第百九十八話 芽生える苦悩
「帰んな。 私達は二度と人間の言葉に頷かないよ」
青森基地・執務室。
日本において最重要拠点の一つに認定されている件の基地内で、俺は予想通りの言葉をデウスから聞くことになった。指揮官は以前までと異なり、平和主義の男性指揮官だ。
しかし、彼女達の圧に押されているのか視線は彷徨い続けるばかり。重要拠点を任されたにしては頼りない姿であるが、それだけ人員不足であるならば納得するしかない。
青森基地に到着してから最速で彼女達に会いに行ったものの、歓迎の気配は一切無かった。それどころか俺にも嫌悪の表情を向けられ、その眼差しに新鮮さを覚えたものである。
彼等の言い分は短い。これまで虐げられた以上、我等には逆に虐げる権利がある。
相手がどのような命令を下したとしても申し聞きするつもりは無く、唯一の例外は物資輸送に関してのみ。
北海道から攻められ、それを防衛していたのは青森基地の彼女達だ。北海道が人間の手に収まった時点で防衛の任は一時解除されたものの、残党達を全滅させなければまた何時攻められるか解らない。
故に北海道に関する物資輸送や兵員の護衛については受け持ち、それ以外の全てを拒否するというのが彼女達の言い分だ。
彼女達は虐げられていたとはいえ、規則に照らし合わせれば命令無視である。
更に兵舎を含めて多数の公共施設を私物化し、通常であれば即時に解体処分されるだろう。
軍がその判断に踏み切れていないのは、世間の目が未だ鋭いからか。
どんな情報が漏れるかも不明な状況で迂闊な真似は出来ない。よって不承ながらも北海道物資輸送と引き換えに、私物化を認めているという体になっているそうだ。
見事にデウスに踊らされている。強制命令が無ければ所詮は人間なんてこんなものだと教えられているようで、あの発明家の発言はまさに正しかったのである。
愛が無ければ共存は不可能。人類はデウスに対する愛を放棄し、自己防衛のみを選んだ。
その果てがこれならば、責められるのは甘んじて受けるべきだろう。それは俺も一緒であり、彼等の言い分に一度も口を挟むことなく全て聞いた。
その最後が先程の言葉だ。リーダー格の褐色の女性は非常に気が強く、獣に極めて近い。
野性味溢れる美人と言うべきか、強さこそを至上としていそうな風貌だ。とても理知的な話し合いが成立するとは思えない。
「では、もしも戦力が不足した状態で沖縄奪還が失敗しても知らぬ存ぜぬを貫くおつもりで?」
「そもそも新しく事を始めるのには早過ぎるだろ。 先ずは北海道を平定し、次に戦力や備蓄の回復に専念し、最後に沖縄奪還に踏み込むべきだ。 それをこんな早めてやろうだなんて、私達を何だと思ってるんだい!?」
「仰りたい事はよく解ります。 ……正直、私も貴方に近い意見を持っています。 幾ら何でも貴方達に寄せる負担が多過ぎる。 このままでは余計に貴方達は私達を嫌うでしょう」
「当たり前だね。 私は考えるのが苦手だが、それでも何も思考しない愚図じゃない。 このまままたそっちの要求を聞く事になれば、奴隷としての自分を脱却出来るとは誰も思わなくなっちまう」
足を組み、太股までを隠す革ブーツを俺に見せ付ける。
正に今の彼女は傲岸不遜。いや、傲岸不遜のように見せているだけだ。
話をするだけで理知的ではないという言葉は即座に撤回した。彼女は彼女なりに基地のデウス達を想っていて、人間に支配されない為に必死に偽っている。
本当の彼女がどんな人物かは解らないまでも、積極的に害を与えるタイプのデウスではないだろうことは間違い無しだ。
それだけでも彼女達の心の美しさが理解出来てしまうというもの。人間が偽善的な振舞いをするように、彼女は偽悪的な振舞いで必死に防衛線を構築していた。
