第百四十五話 次なる変革に向けて
物を用意しても、誰がそれを提供するかによって人は受け取らない場合がある。
物という存在は無償で手に入る訳では無い。何かを犠牲に手にする事で手に入るもので、それを無償で提供する相手の事を信用するのは愚の骨頂だ。
少しでも理性が残されていれば、相手がそれを行う裏側を考えるものだろう。或いは、最初から関わりたくないとして受け取りを拒否する事も多々発生する。
俺達は今正に、そんな場所へと足を動かしていた。
未だ記憶に新しい街への入り口。少し外へと移動すれば、腐臭漂う死体が無数に存在するあの道が広がっている。
俺の眼の前には無数の視線、視線、視線。どれもこれも険吞なものを含み、飢えた狼を連想させる様は非常に危険だ。
隣に彩が居なければ即座に襲われたのは言うまでも無い。
理性の喪失が起きる前に話をつける必要がある。特に、力のあるような者達は今現在において特に必要だ。
俄かに騒ぐ者達を黙らせる為に俺は一度手を叩く。それによって騒がしさは消えるが、同時に視線も追加された。その目も危険な色に染まっていて、今も石が飛んでこないのが不思議なくらいである。
彩様様だ。改めて感謝したくなる思いを今は胸に封じて、事前に彼女に頼んでいた物を出してもらう。
彼女の名前を呼び、彩はその声に首を振る。
内部メモリに詰め込まれた物を現実へと転送し、俺達の背後にそれを出現させた。
――一瞬の地響きが鳴る。
巨大な物体が落下した際に発生する鈍重な音は、それだけで周囲の者達を騒がすには十分だ。まして、今回出した物が出した物である。
「――先の邪魔に関して、此方から謝罪をしたい」
俺達の背後に落下してきたのは無数の食料。それも今直ぐ食べねばならない食材が多く、そのどれもが潰れた店の中から発見された商品達である。
食料を求めていた者達からすればこの光景は宝の山だ。唾を飲む音を耳が捉え、一先ずの掴みとしてはOKだろうと口元をわざと柔らかくする。
緩やかな弧を描き、意識的に笑みを浮かべて演出するのは優し気な男だ。
地獄の世界で救いの手を差し伸べる。それが例え一度妨害した男でも、こうして手を差し伸べられれば取ってしまいそうな程に彼等には余裕が無いのだ。
打算ありきであるのは誰もが解っている。解っていて、それでも自身を正当化するだけの理由が欲しい。
「此処で貴方達が暴れてしまえば、あの武装組織に殺されてしまう。 あまりこの子達に人間同士の争いを見せたくなかったのです。 申し訳ない」
「……その結果として、俺達は今飢えている訳だが? そもそも、そっちには何の関係も無いだろうが」
「ええ、確かに我々は貴方達とは何の関係もありません。 此処で我々が行動する意味は無いでしょう」
俺の考えている事は誰でも思い付く簡単なもの。
故に、一歩前に出て文句を口にした粗雑な印象を抱かせる男もその辺は解っているだろう。
他の者達が一切口を挟まないところを見るに、彼がこの集団のリーダー格なのだろう。他のチンピラめいた男すら黙っている様子からそれなりのカリスマを持っているのだと思われる。
「ですが、このまま虐殺が始まればデウスが失望しかねない。 自分達が守っている者達が殺し合いをする様を見れば、如何に聖人君子なデウスであっても見捨てるのは道理でしょう?」
「ふん、デウスなど今更どうでも良い。 そもそも、こうなった原因はデウスや軍にある。 アンタもデウスを率いている以上は軍人なんだろう? なら、どれだけの被害が起きたかは解っている筈だ」
「……成程、先ずはその辺の誤解から解かねばならないですね。 我々は別に軍属ではありませんよ。 私なんて元はただの工場員でしたから」
「その言葉、信じられるとでも?」
疑りの眼差しが男から向けられる。
それも当然。未だ世界的にデウスの脱走は極僅かにしか知られていない以上、軍属ではないという言葉には懐疑的にならざるをえない。俺だって一度も出会っていなければ流石に信じられないだろう。
