第百七十一話 伝書鳩
流れる日々を懸命に生きる。
よくある言葉だが、それが世間一般となっている現実は決して良いものではない。
生きる為に金を稼ぎ、生きる為に食料を生産し続け、生きる為に他者と競い合う。蹴落とされ、誰も知らぬ荒野で死ぬ人間も大勢居た。あるいは、自身の出世の為にと邪魔者を殺す者も居た。
総じて言えるのは、誰も彼もが生きたいと思っている。だがその想いを全て受け止められる程世界の器は広くなく、限界は当の昔に超えていた。
溢れたのは何時の頃からだろうか。随分昔だった気がするし、酷く最近のことのようにも思える。
最初は誰かを殺す忌避感を誰もが備えていた。殺人をせずに相手を蹴落とす事を考え、故にセーフティーネットと呼ばれるものが誕生している。
だが、今や世界中の人間が忌避の感情を備えながらも殺す事を是としていた。
殺した方が処理し易いと、荒廃した街に死体を捨てる輩が横行したのだ。それを取り締まる筈の警察も全体にまでは目が届かず、結果的に捜索届と呼ばれる存在は最早無意味に成り果てている。
無情だ。ただただ、無情でしかない。
荒廃した事で余裕を失った人類は、最早人間の美徳と呼ばれるものを次々と放棄していっている。それが全て消失するまで、後どれくらいなのか。
俺は一枚の手紙を見ながら、そんなどうにも出来ない事を考える。
手紙は軍の人間から――いいや、滋賀の指揮官からの直々の逮捕状だ。
内容は現在制圧しているこの街の解放。此方としては一切制圧しているつもりは無いし、他者が入る事を拒むつもりも無い。
「デウスの不当所持による貴殿の罪は重い。 だが、抵抗せずに捕縛されるのであれば減刑も考慮しよう……か」
「何が減刑だよ、そっちはこっちを潰そうとしたクセによ」
読み上げた文面に、春日は文句を吐く。
村上殿は腕を組んで目を閉じていた。俺も春日と同様に文句が無いでは無いが、だからといってただ吐いているだけでは何の解決にも繋がらない。
それに、ついに来たという気持ちの方が俺には強かった。
軍の中には未だ腐ったままだ。デウスという存在に依存し、尚且つ虐げる様は愚かの一言。そんな腐った場所で権力を振り翳すだけの人間も当然存在し、此方に牙を剥くのは当初から予定されていた。
その存在に対しての此方の態度も決まっている。だが、その気持ちをそのまま文章にして送っては軍との正面戦闘だ。
極小単位でなら質で勝てるものの、相手の数は単純に脅威極まりない。
此方は未だ千にも満たない戦力。女子供も含めているので、実際の総戦力は更に少ない。
そんな状況で彩達に頼った戦いをしても被害は甚大だ。彩ならば複数の対象を同時に相手取れるだろうが、ワシズとシミズはそうはいかないだろう。
「こうなるのは想定していた。 だからこそ壁も用意した訳だしな。 だが、出来ることなら軍との正面戦闘は避けたい」
「此方が奇襲を仕掛けて先手で基地を占拠しますか?」
「彩、それは過激だ。 そんな真似をすれば他の基地からも兵が差し向けられるし、そうなれば流石にこの街は御終いだよ」
それに、と今度は小型端末に送られたメールボックスを開く。
俺のメールアドレスは誰にも教えていない。番号だけなら関わった指揮官が知っているが、それ以外に誰かが知る術は普通に考えれば皆無である。
だが、そこには一通のメールが来ていた。全てを見ていたかの如くメールが送られてきたのは、手紙が届いた時期と一緒であり、内容は短い。
恐らくは電話番号と思われる番号の羅列と、御連絡お待ちしておりますという文面。
件名にはデウスの名前だと思われるSAS1。それを彩が認識すると、途端に表情が嫌悪に染まった。
十中八九彼女の知り合いだ。軍に対してでも彼女は嫌悪の表情を浮かべるが、今のはそれよりも深い。
皆が居るこの廃墟の中にも関わらず、露骨を舌打ちをするところも彼女の深さが伺えた。彼女がここまで嫌悪の表情を見せるとなると、相応に関係性の深い名称なのかもしれない。
「謎のメールからだ。 どうやら彩は知っているみたいだけどな」
「ええ。 ……十席のメンバーですよ、彼女は」
「やっぱり。 お前とそれなりに関係性の深い者なら、高確率で十席だと思ったよ。 で、どんな奴なんだ?」
「信用は置けるでしょう。 他と比べれば性格は穏やかです。 これまで出会ったどのメンバーよりも、彼女との間に闘争は起きないと思われます」