そんな相手に、沖縄奪還に参加しろとは言えない。本当は参加してもらいたいが、彼女の気持ちを知ってしまうとどうしても無理強いは考えられなかった。
「……そちらはどんな事をされたので?」
「色々だよ。 遊び半分の暴力に、不必要なまでの罵倒の数々。 女として夜の相手をされた子も多い。 その所為で一部の子達は未だに機能不全に陥っている状況さ。 記憶消去をすれば解決するんだろうが、それを提案すると発狂して武器を振り回し始める。 まったく、人間様ってのはそんなに高尚なのかね?」
俺は押し黙る。彼女の言葉の内容そのものは幾度となく聞いてきたものだ。
それだけで今更揺らがず、しかして発狂したという事実は今回初めて聞いた。それは所謂暴走状態に近く、無作為に暴れるデウスによって健在な者達の精神も追い詰められている筈だ。
元に戻すには長い時間が掛かるだろう。余計に戦闘には参加させられないと眉を顰め、そんな俺を見ていた女性は解っているさと溜息を零す。
「あんたは恩人だ。 あんたが行動してくれなけりゃ、私達の解放は無かった。 これまで通りに虐げられて、前の指揮官に嗤われているままだっただろうさ。 ――だから感謝はある」
恩を感じている。感謝も持っている。
けれど、それでも、同じ人間であるというだけで素直に受け入れることは出来ない。もしも俺がデウスであったならば、彼女は諸手を挙げて感謝の限りを尽くしただろう。
彼女の想いは人間のように複雑だ。そのような思考形態を生み出すに至った経緯は残酷で、地獄と天国の両方を知らねばそのようにはならない。
生まれてからの人生で、そして解放されてからの短い人生の中で、彼女は両方を体験したのだ。
その結果が最終的にどのような形で終わるのかは、俺にも解らない。何処かで再度人間を信じてくれるのかもしれないし、永遠に恨みを抱えて人間を遠ざけるかもしれないのだ。
全ては彼女次第。故に、解っていますよと俺は言葉を返す。
「そのお気持ちを知っただけでも、私には十分です。 元々何の見返りも考えずに始めたことでした。 まさか自分がこのような立ち位置に収まるなど想像も出来なくて……だから、貴方が人間を信じられないままであるならばそれでも構いません」
「良いのかい? それはつまり……」
「貴方達は今、人類にとって必要な土地に物資を送り続けています。 それで本部が納得しているのでしたら、私から何かを言う必要も無いですよ」
沖縄奪還に彼女達は参加しない。ただ、その代わりに北海道にだけは注意を向けてほしい。
その意思を込め、頭を下げる。耳は誰かの息を呑む音を拾ったが、それが誰のモノであるのかは気にしなくても良い。
頭を上げて、偽り無く笑ってみせる。他者に無理強いさせるのは俺の本意とする所ではない。
本音だけを絡めた視線に、彼女は後頭部を掻きながら視線を逸らして感謝の言葉を述べた。それが現在の彼女が出せる精一杯の人間への想いなのだろう。
残念だ、とは思わない。確かに戦力が減ると決定された事実は痛いものの、代わりに北海道に意識を向ける必要も無くなっている。
誰だって死ぬのは御免だ。例えバックアップがあっても彼女達も死への恐怖は拭えず、近付いた人間性に困惑している部分もきっとある。
それが進んだ時、漸く相互に理解が浸透するのだろう。
人間はデウスを知り、デウスは人間を知ることで手を結べるのだ。
切っ掛けが見えた。
苦悩する彼女達に未来を見て、俺達は失敗の二文字をぶら下げて街へと帰る。
報告書にはそのままを載せよう。彼女達が苦悩する時間を伸ばせるだけ伸ばし、自身で解決出来るようにしてあげたい。
思いがけない出来事に口角がつり上がる感触を覚えた。
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