第百六十七話 珍客
準備は全て済ませた。
彩達の配置も無事に終え、端末は常に回線がオープンになるように指示している。もしも誰かの回線が落ちれば、即ちそれそのものが異常であるとも説明しておいた。
特に俺側の回線が落ちれば街に異常が発生している事になるので、その時点で防衛線を捨てて彩達には即時の帰還を命令している。外側の相手に対して無防備になるのは痛いが、優先すべき人命が無くなってしまえば元も子もない。
後は無人のように静かになるだけだ。
息を潜め、武器を手に。回線先から聞こえる音は風や砂の動く音だけ。
一日を掛けた準備はバリケードと罠が限界だった。それで百人弱の人間を抑えられるとは思わず、肝は彩達になってくるだろう。
そもそも、相手が敵かどうかも定かではない。
確りと相手を見定め、そのまま時間だけが過ぎていく。
残っている時間の中で食事を済ませ、ワシズ達が相手に向かって声を掛けるのを待つ。傍には春日も居て、緊張に汗を流しながら金槌を持っている様は異様だった。
そして、そんな状態なのは何も春日だけではない。他の男連中も総じて同じ顔をしていて、この戦いが初めてのものであるというのが嫌になるくらいに伝わってくる。
俺だって、彩達との旅が無ければ同じ顔をしていただろう。何時の間にか下手な戦いでも己を保てるようになり、何処か余裕があるようにも感じている。
それが良い事であるかと言われれば、少なくとも悪いものではないだろう。この平穏とは無縁の世界において、荒事に対して平常を貫けるというのは貴重だ。
『止まれ』
「始まったな」
益にもならない思考をしていると、ワシズの声が端末から聞こえる。
出来ればテレビ電話みたいに画面にワシズが見ている光景を映したいが、多少なりとてスペックの一部を此方に割いてもらう訳にはいかない。
本人はまったく気にしないだろう。だが、不安の種は一つでも摘んでおく必要がある。
僅かに聞こえていた足音は彼女の声で止まった。きっと今頃は困惑の表情を浮かべながらワシズを見ていることだろう。
シミズは今は隠れてもらっている。ワシズが撃たれた場合に備え、別角度から攻撃をしてもらって場を乱すのが目的だ。
その混乱している時間の中で彩に来てもらい、一気に殲滅する。
全体火力の上では彩が一強であるのは言うまでもないし、それを本人も理解しているだろう。ワシズもシミズも彩謹製の装備を持っているとはいえ、一番それを上手く扱えるのは彩だ。
『何か御用でしょうか……?』
『お前達はこの先に進むつもりか』
『ええ。 とある御仁にお会いする為にこの先の街に行きたいのです』
『御仁?』
声の主は年老いた男性のものだ。
徒歩で進むにはあまりにも不安を抱える男性が先頭を進んでいるという事実に、あの集団の遅さを理解した。
同時に、此処に向かう理由も明らかになった。会いたい人に会う為に此処に向かってきているというのなら、一度その人物に話を聞くべきだ。
素性を含めて全てを知れれば、戦闘をする必要も無くなる。
問題はその人物が今も生きているかどうかだ。春日にあの集団を知っている人間が居るかと尋ねてみるが、やはりプライベートな部分にまでは誰も足を踏み込んでいない。
春日も知らないし、春日の周りに居る男達も首を左右に振るだけだった。全員を調べていないので何とも言えないが、もしかすると件の人物は死亡している可能性もある。
『その御仁とはなんだ? 生憎と私の知る限り、貴様らと知り合いの人間は居ないぞ』
『そんな事は御座いません! 此方に確実に居るという情報は掴んでおります! デウスを引き連れ民を助ける救世の君。 そのような人物など二人も居りません!』
声高らかに答える男の声は明らかに常軌を逸していた。
さながら狂信者。自身の思い描く通りの人物があの街には居るのだと絶叫をあげる様は、実際に見ていなくてもどんな姿をしているのか想像する事が出来る。
