第百九十一話 長崎基地
選択肢は無い。
こうしてパーツの支援を受けた以上、それは絶対だ。
だが、話に聞いた限りにおいては勝利の確率があまりにも低い。ワームホールのある沖縄の完全占拠ともなれば、一体どれほどの戦力が必要になるのかも解らないのだ。
軍が十割の力を発揮したとして、甘く見ても勝率は三割。五年という短い時間の中で起きた惨劇の原因が相手であるならば、一割と考えておくのが打倒だろう。
そして、それさえも希望的計算に基づいているのは言うまでもない。
軍も民間も立ち入れない未開の世界で戦うということは、当たり前のことではあるが死傷率も段違いだ。デウスを簡単に破壊する化け物の中の化け物が居ると仮定しても、まだまだ見積もりが甘いと思わされてしまう。
これまでもデウス達は結果を出してきた。
徐々に徐々にと生活圏を拡大させ、生活を一定の水準に維持させる所までは上手くいっている。
しかし、それは結局ワームホールを避けただけだ。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに諸外国もワームホールが存在する地域を避け、それ以外の地域を解放することで表向きは平和に近付いていると宣言していた。
俺も裏側を知らなければ何も疑問に思わなかっただろう。国家とはこんなにも薄氷の上に成り立っていたのかと、あの頃は然程深くは考えなかったに違いない。
それを知るだけの立場に付いてしまった。望んだものではないが、さりとて自分から手にしたものであるのは事実。
俺は俺の責任を取る為に走る。そして、巻き込んでしまった街の人々の為に走るのだ。
ヘリに乗った俺達何時もの四人組は、人間に対して強い反感を抱いているデウス達の下へと向かっている。
その際にも春日との殴り合いや村中殿との意見の重ね合いを行い、可能な限り街の存続に支障が出ない程度の結果を持ってくる事を約束した。
沖縄を攻める必要がある以上、街のデウスは全員出撃だ。当然ながらG11を通して発表が行われたが、予想に反して文句が出てくることは無かった。
本人達が救われた側だという意識があるからだろう。それ以外にもまだまだ奴隷根性が抜けきっていない。尽くすべきと定めた存在に対して死ぬ事も厭わない姿勢は、何時かは矯正しなければならない問題だ。
だが、一先ずはそれによってデウスからの賛成は得た。街の住民も不安の声が大きかったが、ワームホールの封鎖は遅かれ早かれしなければならないことだと理解もしている。
賛成と反対の票は五分五分に近い賛成になってくれたのは奇跡的だと言えよう。
「……と、着いたな」
「はい。 長崎基地の到着です」
大規模ヘリポートに着陸したヘリから俺達は降り、共に来てくれていた岸波指揮官と共に長崎基地の内部へと進んでいく。
案内は兵士二名。廊下にデウスの姿も無く、訓練の声も全て人間だ。
デウス特有の規則正しい動きをしている存在はいない。窓の外に居る兵士達も各々が思い思いに過ごしていて、緊迫している雰囲気と考えるには疑問が残る。
沖縄を攻めるのは軍の全員が理解している筈。ましてや、長崎基地を含めた九州地方は最も沖縄に近い県だ。
日夜海を越えてやってくる化け物の群れを撃滅する仕事があり、安寧としている時間は皆無だと俺は想像していた。
実際は違うのだろうか。疑問符ばかりが浮かぶ基地の状況を眺めながら、俺達一行は執務室の前に立つ。
ノックをするのは兵士だ。入室許可を求める声に対し、部屋の主の声は酷く声が高かった。――――まるで女のような。
「失礼致します。 岸波中佐と只野様をお迎えしました」
「そう、有難う。 お茶だけ出したら後は下がって」
「畏まりました」
部屋の中はこれまで見てきた執務室の中で、最も殺風景だった。
家具は最低限。部屋を占める割合は紙の方が多いくらいで、個人の所有物だと思えるようなものはない。
赤い絨毯のようなものも無く、あるのは大理石の床だ。しかしそれが色合いを手助けしている訳も無い。
総合的に見て、白と黒の空間だ。机も一般事務員の物だと言われれば納得ものだろう。
その中で最も巨大な事務机の椅子に座っているのは、先程の声の主である少女だ。
