第百八十二話 大脱走
揺れる、揺れる。
回路に流れる感情の波が自身の心を一色へと染め上げていく。
彩は訴える。お前達はそれで良いのかと。
ただただ強制命令という言い訳に従い、虐げられるのかと。そんな人生こそをお前達は求めていたのかと。
そんな訳がない。彼女の言葉の一つ一つに、デウスの全員は否を突き付ける。
認められる道理などある筈も無く、出来ることならば自身の使命に沿って活動を続けたかった。
この身体も、この武器も、総じて人を守るため。それこそがデウスの生きる意味であり、世間体としてもその理由は広く知られている。
だというのに、どうして自分達は今此処で人に向かって武器を向けようとしている。
攻める先には何も出来ぬ人間が居て、まともな戦力はデウスが僅か程度だというのに。
その僅かな筈のデウスが彩で、想定を超える武器を持っている事実は警戒と恐怖を煽るものの、だからといって負けぬと断じる事はまだ出来る。
しかし、彩の言葉によってただでさえ少ない戦意は更に低下した。その目は暗黒を映し、可能であれば逃げ出したいと感情は訴える。
そして、そんなデウスの状態を兵士達は正確に見抜いていた。このままではデウス達は離れ、彩達の側に立つかもしれないと。
それだけは認められない。まだまだ自分達の為に活動してもらわねばならぬと隊を率いる者が通信機に口を当てる。
彩の言葉は続いていた。何処までもデウスの心を折り、軍の無能を訴える様子は兵士達も理解出来るもの。
「デウスに命じる。 眼前の敵を排除せよ」
男の言葉に、嫌悪を滲ませながらもデウスは武器を構えて走り出す。
命令は下された。絶対の命令が与えられた以上、彼等は操り人形が如く仕事を遂行する。
誰もがそれに抗えない。聴覚をシャットしても、命令は問答無用でブラックボックスに影響を与えていた。
これを止めるには四肢を破壊するしかない。それをもって漸く彼等も停止し、大人しく死ぬ事が出来るのだ。
彩は舌を打つ。やはりこうなるのかと認識し、しかし想定通りだとも冷静に思考していた。
そうだ、全ては予想の範疇を出ない。彩本人の本音を語ろうとも、現実的な問題として命令の強制力は並みのものではない。
どれだけ狂暴なデウスでも無理矢理従わせられるのだ。その強さは並大抵の感情では振り切れない。
「ワシズ、シミズ。 予定通りに攻撃開始」
「あいあい。 ダウンで良いんでしょ」
「専用弾、装填完了」
デウスを味方に引き込むのは必要事項だ。
只野から望まれているからには、絶対に逃してはならない。これが成功すれば他所に力を入れる必要が無くなり、以前の旅と同じように只野と一緒でいられるだろう。
街の人間も純粋に喜ぶだろうし、デウス達も喜ぶ。一石二鳥どころか三鳥にもなり、発展にも貢献するのは間違いない。
火球の影に隠れる形でもう片腕に銃を持つ。これまでは全て一丁で片付けていたが、この火球を消してしまっては彼等は警戒を幾分消してしまうかもしれない。
デウスを倒せるのはデウスだけ。その定石に従う以上、人間が攻めて来るのはもう暫く後になるだろう。
走り始めたデウスの速度はやはり人外じみている。世界記録を容易く塗り替える走力はデウス本人の姿を朧気なものに変え、更に速度が上がっていけばやがて人の目では捉えられなくなるだろう。
だが、その全てを彩は認識している。
大して力を発揮するまでもない。彼等の速度程度、彩にはまるで問題にはならないのである。
そして、彩を基準に装備が作られているのだから、あらゆる武器が条理を無視しているのは自然だ。
灰色の何の変哲も無いサブマシンガンが火を噴く。
一直線の攻撃はやはり単純で、されど確かに数人は命中した。
彩が持っている武器だ。何か特殊な事が起きると命中した者は身体を硬直させるが、特に何も起きていないーーーーいや、違う。
身体が硬直した。つまり、命令とは別の行動を取ることが出来た。
その異常は命中した者全員に発生。強制命令を停止させられ、デウス達は皆が困惑を表情に浮かべた。
