第百九十四話 嫁ピラミッド
『古い話ではありますが、我々一同が生き残る為にも証が欲しいのです』
「だからって嫁って……嫁って」
基地の執務室内で頭を抱える俺が居た。
提示された代替案に驚愕し、そんな前時代的な方法を発案した彼等の知識に困惑し、どうするべきかと今と未来を考えて脳味噌は活性化している。
政略結婚という概念自体は今もあるのは俺も知っていた。親しい大企業同士が繋がりを深める為に親同士の決めた相手と結婚する事はニュースでもあったし、上流家庭であれば同じ出来事が起きていない筈も無し。
だが、それをデウスが提案するという事実は誰にとっても予想外だ。
考えられるとしたら外的要因。即ち軍の高官から提示されるくらいだと思っていただけに、やはり驚きの方が先に出てくる。
左之指揮官は俺に向かってひたすら謝罪を繰り返していた。
元はといえば最初から彼等がデウスの信頼を手にしていれば解決していた話なのだ。そうであれば俺が行く必要も無く、左之指揮官も此処まで困惑することも無かった。
左之指揮官本人は事務的な扱いをしていただけだと解っている。真に心象を悪くしていたのは他の軍人共であり、彼女はそのツケを払わされているだけだ。
ただ、それでもと思ってしまう人間の悪感情は止まらない。
結婚そのものを否定するつもりは無いのだ。デウスが本当に好いた相手と結婚するというのならば、喜んで祝福の一つでもする。
子供を産み育てる能力を持たないものの、愛し合う事は出来るのだ。
――ごちゃごちゃと言ってみたが、一番の問題点は俺自身が結婚に適した人間ではないと思っている所である。
色々と言い訳をしてばかりいるものの、根底はそこだ。愛する覚悟は持っているものの、自分の頭の中に結婚後のイメージがまったくもって浮かばないのである。
そんな悩める俺の肩に、そっと柔らかい手が乗せられた。
顔を上げて件の人物を見れば、シミズが珍しく慈愛の籠った笑みを浮かべている。最後に笑みを見せたのが何時だろうかと思うも、輝く目から不穏な気配を感じた。
もう片方の肩にも柔らかい手が乗せられる。反対側にはワシズがおり、そちらの表情は母親のように慈愛が籠った目だ。
だが何故だろうか。彼女達の顔を見てもまったく安心出来ない。それどころか、このまま彼女達にその顔を浮かばせてはならないと頭は訴えていた。
「――あれ、殺す」
「うん、殺そうか。 シミズも乗り気だし、私も今回はかなりキてるの」
「ま、待て待て。 少しは落ち着け」
「……信次さん」
背筋に氷柱を差し込まれた。
そんな感触に上擦った返事をしてしまう。そのままゆっくりと背後を振り返ってみれば――これまた久方振りに見るような満面の笑みの彩が居た。
彼女が満面の笑みを見せる理由など極僅かだ。余程嬉しい事があったか、あるいは嫌な事があったか。
この場合は彼女にとってとても良い状況ではない。少なくとも愛の無い婚姻を俺が結ぶ可能性が浮上した時、彩が先ず最初に浮かばせるのは排除だ。
彼女にとっての最優先が俺である。今はデウス達の不満を抑える基地巡りをしているものの、それでさえ彼女は断じて認めている訳ではない。
軍がやったことなのだから軍が解決しろ。彼女の意見は何時だって正論で、しかし人情味というものが含まれていない。
甘えも優しさも外界には一切許さず、今回の行動はその最たるものだ。
「制圧するならば何時でも可能ですよ。 何でしたら人格書き換えも行いますが」
「彩も落ち着け。 まだ決定事項になった訳でもないッ!」
「ですが、代替案がそれです。 他の案を提示してもアレらは納得しないでしょう。 そして、万が一にも呑むのは認められません」
断固たる決意と共に彩は笑みのまま告げた。
その手に収納しているままだった白亜の銃を持ち、銃口を持ち上げなくとも左之指揮官を威嚇しているのは明白である。
だがまだワシズもシミズも武器を呼び出していない。理性が完全に抜けきっていない分、まだ話し合いの余地は残されているだろう。
この場において完全な中立は、椅子に座りながら優雅にお茶を飲んでいる岸波指揮官達だけだ。
