第百四十三話 表と裏
――結果だけで言えば、ワシズが始めた戦闘による結末は俺達の勝利だ。
だがそれは決して求めた勝利ではない。俺が彩とシミズに連絡を入れた事で漸く収まった戦闘であり、今はその境界線に三人のデウスが等間隔に立ち塞がっている。
目的は残党の殲滅に、隔離された被害者達が再度の暴動を起こさないよう気絶させる役。
俺も一応は境界線上に立つ事になっているのだが、被害者達の視線が凄まじい。元々が飢と怒りから始まった行動だけに、単純に立ち塞がるだけでは彼等は止まらなかっただろう。
どれだけの人数が迫っても彩達が一人も逃さず投げ飛ばす事で足を止め、俺も銃を片手に持つことで威圧的に思われようとも効果を発揮させていた。
最早関わらないという選択肢は選べない。特に俺達は犯罪者として見られてしまう以上、今此処に居る軍人達に攻められる可能性は否めないのである。
しかし、その軍人は俺達が立ち塞がってから何の行動も見せない。
彩の話では撤退した素振りを見せずに停滞しているようで、深夜の時刻に様子を見に行った際には露骨に睡眠を取っていた。まるで厄介事を押し付けたぜと言わんばかりの態度である。
即座に連絡を入れなかったのは彼等なりに今回の件に思う事があったのだろう。まともに人々を休ませる場所も物資も用意出来ていない事実に、もしかすれば今回の軍の行動の真意を見抜いていたのかもしれない。
手を結び、より効率的に回収出来る分の税を取る。その為に優遇不遇の差別をつけるのは、人々の生活の中では当たり前だ。
だが、そうしたからこそ俺達は今こうして立つ事になってしまった。
いや、正確にはワシズによる単独行動故だ。最初に彩が合流した時、既にワシズの様子は何処かおかしくなっていたという。デウスの本能に半ば蝕まれたからだというのが彩の見解であるが、真実は誰にも解らない。
今この場に居る全員が全員、本能に呑まれた経験は皆無だ。彩は持ち前の精神力で己の我を通し続けていたし、二人も二人で傍には必ず俺や彩が居た。
俺達が一度も見ていなかったのであれば、本能には呑まれていない筈である。
さてと、息を吐いて今後の事を考え始める。
「どうしたもんかね……」
「先ずはあの子の矯正でしょう。 あれは直さなくては今後も不安を残します」
「どう矯正する。 あれに関して取り除けるのか?」
「完全には不可能でしょうね。 機能そのものを取り除く事は現状において不可能ですし、出来るとしたら別の者の命令を優先させ続けることで誤魔化すしかないでしょう」
彩が言いたいのは、要は俺がお願いではなく確りとした命令をワシズに下すことだ。
本来それは彼女の自主性を考えてすべきではないし、俺自身が誰かに命令を下す事を嫌っている。するにしても危機的状況下で彼女達の命を優先させる為であり――――さりとて、ワシズのあれは自身による意思ではない。
その証拠に、元に戻った彼女は即座に俺に対して土下座をした。彼女本人に理由は無い筈なのに、それでも自分が悪いのだと土に頭を擦り付けて許しを願っていたのだ。
当然ながら俺は止めた。当然だ、今回の件を予想するのは誰が見ても不可能だったろう。
それを俺達全員が責めるのはお門違いだ。同情をする事はあっても、決して罵倒を吐く必要は何処にも無い。
一先ずは仕事を与えて気を紛らわせているものの、此処に何時までも居る訳にはいかない。
どうなるかはさておき、一度は合流しなければならないのだ。そうでなければ移動することも、ましてや今後一緒に活動することも出来はしない。
間に出来てしまった部分は何としてでも埋めねばならないのである。その為ならば、俺はどんな事でもしてみせる。
彩の提案した案は、話の切っ掛けとして使うには申し分ない。彩も彩で俺が素直に命令をするとも考えてはないだろうし、これは彩なりの手助けなのである。
なんだかんだ、俺達の関係が継続してからそれなりの年月が経っていた。一年も経っていないのをそれなりの年月と言うべきかは兎も角、俺にとっては随分長く感じている。
だからこそ、此処で切れてしまう関係性ではないとも解っているつもりだ。
その程度で切れてしまうような関係性であったならば、もっと前にあの子は俺の元から消えていただろう。あるいは、消えようとする彼女を彩が処分していたかもしれない。
