライスを五分程度食べずに放置してみたのだが起きなかった。
こうなってくるといよいよ相手が目覚めるのを待つしかなく、しかし仕事もある俺は何時までも待てない。
幸いというべきか、此処から職場までは五分とかからない。
俺の就業開始時刻が午前九時であることを考えるに、約四時間の猶予があった。それも正直短いとしか思えないのだが。
「……さてはて」
一体この少女は何なのだろうか。
恰好を無視して考えるならば、彼女の年齢は高校生程度と推測される。今日は土曜日であるし、学生であれば大体が休日だろう。部活があればその限りではないし、今時の子共でもどこかに遊びには行く。
若者達の遊び場というのは徐々に復興に近付いている。その先導者も若者で、現状の立場としては新興だ。
まだまだ優先順位は敵の殲滅。癒しは必要であれども、それは変えてはならない。
彼女の恰好は、やはり今時の若者の恰好ではないだろう。今や数は少ないもののコスプレの線も考えられない訳ではないが、さりとてその風貌からは真面目さしか伺えない。
遊んでいる顔ではないのだ。着物を着ていた方が似合う清楚顔で、短パンを穿くタイプには見えない。
――一つ、可能性が無い訳でもない。
しかしそれは本来有り得ない事だ。絶対に起きる筈も無く、もしもそうであれば俺は今直ぐ仕事を休まなければならない。
考えるべきではないのだ。そう信じて、今は彼女が目覚めるのを待った。
何時起きても良いように普段の二度寝を抑え、寝落ちの可能性を加味して携帯端末にタイマーをセット。もしもの場合は書置きを残すかとメモ帳にペンを走らせ、彼女の枕元に置いておいた。
「――ん」
そうして二時間半くらいだろうか。テレビを見続けていた俺の横で、少女の声がした。
顔を向ければ、薄く目を開いた状態で天井を見つめる少女の姿。瞳は澄み渡る青で、その目だけで日本人らしさが大分薄まっている。
今はまだ寝惚けているのか天井を見つめているだけだが、やがて覚醒するだろう。こういうのは低血圧でなければ早いものだが、さてどうだろうか。
彼女は暫く天井を眺めて、俺の気配を察したのか身体を起こす。その際に特に眉を顰めなかった様子から怪我らしい怪我が無いことは解った。
視線を四隅に向け、そこで漸く俺と合う。目を丸くして此方を見る様子に、不覚にも可愛らしいと感じた。
「え、と……」
「漸く起きたか。まったく、扉を開けたら階段の下で倒れてたんだぞ」
二時間半で起きてくれたのは僥倖だろう。もっと掛かると考えていただけに安堵の思いが強い。
見知らぬ相手を家の中に置いておくというのは誰にとっても危険過ぎる。前の時代でもそうだったが、この時代の方が更に危険度は高い。
行き倒れてたフリをして襲い掛かる事も有り得る世の中だ。治安が良くてもその手の被害が一向に消えないので、防犯グッズは常に売れ続けている。尤も、相手側も対応するのでイタチごっこであるのは否めない。
兎に角、彼女は俺が仕事に行く前に起きてくれた。後は事情を説明してもらって、対応は仕事が終わってからにしてもらうようにすれば良い。
ただ一先ずは、朝食だ。初対面の、特にこんな変な対面であれば話の切り口は言葉では駄目だ。
だから適当に買っておいたコンビニのおにぎりを彼女に渡す。味は鮭に、シーチキンに、昆布といったオーソドックスな代物だ。
「一先ずそれを食べて、何であの場所に倒れてたのかを大丈夫なら説明してくれ。こっちはもうすぐ仕事なんでね」
「倒れて……はッ!」
俺の言葉に、彼女は突如として目を見開く。そして身体を勢いよく起こし、周囲を見渡していた。
その反応は普通の人間のそれではない。では何かと聞かれると困るが、確実に解るのは訳ありの気配だ。
落ち着かせる為にペットボトルの水を放り投げる。完全に視界外からの投擲物に、しかし彼女は確り反応して掴んだ。――いや、潰したという方が正しいか。
プラスチックの割れる音と共に、水が一気に外に漏れる。その所為で布団が濡れるが、今はそれについて気にすべきではない。
あの握力。あの反応速度。明らかに一般女子の反応ではない。
「あの!この近くに迷彩柄で統一された格好の方達を見ませんでしたか!?」
余程慌てているのか、彼女は俺の襟を掴んで質問をぶつける。
更に揺らすので気分が一気に悪くなるので無理矢理襟を掴む腕を離して距離を取った。
同時に、彼女の言う迷彩柄で統一された格好の者達という言葉に少し前の記憶を漁るが、どうしても浮かばない。そもそもあの時点では彼女を家に残す危険性について考えていたものだから、周囲を見渡す余裕は無かった。
もしかしたら居たかもしれないし、居なかったかもしれない。
ただ少なくとも、俺が歩いていた道には居なかったと思う。そういう言葉しか彼女に送る事は出来なかった。
「……そうですか。あの、その、有難うございました。直ぐに出ていきます」
「……」
俯きながら告げる彼女の様子は尋常ではない。
肌は色白の為か変化の度合いは不明だが、決して良いものではない筈だ。それでもお礼を言える辺りは、本当に彼女は良い子なのだろう。
こういう子が悲しい顔をするのは非常によろしくない。俺自身もまだ二十代前半であるが、これからは若い者の時代であるべきなのだ。今の時代は希望を持って生きねばならず、故に暗闇は払うべきだろう。
取り敢えず彼女が悪さをするタイプには見えないのは解った。そして俺が容易に踏め込めない理由なのだろうという事も解った。
ならばするのはただ一つだ。
「まぁ、なんだ。家はあるのか?」
「家、ですか?……一般的な意味の家でしたら、無いです」
「その言い回しが何か引っかかるが、いいや。無いなら暫く居るか?」
子供の保護なんて本来は国に任せるべきだ。ただの一仕事人がするべきではない。
それでも、見捨ててはおけないだろう。そんな今にも死にそうな顔をされてしまったら、助けなければと思ってしまう。彼女は驚きに再度目を見開いたが、そこに嫌悪感は無かった。
年頃の女性ならば嫌悪感や怪しさを感じるだろうに、彼女にはそれがない。その部分があまりにも合わな過ぎて、まるでもっと年の小さい女の子に見えてしまう。
あわあわと慌てる彼女に、絶対に初対面ではされたくない頭撫でをする。前に誤ってやってしまった時には軽い説教で済んだが、さて目の前の彼女はどうでるか。
「あ、あの……有難う、ございます」
最後にいくにつれて小さくなっていったが、一先ず確認は取れた。
この訳ありの子は暫く俺が預かる。ついでに怪しげな相手を発見したら即座に通報だ。このご時世、余程怪しい風貌をしていたら簡単に職質される。何せ治安が完全に前に戻っている訳ではないからな。
悲しいけれど、今はそれを利用出来るのだ。有効的に使って、彼女を守ってあげれば良い。
実際のパワーでは彼女の方が遥かに上かもしれないが、それでも世の中は力だけではない。身をもって知っているからこそ、権力という言葉はどうしたって強力なのだと理解も出来る。
これからは近くの交番の前をルートに含めるとしようか。そう思いつつ、俺は彼女と仕事に行く前の雑談を交わしていくのだった。
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