我関せずの態度を貫くその姿勢には苛立ちが浮かぶし、彩達も完全に意識外に置いていないことから味方とは認識していない。
黙っててくれるならそれで良し程度だ。少しでも此方に不利な条件を突き付ければ、最後の一線を越えて彼女達は制圧を開始するだろう。
「……岸波中佐、何かご意見はありますか?」
重苦しい空気だ。しかし、そんな中で左之指揮官は謝罪の声を止めて岸波指揮官に救いを求めた。
そうですね、と窓際に移動していた彼は顎を暫く擦りながら中空を見やる。
笑みを湛えているのは余裕か、はたまた本心を隠しているだけか。F12は微笑ましい視線を俺に注いでいるものの、その意味については解らない。
「確認をしたいのですが、只野さんは御結婚はしていますか?」
「していませんよ。 ずっと独身ですし、恋人らしい恋人も居ません」
「では彩さんとは? デウスと結婚するケースはこれまで一回もありませんでしたが、貴方達は例外中の例外だ。 夫婦になっていたとしても不思議ではないのですが……」
「夫婦って……」
思わず、背後の彩と目を合わせる。
彩は突然の言葉に頬を染めているものの、決して嫌悪感は無い。いや、彼女の俺に向ける目には親愛を超越した男女の愛が籠っている。
俺も似たような目を彼女には向けていたし、実際これで恋人らしい振舞いをしてきた回数は少ない。
その大部分も彼女が積極的に動いた時だけだ。俺側から何かをした回数は多くは無い。
しかし岸波指揮官にはそれで十分だったのだろう。互いに愛を持っていて、決して結婚を否定はしていない。寧ろ出来るのならば是非という気持ちが湧き出し、それが胸を埋め尽くす。
「この基地のデウス達が左之指揮官に従う為には他に安全な場所が必要となる。 そして、沖縄奪還が失敗した時に軍がデウス達の安住の地を提供する事は恐らく出来ない。 日本そのものが荒れに荒れ、大量のデウスの脱走も起きると考えれば、彼等が生き残る為に必死になるのは必然です」
それこそ使えるものなら何でも。
その言葉締め括った彼の言葉に、項垂れてしまう。お茶を飲んで喉を潤し、岸波指揮官の予測に俺は同意を示した。
勝利と敗北。未だその天秤が敗北に傾いている以上、彼等が安住の土地を求めるのも自然だ。
彼等は繋がりをと言っていた。それは敗北した後に逃げ込める場所を求めてということだ。その為に事前に仲間の一人を嫁として送り出し、下地を作る役割を与える。
結局は率いる事になるのだ。それが早くなるか遅くなるかの違いでしかない。
未来を見越したリスク管理。その言葉が脳裏を過り、自由になるというのも考えものだと息を吐く。
だが、これもまたデウス独自の変化だ。それを歓迎しない要因は俺には無い。
「ですが、彩さんはそれについて納得していない。 それはやはり愛が無いからですか?」
「勿論だ。 愛が無く、友愛も無く、感情を廃した要因による婚姻など認められる訳がない」
「なら、こういうのはどうでしょうか――――貴方が正妻となって嫁になるデウスを管理する」
「……それは」
愛が無く、友情も無く、親しさも無い。
そんな相手を嫁にしては俺が不幸だというのが彼女の意見だろう。彩の真意を岸波指揮官は見抜いており、故に順番を変えることにした。
デウスに人権は無い。婚姻を結ぶにしろ、婚姻届を出す必要も無い。
だからどれだけ嫁にしたとしても許されるし、実際に軍内部には複数のデウスを手籠めにする人間も複数存在していた。
それを俺にしろ、ということだ。
ただし、軍の人間のようにではない。彩と結婚し、彼女を正妻という頂点に置いて管理を行う。
俺の嫁という地位がどれだけ周囲に影響を及ぼすかはさておき、最強が管理すれば一つの組織としての枠に収めることも出来る。
勿論仲を深めても構わない。その辺は家族となった者達同士で決めれば良い。
この提案に彩は揺れた。言葉も減り、頬を染めたまま瞳を潤ませて俺を見つめる。溢れるような愛を放つ彼女の姿に、何となく敗北してしまうのだろうなと苦笑した。
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