第百七十八話 男同士の友情
廃墟内で、俺は一人缶詰を開ける。
バッグの中に突っ込んでいた鯖の味噌漬けは未だに健在で、割り箸で口に持っていくと濃厚な味が口内を満たしてくれた。
側には誰も居ない。常に護衛をしてくれていた誰かが此処に居ない現状は、場所も雰囲気も違う筈なのにアパートを思い出させた。
あのアパートから離れて、既に長い時間が経っている。家賃を一切払っていない状態では、既に立ち退き扱いとして俺の私物は全て業者によって処理されているだろう。
もう残る私物は、バッグを含めて少ない。
それに多少の寂しさが湧いてくるものの、鯖の味噌漬けと一緒にその気持ちを飲み込んだ。
この食事か、はたまた次の食事の後には戦いが始まる。そんな時が迫っている状況で過去を懐かしむ必要は無く、厳しい未来に目を向ける必要があった。
此方の生活がこれからも続けられるかどうかは、正しくこの一戦に掛かっていると言っても良い。
急造とはいえ、戦える民間人を用意した。早々容易く街に侵入されない為にも壁を作り、罠も置かれている。
最適解は地雷だろうが、後々の撤去問題を鑑みてそれを使うことはしていない。
原始的な物であれば落とし穴。現代的な物であれば傭兵団が隠して設置したタレット。
どれもこれもデウスを擁する基地と戦うには不足ばかりで、自分の能力の低さが恨めしい。
もっと、もっと、この場所は安心であるべきなのだ。
「もう部隊は向かったかな……」
だが、そんな強固には俺には出来ない。
いや、正確にはしてはいけないのだ。過剰に防備を固めれば、余計な戦力が顔を見せかねない。
今は滋賀だけ。だがしかし、他の県が動けば流石に負けるのは必定だ。
故に、そんな有り得ぬ未来を思い起こす必要は無いと別動隊を思い出す。
此処を守らねばならない以上、別動隊は全て人間だ。経験豊富な傭兵団の中から選ばれ、今は恐らく出立している頃だろう。
武器を持っているとはいえ、戦力としては貧弱そのもの。ましてや侵入するのが困難を極めるのは予想出来る。
死人は出るだろう。そして、俺達はその死人の上で生きる。
世の常だ。だが俺の我儘によって発生した死人は、全て俺の責任でもある。
だが、何の手も打っていない訳ではない。機会を伺い、間諜達には今回の相手である滋賀基地の指揮官が居る街に無数の騒ぎを発生させている。
人間は永遠に我慢が出来ない生き物だ。不満を溜め込めば溜め込む程に簡単に爆発するもので、操作すれば指向性の爆薬になる。
「ーーお、なんだこんな場所に居たのかよ。 お前が頼んだ煽動であの街は不満爆発だ。 ありゃ連日連夜続くな」
入室してきた春日の言葉に短くそうかとだけ返す。
小規模な爆発であればいくらでも揉み消せるだろう。だが市民のデモは決して簡単に隠せるものではない。
予定された動員数は凡そ二万。それだけの人間が騒げば、ネットの住人もマスコミも一切無視出来ない。
こんな状況で戦う?ーー無理だな。俺なら事態鎮圧に精を出す。
戦いは始まる前の事前用意にこそ意味がある。何となく覚えていた程度だったが、中々どうして嵌まれば強い。
「どれだけの部隊が事態を治める為に動くと思う?」
「さぁてねぇ、俺は軍人じゃないから解らんよ。 だが、少なくない人数が駆り出されるのは明白だ。 そして、その隙を狙うつもりなんだろ?」
「当然」
相手はデモに対応しながら部隊を出すだろう。
だが、その部隊は当初よりも遥かに少ない部隊になる筈だ。虎の子のデウスが大多数を占めると仮定すれば、更に削る事は難しくない。
壊れかけのテーブルの上に置かれた小型端末が震える。画面に表示されている名前はシミズのものだ。
迷うこと無く通話ボタンを押し、耳に当てた。
『準備完了。 二人、充電中』
「解った。 お前ももう休んでおけ。 無理をさせてしまうんだからな」
『解った。 でも、必要だったら起こして』
直ぐに通話は切れた。必要であれば起こせとシミズは言うが、開戦時間まで起こすつもりは毛頭無い。
彼女達の相手はデウスであるが、同時にデウスではないのだから。
当日は何重にも命令されたデウスがやってくるだろう。此方の言葉に答えもせず、それこそ機械のように迫ってくる可能性は十分にある。