そんな俺に複数の視線が向けられていた。言わずもがな、春日達だ。
半目になりながら此方を見やる様子に引き攣った笑みが浮かぶものの、当たり前だが俺はあの連中達と関わり合った覚えは無い。
狂信者が生まれる要因なんて一部も無かった筈だ。それに、向こうは正確に俺達が此処に居る事を知っていた。
それそのものは別に良い。特に隠してもいない以上、周囲に広まるのは自明の理だ。
「おい、どうやらお前さんに用があるみたいだぜ」
「こっちはまるっきり知らん相手だぞ、どういうことだ。 ……ワシズ、一旦通話音量を最大にまで引き上げてくれ。 直接話す」
『解った』
暫く待て、とワシズが老人達に言い放つ。
内部で彼女が音量ボリュームを動かし、どうぞと俺に伝えた。
「あー、あー、聞こえているか?」
『ええ、聞こえておりますが……』
「俺はそちらが向かう先に居る街で暮らしている者だ。 事実は異なるものの、デウス三人と共に旅をしている」
『おお! では貴方様が!?』
「真実かどうかは兎も角として、恐らくはそうではないかというのが此方の推測だ。 俺に会って何をしたいのか聞いても構わないか?」
『ええ、ええ、勿論です。 私達は貴方様にお力をお貸しする為に此処に来たのです』
老人の発言は中々に意味の解らないものだった。
力を貸すというのは解る。武力的な側面から見ても、新たに戦力が加えられるのは嬉しい出来事だ。
かといって、それが信用出来るかどうかで言えば答えは否。現状において目前の相手はまったく信用出来ず、怪しさのみしか感じられない。
このままこの街に通して、直後暴れられたら厄介だ。大人しく通す訳にはいかず、かといって何も聞かずに信じられるかどうかを決められる筈もない。
『貴方様の噂は様々な場所から流れております。 曰く、人とデウスを繋ぐ者。 曰く、制圧者。 曰く、絶対王者。 その他にも無数の名前と共に貴方様の存在は広がりつつあります』
何だそれは。
胸の中で叫ぶのはこの言葉だけ。一つ程度しか心当たりの存在しないワードに冷や汗が背筋に流れていく。
確かに、俺達はこの旅の間に様々な事をした。人を殺す事も、人を助ける事も、怪物を倒す事も、全て行った記憶がある。
だが、その全ては彩達に寄るものだ。絶対に俺が受けて良い言葉ではなく、称えられるべきは彩達だろう。
明らかに人違いをしている。そう悟れば、先ずはこの誤解を解除するところから始めるべきだ。
「一体全体何の話をしているか見当もつかない。 明らかに人違いだぞ」
『そんな事は御座いません。 現に軍部より複数の物資をお預かりしております。 吉崎指揮官と岸波指揮官と言えば解るそうですが』
――――あの人達は何をしているんだ!
叫びたい衝動を無理矢理抑え付け、胸を数度叩く。咳き込んでしまったが、叫ばないだけ上々だ。
春日は百面相をしている俺の顔を何やら呆れた目で見ていた。最早俺達が必死に用意したバリケードなどが無駄になったのだろうと確信していて、春日達は次々と脱力していく。
油断するには早過ぎるとはいえ、その名前は確かに俺と関係するものだ。特に岸波指揮官については初めて出会った指揮官である。
流石にこれが嘘であるとは思えなかった。俺達の関係は隠してあったし、例え軍が関係を見抜いていたとしても吉崎指揮官の名前だけしか挙げなかっただろう。
つまりこの時点で、もう味方からの援軍であるのは言うまでもないのだ。
どのような意図でこんな者達を送って来たのかは定かではないが、今は先ず罠やバリケードの一部を解除する必要がある。
降って湧いたような増援に、街の住人は俺に呆れながらも喜んで迎えた。
俺と会った彼等の第一声がどのようなものになるのか。それが今から恐ろしくて仕様がない。
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