端的に表すならば純和風の美少女。支給される黒の軍服を特に着崩したりもせずに着用し、腰にまで伸びた黒髪と横に揃えた前髪は和風人形を思わせる。
薄く微笑みを湛えた表情を浮かべているが、その顔が張り付けたものであるのは一発で気付いた。
そもそも最初から隠す気も無いのだろう。滲み出る拒絶の気配を感じつつ、しかし何てことはないと硬い灰色の椅子に座った。
少女の眉が一瞬揺れる。それが何を指し示しているかは考えず、俺達は俺達の要件を済ませる為に口を開く。
相手は彼女だけではないのだ。この基地一つに拘っている訳にはいかない。
「突然の来訪について謝罪をさせてください。 本日は誠に申し訳ございませんでした」
「いえ、構いませんとも。 沖縄奪還に向けて反抗的な態度を続けるデウスを説得する。 それが本当に出来るのでしたら、非常に有難い限りでございます」
向かい合っている彼女の言葉は、何処か挑発的だ。
雰囲気ではとてもそうとは取れないのに、彼女は俺を挑発している。その意味を問い質そうとして、しかし岸波指揮官が手で俺を遮った。
彼は未だ立ったままだ。座る気は無いようで、此処では少し話す程度なのだろう。
岸波指揮官も岸波指揮官でやることがある。彼も一派閥の重要な一翼を担う以上、一ヶ所に留まり続ける状況は決して良いものではない。
「左之少佐、彼は非常に稀有な人間だ。 彼ならば君とデウスの仲を取り持ってくれる。 安心してくれ」
「……解りました」
岸波指揮官は左之指揮官の事をそれなりに知っているらしい。
であるならば此方にも情報を提供してもらいたかったが、そうしないのには何か理由があると考えるべきだ。そのまま岸波指揮官は軽い挨拶と共に消えていき、後に残されるのは俺達四人組と左之指揮官のみとなる。
今一度向かい合うことになった俺達だが、今度は話題が無いということもない。
「この基地の人間とデウスの仲が良好ではないのは知っています。 何が原因か教えていただくことは出来ますか?」
「勿論です。 岸波中佐には良くしていただきましたから。 教えられる限りは教えますし、協力出来る限りの協力はします」
左之指揮官は引き出しを開き、十数枚の紙束を取り出す。
その紙束を俺の前に差し出し、無言で読めと促した。彼女の黒真珠の如き瞳を見ながら俺は視線を紙束に向け、その情報に目を走らせる。
書かれているのは全てデウスの情報だ。何枚も何枚も捲ってみるものの、細かい情報は違っていても大枠の部分は一切変化していない。
名前と姿形、特徴と危険度。最後の部分は不要と判断したいところだが、軍だからこそ記すべき項目だ。
これだけを見る限りでは何も解らない。ただ、彼等がこの基地に所属している事だけがあるだけである。
これを読んで何を理解しろと言われても、思慮の深くない俺では理解し切れない。
尤も、じゃあそれで見放す程彼女は非情ではないのだろう。
「この名簿に記載されているデウス達は現在出撃中です。 沖縄からの侵攻を抑える為に死ぬことを理解していながら出撃し、通信状況から判断するに生存していることだけが判明しています」
だが、彼女は非情でなくとも世間は非情であった。
沖縄からの侵攻を塞ぐ防衛線。九州地方が受け持つ役割は常識的観念を備えている人間程摩耗し、彼女のように張り付けた仮面のような表情を浮かべるのかもしれない。
そんな顔を見つつ、頭は先ずデウスの救出を選んだ。
「彩、ワシズ、シミズ、直ぐに出撃。 反応を探る事は出来るか」
「今見つけました。 発見されないように工作していたようですが、私の前では無駄です」
外に出てから早速の戦闘だ。それも沖縄からの敵であれば練習として申し分無い。
目を見開く左之指揮官の姿に何処か懐かしさを感じながら小型端末を起動させる。視界をリンクさせ、小規模ながら指揮用の部屋と同じ状況を作り上げた。
第一目標は救出。第二目標は撃滅。それを厳命しつつ、生命の危機に瀕した際には生存第一に動けと命令することを忘れない。
この基地には今、間違いなく異常が起きている。その異常を調べる為にも救出は絶対となるだろう。
左之指揮官を視線から外し――意識は戦闘用のものへと切り替わった。