話を聞く限りにおいて、件のデウスに悪い部分があるとは思えない。
無論、全てを信用する訳では無いが、かといって他に候補が無ければ選択しても良いくらい印象を覚える。
「ですが、彼女は友愛を求めやすい性格を持っています。 時には不平等な契約をも結びそうになり、他のデウス達が慌てて止めるような事例が頻発していました」
「あー、つまり自己犠牲型の平和主義者?」
「そうなるが、あれは周りも巻き込むタイプだ」
十席同盟には個性的な面々ばかりだ。
PM9やZ44を例に出してみると想像出来るように、どうにも普通とは違う人格を保有している確率が極めて高い。
あるいは、そういった性格でなければ十席にまで到達出来なかったと考えることも出来る。とはいえだ、個性的な面々は裏を返せば性格の把握がしやすい。
普段から何を考えているのか解らないようなタイプ程厄介な事は無く、故に十席のメンバーにこう言えばこう言うだろうと想像するのは簡単である。
件のSAS1が彩の言う通りの性格であれば、友好的に接すれば彼女も穏やかに話をするだろう。
何故俺のアドレスを知っているのかを尋ねる必要が出てくるが、それも含めて一度話をする必要がある気もする。
「このSAS1の目的が此方に協力してくれるものだと思うか?」
「どうでしょうか。 単純に人となりを知りたいとも推測出来ますし、その可能性も無視出来ません」
「結局かけてみるまでは解らないってことか」
安易に連絡をかける訳にはいかないとはいえ、何事もしてみなければ始まらないのも事実。
結局俺は番号を打ち込み、通話ボタンを押し込んだ。直ぐにスピーカーモードに切り替えて廃墟に置かれているテーブルの上に乗せる。
『もしもし? 聞こえておりますか、只野様?』
「おや、意外に上品な声」
『ふふふ、ありがとうございます』
思わず出てしまった感想に、相手はお嬢様のような柔らかい笑い声を伝えてくる。
声だけならば他の女性と比較して非常に柔らかい。上品な雰囲気を言葉の端から感じさ、彩よりも年上のイメージを与える。
そして、彩の顔が嫌なそうなものに変わった時点で本人のものであると理解した。
「どうしてアドレスを? これは誰にも伝えていないと思うのですが」
『その点は聞くだけ野暮というものですよ。 軍はその手の組織と繋がっておりますので』
軍はネットの情報を取捨選択することが出来る。ならば、その取捨選択したモノの中から不要な情報を持っていた人物を探す事も出来なくはないのだろう。
そこに頼ったとすれば、成程納得だ。十席同盟という立場も彼女の言葉の裏付けになる。
「ならどのようなご用件で? 此方は今そちらに脅されているのですが」
『そうでしょうね、ですがその脅しはまだ一部分だけです。 実際にはもっと多くが彩を求めて脅しを行おうとしていますよ』
彩の貴重性は既に軍には広まっている。
欲しがる輩も多く存在し、経済的な面でも武力的な面でも脅しを行う指揮官が出現するのは道理。結局話し合いの場を持とうとはせず、彼等は武力に頼った方法を選んだのである。
失望の吐息が部屋を満たす。それをしたのは俺ではなく、彩だ。
軍ならそうするだろうと一番考えていたのは彩だ。だがそれでも、これまでの出会いの中で彼女の軍嫌いを多少なりとて改善させる機会はあった。
にも関わらず、軍はその彼女の想いを完全に無視したのだ。このSAS1の発言により、彼女の軍嫌いは更に加速することだろう。そして、それを俺は止められない。
『そちらに連絡したのは他でもありません。 今現在、軍内部は貴方に関して話し合いを進めています。 ですが、滋賀の指揮官はその話し合いの結論を待たず、独断で行動に移しました。 彼の所属する派閥から注意が飛んでいると思いますが、あの指揮官はまず行動を中止することはないでしょう』
「御手を貸していただけると?」
『端的に申し上げるならばその通りです。 私も所属する京都の部隊と、東京の部隊が丁度手が空きましたので、そちらを貴方の街に派遣致します』
彼女の協力内容に目を剥いた。そして、これは彩でも驚きだったのだろう。
普段と比べて目を細め、SAS1の発言に注目していた。
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