だが、重要なのはそこではない。別の俺が軍属であろうとなかろうと、どちらでも構いはしないのだ。
必要なのは此方の意志に相手が頷いてくれるかどうか。それだけで十分である。
此方の要求を呑んでくれるのならば食料を提供するし、そうでないのならこの食料はこのまま腐るだけ。食料を求めて何でもすると言っていたあの少年達のようであれば、此方としては都合が良い。
「そこは今はどうでも良いでしょう? 今貴方達に必要なのは、この食料の筈だ。 これだけあれば暫くは持ち堪えられる」
「その為にお前の要求を呑め、と? 今此処でお前を殺して奪うという選択肢も――」
男の言葉は最後まで続かなかった。
突如として発生する爆音。民衆の横にある巨大なビルが轟音と共に粉砕され、地面に瓦礫が落下した。
やったのは彩だ。普段から火を付ける以外には使わない炎を用いて、銃弾としてそのまま撃ち込んだのである。
彼女には一切手を出さないようにと伝えた筈だが、今の言葉は容認出来なかったのだろう。
彩とだけ告げる。それだけで彼女の肩が一瞬震えたが、それでも目を閉じて銃を仕舞った。
これでもう、表だけは優しい者としては見られない。溜息を吐き、普段では表に出さないやれやれといった感情を民衆に見せ付けるように動く。
「話は早急に済ませましょう。 でないと食料が腐ってしまいます。 ――此方の要求を呑むか呑まないか、どっちです?」
「……内容次第だ」
努めて彩のやった事を無視して、問い掛ける。
それに対する答えは要求次第といった曖昧なもの。だが、俺にとってそれは呑むのと一緒だ。
やってほしいことは単純明快。街の再建は現状において絶望的であり、しかして他に住む宛てが無い以上は此処を修復する以外に方法が無い。
政府が此処の惨状を理解していれば助けてくれるだろうが、それを伝える筈の知事も無視している筈。
少なくとも、今此処に居る者達が消えねば話を伝えないだろう。
施しには多量の金銭が掛かる。税だけを欲しい為政者からすれば、そんな連中は邪魔でしかない。
だから無視している間が勝負だ。その間に彼等が生活出来るだけの地盤を構築する。非常に難しい話であるが、都合の良い解決を行うにはそれをするしかないのである。
ワシズの精神的ダメージを限りなく低くする為にも、良い結果には変えていきたい。
「やってほしい事と言っても、その内容は街の復活です。 具体的には全員が平均的に暮らせるように建物の修繕や、食料生産等をしてください」
「何? ……お前さんにはどんなメリットがある」
「実は少々、人手が欲しかったんです。 軍とは関係無く、行政から切り離されてしまった者達が」
「なんだそりゃ。 どう見ても怪しい話じゃねぇか。 ……もしも俺達を無駄死にさせるようなら、何が何でも裏切るからな」
「ええ、それで構いません」
互いに信用は無い。利用し、利用される。
その関係は今においては非常に危険だが、だからこそ一線を引く事が出来るのだ。仲間同士の馴れ合いをするのは彼等だけで良い。
俺達は俺達で動くだけだ。それが一番、最終的に良い結果にもなるというもの。
信頼関係だけで全てが成功する訳では無い。打算的な利益重視の関係でも、人は成功を掴むことが出来る。
その過程で脱走も裏切りもあるだろう。人間である限り、その辺は何処でも発生するものだ。
一先ずは彼等が満足するように動かねばならないと、俺は彩ともう一回だけ告げた。
再度彩は自身の内部メモリから物体を出現させる。量は食料程ではないが、かといって少ない訳では無い。
それは衣服であり、医薬品であり、娯楽品だ。
集められるだけ集めたと言わんばかりの山々に、人々は目を輝かせて飛びついていった。
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