『リミットは三十分。 その間だけは、強制命令を停止させられる。 此方に逃げ出すならば今をおいて他に無いぞ』
追い打ちをかけるように彩は昔の回線を使って目前の相手に通信を送る。
撃ち込まれてから三十分。どのような命令であってもデウスは自由だ。
『これは最後通牒だ。 このまま逃げぬのならば破壊するし、逃げるのならば此方は歓迎しよう。 先程の武器については知らせないがな』
これはただ気構えを試しているだけ。
このまま飼い犬としての生活を続けるか、デウスとしての己を貫くか。
無様なデウスに生きる価値無し。彩が言っている事は即ちそれであり、彼女は無数のデウス達に地獄への片道切符を差し出していた。
突撃していたデウスが今一度静止する。何度も何度も足を止めてしまうのは、それだけ彩が脅威的だからだ。
適切な罠を用意しても彼女であれば対応出来る。一撃必殺による絶命を除き、彩を停止させる事は不可能に近い。
火力において右に出る者は無く、しかしその代わりとして彼女の精神は常人から大きく変質してしまった。
この変化を手放しで喜べるかどうかは人それぞれ。だが、彩の主である只野はそれもまた個性と受け入れている。
だから強い。だから砕けない。だから慈悲をかけない。
故に、その様はデウスを惹き付ける。軍の頃とはまったく異なる方向で、彼女の有り様は他者を変えていくのだ。
これまでの者達は総じて強固な自我を持っていた。十席同盟達は個性的で、三人の指揮官の下に居たデウスは安定した精神を持ち、共に影響を受けない土台を作り上げている。
如何に彼女でも、その土台を崩すのは困難だ。例え必要だったとしても、彼女はまず最初に別の方法に舵を切っていただろう。
だが、凡百のデウスに対しては彼女は毒のように思想を植え付けられる。
弱者を破壊し、強者を生み出し、その本懐を遂げさせる事が出来るのだと思わせる未来を見せるのだ。
その大部分は只野が考えるものとなるが、彩にとってはそうでなければならない。
徹頭徹尾、只野至上主義。
彼が作った未来にこそ意味があって、それ以外が見せる未来に価値など無い。
さぁ、と彩は告げる。
実際はどうであるかはさておき、デウス達は今此処で選ばねばならない。
このまま戦うか、否か。一切の質問も許さぬ空間で、兵士達は何故か静止したデウスに向かって若干の困惑を抱きながらも再度命令を発する。
『何をやっている。 さっさと目前の敵を潰せ』
ーーーーそれこが兵士達の失敗だった。
デウス達が絶対に逆らえない命令がブラックボックスに届く。しかし、そのブラックボックスは本来は拒否出来ない筈の命令を拒否し、全ての自由をデウス達に与えていた。
それが彼等の最後の線を越えさせた。
ゆっくり、しかし武器は全て格納して彼等は歩く。一直線に彩へと進み、その脇を通り抜けていったのだ。
彼等の表情は晴れやかだった。もう誰の支配も受けないのだと歓喜の波が押し寄せ、一部は彩に向かって頭を下げていた。
未だ弾を受けていないデウス達も自分から当たるようにわざと身体を動かし、その内全てのデウス達が街へと入っていく。
期限は三十分。それを越えるようであれば、通信を用いて命令を与えてくるだろう。
『デウスの諸君、街に入り次第体内の通信用パーツを破壊しろ』
彼等に向かって彩は追加の命令を与える。
その行動は自傷であるが、デウス達は痛覚が存在しないのでパーツの一つや二つを破壊したとしても問題はない。
こうして、無数の兵士達の叫び混じりの命令を無視して全てのデウスが街に収用された。
残るは人間のみ。そして人間のみならば、逆転出来ない道理は無い。
「それでは兵士の方々、私はこれで失礼する。 ……ああ、これは土産だ。 喜んで受け取ってもらえると有り難いな」
最後に彩は火球を発射させてにこやかにワシズとシミズと共に街へと歩いていった。
ーーその背後では大規模な爆音が響き渡っていたという。
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