この日、両者の間で明確な騒ぎは発生しなかった。夜中の間も彼女達と共に周囲に目を光らせていたのであるが、それでも現状は何も変化しなかったのである。
俺達が一時的な抑止力になったのだろう。一人も通さず、その上で余裕を保っていれば消耗してばかりの彼等は手を出そうとはしない。
「――生命反応です。 此方に近付いてきます」
早朝の時刻。
眠気が襲い掛かる時間で彩が静かに俺に告げる。俺達の居ない境界線を通るのではなく、直接俺達の所に来るのは正直に言って予想外だ。
距離も然程離れている訳でも無く、暫く待っていればその姿も見えてくる。極めて普通の私服を纏った複数人の姿に、自然と眉が寄せられてしまう。
彩に追加で探知を行ってもらったが、俺が見ている情報と同じく武器らしい武器は無い。
唯一気にする所があるとすれば、その手には複数のビニール袋があった。中には何かが入っているようで、白いビニール袋の内部を此処から見ることは出来ない。
「……昨日、向こう側の人達を止めてくださったのは貴方達ですか?」
「そうですが……何か?」
十人の人間の中から一人の老人が前に出る。
杖を突いて歩き、俺達に対して何処か嫌悪を滲ませながら形だけの笑みで話し掛けてくる。よくよく見れば、他の面々も無表情の顔を維持したまま。まったくもって俺達に対して友好的ではない素振りに、俺の心に少々の不快感が募る。
「此度の暴動を止めてくださり、誠にありがとうございます。 少ないですが、此方は謝礼です。 どうかお受け取りいただきたく」
「いえ、それには及びませんよ。 それに、その食料はあちらの方々にあげるべきではないでしょうか? 皆、飢えているようですし」
老人が差し出したビニール袋の中身は全て食料だった。
俺が実際に購入した缶詰も含め、中には肉や魚もある。今この場で消費しなければ腐るだろうチョイスに悪意を感じないでもないが、此処でそれを表に出すような真似はしない。
代わりに言うべきは被害者達に対してだ。此処で迂闊に食べ物を受け取れば、俺達が完全な悪者になる。
今はまだ彩達の力によって止められているものの、何れはそんな事も考えられずに突撃を行うだろう。そして、その時にも彩達が止めれば弱者を虐げる側として別の意味で睨まれかねん。
特にワシズの行動によって俺を含めて全てのメンバーがデウスだと思われている。此処で民衆からデウスの評価を落とす選択をするのは、彩達の為にも選ぶべきではない。
「構いません。 彼等は今後の生活を送るだけの余裕がありませんし、この街も既に余裕が無いのです。 切り捨てるべき部分を切り捨てていかねば、この街の食料も水も無くなってしまいます」
「軍はどうしているのです。 今この街には軍が来ていますし、そちらに助力は頼んだのですか?」
「軍はこれ以上の手助けを行いません。 滋賀の指揮官殿より正式に通知が来ました。 他に優先しなければならない街が存在するので、そちらに手を回す余裕が無いと」
「なッ――」
この老人は何かを隠している
それは表情から容易く見抜ける程であり、つまり交渉事を常日頃からしているタイプではない。しかし、軍の事については一切の嘘を吐いていなかった。
つまり本当か嘘かは兎も角として、軍はこの街を助けないと判断したのだ。普通であれば多少であれ援助を行う筈であるのに、滋賀の指揮官はこの街を表上は切り捨てている。
これでは民衆から不満が溜まっても不思議ではない。もしやと、視線を一瞬だけ彩に向けた。
彼等が嫌悪の表情を向けているのは、傍にデウスが居るからなのか。完全に私服姿であるが、デウス関連については非常に秘密が多い。
私服姿でも連れ回せる権限を持っていると思われていれば、嫌悪を向けられて当然だ。
「……解りました。 取り敢えず、此方から何かを要求する事は有りません。 貴方達はこれまで通りの生活を送っていてください。 あちらの方々については、此方で少し考えてみます」
「――解りました。 それでは、また」
一度頭を下げ、老人は他の者達を引き連れて戻っていく。
何故か地面にはビニール袋が残され、溜息を吐きつつそれを回収する。――さてどうするべきか。
これからの事を考えつつ、徐々に鈍くなっていく思考を自覚して一端の休息を彩に告げた。
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