通常の性能よりも上であるのは確実。故に、シミズとワシズはこれまでを超える強さに苦戦を強いられる。
勝てるかどうか、という部分では疑問が多々残っていた。どれだけ彩の技術を吸収したとして、多数のデウスと真っ向からぶつかって勝利を掴めるとは考え難い。
肝は俺達になる。絶対的な命令を発する基地の人間を止められれば、それだけ俺達に勝利が舞い込んでくるだろう。
「そういや、当日お前は何処に居るんだ? 指揮官的立ち位置に居る以上、安全地帯には居てもらわなくちゃ困るぜ」
「春日、この街に安全地帯なんてほぼ無いだろ。 当日も此処で全体の情報を聞く事に専念するだろうな」
「そうかい。 俺と村中の爺さんは壁の内側に隠れながら現場指揮をするだろうよ。 ま、殆どは爺さん任せだけどな」
「それでも、お前が居てくれるだけで喜んでくれるだろうさ。 此処の長は本当はお前なんだから」
「そういうのは気恥ずかしいから止めろって。 ……それに、俺じゃ此処まで何かをしようとは考えなかった。 ただ怒りに任せて暴れていただけだろうぜ。 被災者代表なんて言いながらな」
机の上に置かれた缶珈琲。
それを掴みながら春日は自嘲の笑みを浮かべる。
春日は考えられる男だ。見た目は世紀末な男であっても、分別を付けることは出来る。無作為に暴れるだけの男ではないと、俺は確信していた。
だが、それは今だからこそだとも同時に思っている。考えられる余裕を持ち、それ故に今日まで暴れる事を是とはしなかった。
だから自虐するのだ。自分では決してこうはならなかっただろうと。
「皆の熱気を止められなかった。 安全地帯でふんぞり返る連中を殴り飛ばしたくて、俺は俺の正義だけを掲げてたんだ。 本当にすべきは食料探しだとか寝床作りとかで、でも頭の中にそんな考えはちっとも浮かんじゃいなかった」
「春日」
「擁護はするなよ。 これは事実だ」
思わず遮った言葉を、更に強い言葉で潰される。
本人は擁護されたくて思いを吐露したのではない。ただ純粋に、過去の自分を告白しているだけだ。
だが、それで気落ちするような性格ではない。春日は確かに昔の自分を詰ったが、それは明日への原動力に変える為だ。
これまでは駄目だった。そして、これからはそうではない。
忘れるな、自分は何処までも普通でしかないのだ。
そうやって刻み付け、立ち上がれる。春日という男はそういう人物だ。
敵わないと俺は感じてしまう。だって、未だ胸中に蔓延る劣等感は、己の無能ぶりを突き付けてくるのだから。
まだ何か出来るだろう。改善の余地は無数に残されている。
それに気づけず、改善出来ないようなお前は無能も同然。そんな様でよく彩達と旅をしてこれたなと、劣等感は囁き続けている。
「……羨ましいよ。 そんな風に立ち上がれたら俺ももっと前向きでいられたかもしれない」
「ーーばーか。 お前の方が世間一般じゃ羨ましいって言うんだよ!」
額に衝撃。
突然のデコピンに何をするんだと目で問いかければ、春日の方が少々ばかり怒りを込めていた。
「デウスと恋仲になるなんざ、男の夢だぜ!? それにあそこまでお前に執着してくれてるんだ、もうちっと胸張らねぇとあの娘に失礼だろう」
「……」
事実だ。彩は俺に対して深い情を抱いてくれている。
世界最強と言っても過言ではない力を手にしてなお、その愛は深度を増すだけで消えて無くなりはしなかった。
世界最強の隣に居るのが、情けない男。そんなのは彩の評価を落とすだけだ。
「そうだな、その通りだ。 今後はもっと彩に相応しい男になるよ」
「ああ、だが気負う必要は無ぇさ。 何かが足りなきゃ遠慮無く言え、俺も村中の爺さんも絶対に見捨てない」
「おう。 もっと頼るわ、二人のこと」
完全に変われる訳じゃない。寧ろ変化するのはこれから先だろう。
それでも、頼れる誰かが俺を見てくれている。それだけで力が湧いてくるようだった。
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※病院からスマホで投稿しているので、文が変かもしれません。申し訳ございません。




